リヨンの中心に位置するリヨン美術館は、ヨーロッパ美術の宝庫であり、特にバロックからロココ前夜にかけてのコレクションは、まるで絵画が呼吸しているかのような臨場感を与えてくれます。この時代は、感情の爆発、劇的な表現、そして光と影の巧みな演出が特徴であり、まさに芸術が最高潮に達した時期と言えるでしょう。
館内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、ヤン・ブリューゲル(父)の四大元素シリーズの驚くべき細密さです。《空気》の鳥たちの羽の一枚一枚、《大地》の草木の息吹、《火》の燃え盛る炎、《水》のきらめき…彼とルーベンスらとの共同制作によって生み出されたこれらの作品は、緻密な描写の中に寓意的なメッセージが込められ、見る者を魅了します。
さらに奥へと進むと、ルーベンスの圧倒的なスケールとダイナミズムが光る《聖ドミニコと聖フランチェスコがキリストの怒りから世界を守る》や《東方三博士の礼拝》が、その強烈な色彩と躍動感で見る者を包み込みます。グイド・レーニの優雅で感傷的な表現、グエルチーノの劇的な光と影、ニコラ・プッサンの知的で厳格な古典主義、そしてピエール・ダ・コルトーナの壮大なバロック様式…。画家それぞれの個性と情熱が、画面いっぱいにほとばしっています。
この記事では、リヨン美術館が誇るバロックからロココ前夜の傑作の数々を、実際の写真と共にご紹介します。それぞれの作品に込められた物語、画家たちの卓越した技術、そして時代が持つエネルギーをぜひ感じ取ってください。さあ、あなたもバロックの情熱的な世界へと飛び込んでみませんか?
- バロック(Baroque)
- Jan Brueghel l’Ancien (1568-1625)
- Sébastien Vrancx (1573-1647)
- Guido Reni (1575-1642)
- Pieter Paul Rubens (1577-1640)
- Le Guerchin (1591-1666)
- Nicolas Poussin (1594-1665)
- Pierre de Cortone (1596-1669)
- Guido Cagnacci (1601-1663)
- Antonio de Pereda (1611-1678)
- Nicolas Chaperon (1612-1656)
- Thomas Blanchet (1614-1689)
- Giovan Battista Langetti (1625-1676)
- 後期バロック~ロココ前夜(Late Baroque / Classicism)
- まとめ
バロック(Baroque)
Jan Brueghel l’Ancien (1568-1625)
ヤン・ブリューゲル(父)は、ブリュッセルで生まれ、アントウェルペンで亡くなった、フランドルのバロック期の画家です。有名な画家ピーテル・ブリューゲル(父)の次男であり、「花のブリューゲル」「天鵞絨のブリューゲル」とも称されました。父ピーテル・ブリューゲルの素朴で写実的な画風とは異なり、緻密な描写、鮮やかな色彩、そして豊かな細部表現を特徴とする独自のスタイルを確立しました。
ルーベンスと共同で制作した作品も多数あります。

L’air (1611) La Terre (1610)

Le Feu (1606) L’Eau
ヤン・ブリューゲル(父)は、17世紀初頭に四大元素(空気、大地、水、火)を主題とした連作を制作しました。これらの作品は、彼がルーベンスなどの画家と共同制作した、細密な描写と寓意的な意味合いを持つ傑作群です。
ヨーロッパでは、古代から18~19世紀まで、世界はこの4つの元素から成り立っているという考えが広く支持されていました。
「空気」(L’air, 1611)
「空気」は、四大元素のうち空気の要素を象徴する作品です。一般的には、鳥類や飛行する昆虫、空気中を移動する雲などが描かれることで、この要素が表現されます。
ブリューゲルの「空気」では、広大な風景の中に、多様な鳥や昆虫が非常に精緻に描き込まれているのが特徴です。また、狩猟の場面や、空中を移動する神話的な存在(例えば、飛翔するプットやキューピッドなど)が配置されることもあります。ルーベンスなど他の画家が人物を担当し、ブリューゲルが細密な背景や動物を描き込んだ共同制作であることが多く、作品全体に生命感と活気に満ちた雰囲気が漂います。
「大地」(La Terre, 1610)
「大地」は、四大元素のうち大地の要素を象徴する作品で、生命の豊かさや自然の恵みが表現されます。
ブリューゲルの「大地」では、豊かな植生と多様な動物たちが画面を埋め尽くすように描かれています。茂る木々、咲き乱れる花々、そして様々な種類の陸生動物や爬虫類が、生き生きと描写されています。しばしば、人間の活動(農耕や牧畜など)が背景に示唆されることもありますが、中心となるのは自然界そのものの豊かさです。その細部にまで及ぶ描写は、博物学的な正確さと、自然に対する深い愛情を示しており、「花のブリューゲル」の異名にふさわしいものです。
「火」(Le Feu, 1606)
「火」は、四大元素のうち火の要素を象徴する作品です。この作品では、火の破壊的な力と創造的な側面の両方が描かれることがあります。
ブリューゲルの「火」では、火事の場面、鍛冶屋や錬金術師の工房、あるいは火を噴くドラゴンや神話上の生物などが描かれることがあります。画面はしばしば、炎や煙によって劇的に照らされ、その細部には火によって動かされる様々な道具や生き物が緻密に描き込まれます。この作品もまた、ルーベンスなどの人物画を得意とする画家との共同制作であることが多く、火の力を背景に人間の営みが表現されます。
「水」(L’Eau)
「水」は、四大元素のうち水の要素を象徴する作品で、水の恵みと多様な生物が表現されます。制作年は複数のバージョンが存在するため特定されませんが、他の四大元素と同時期に制作されています。
ブリューゲルの「水」では、湖や川、海といった水辺の風景の中に、魚や水鳥、海洋生物など、水に生息する多種多様な生き物が非常に写実的に描かれています。時には、水の精や神話上の人物(例えば、ネレイドやトリトンなど)が配されることもあります。透明感のある水面や、水中の生き物の動きが精緻に表現されており、ブリューゲルの卓越した観察眼と描写力が際立っています。
Sébastien Vrancx (1573-1647)
セバスチャン・フランクスは、1573年にアントウェルペンで生まれ、1647年に同地で亡くなった、フランドルのバロック期の画家です。彼は特に風景画、戦闘場面、略奪シーン、市場の風景、そして寓意的な主題など、多岐にわたるジャンルで活躍しました。
フランクスは、ヤン・ブリューゲル(父)と同様に、他の画家との共同制作も多く行いました。彼は風景や人物群を担当し、しばしばピーテル・パウル・ルーベンスやフランス・スナイデルスといった画家が、より重要な人物や動物を描き加えることがありました。

Énée retrouvant son père aux Champs-Élysées (1597-1607)
「アイネイアースがエリュシオンの野で父と再会する」(Énée retrouvant son père aux Champs-Élysées)は、古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』の一場面を描いた作品です。
物語は、トロイア戦争の英雄アイネイアースが、冥界へと旅をして、エリュシオンの野(死後の楽園)で亡き父アンキセスと再会する場面を描いています。アンキセスは、アイネイアースにローマ建国の未来と、彼の子孫が築く偉大な帝国の運命を予言します。
Guido Reni (1575-1642)
グイド・レーニは、1575年にボローニャで生まれ、1642年に同地で亡くなった、イタリアのバロック期を代表する画家です。彼はボローニャ派の主要人物の一人であり、その優美で感傷的な表現、理想化された人物像、そして洗練された色彩で知られています。
彼は、ボローニャ派の創設者であるカラッチ一族のアカデミア・デリ・インカミナーティで学び、アンニーバレ・カラッチから大きな影響を受けました。初期にはカラヴァッジョの劇的な明暗法(キアロスクーロ)にも関心を示しましたが、やがて彼自身の特徴である、より穏やかで古典的な様式へと移行していきました。

L’Assomption de la Vierge (1637)
「聖母被昇天」(L’Assomption de la Vierge)は、聖母マリアがその生涯を終えた後、肉体と魂を伴って天に昇るというカトリック教会の教義「聖母被昇天」の場面を描いています。この主題は、多くの画家によって描かれてきましたが、レーニは彼独自の優美で感情豊かなスタイルでこの奇跡を表現しました。
この作品は、当初は半円形で神が描かれていました。
Pieter Paul Rubens (1577-1640)
ピーテル・パウル・ルーベンスは、フランドル(現在のベルギー)のバロック期の最も偉大な画家の一人であり、その豊かな色彩、躍動感あふれる構図、そして官能的な表現で知られています。彼は、絵画の主題において歴史画、神話画、宗教画、肖像画、風景画など、あらゆるジャンルを手がけました。

Saint Dominique et Saint François préservant le monde de la colère du Christ (1618-20)
《聖ドミニコと聖フランチェスコがキリストの怒りから世界を守る》(Saint Dominique et Saint François préservant le monde de la colère du Christ)は、バロック絵画の傑作の一つです。
この巨大な油彩画(高さ約5.65m、幅約3.65m)は、もともとアントウェルペンのドミニコ会サン・ポール教会の主祭壇を飾るために描かれました。作品は劇的な構図で、怒りに満ちたキリストが天から世界に罰を下そうとしている様子を描いています。そのキリストの下には、聖母マリアがキリストの怒りを鎮めようと懇願し、さらにその下にはドミニコとフランチェスコという二人の聖人が、地上に広がる世界をキリストの怒りから守ろうと両手を広げています。

L’adoration des Mages (1617-1618)
「東方三博士の礼拝」(L’adoration des Mages)は、彼の初期の傑作の一つであり、その後の彼の作品群に共通するバロック様式のダイナミズムと色彩感覚がすでに確立されています。この作品は、ルーベンスがイタリアからフランドルに戻った直後、あるいはその影響を強く受けていた時期に制作されたと考えられています。
絵画は、イエス・キリストの誕生後、東方からやってきた賢者たちが幼子イエスを礼拝し、貴重な贈り物を捧げる聖書の物語を劇的かつ壮麗に表現しています。
Le Guerchin (1591-1666)
グエルチーノは、本名をジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ(Giovanni Francesco Barbieri)といい、チェントで生まれ、ボローニャで亡くなった、イタリアのバロック期を代表する画家です。その異名「グエルチーノ(Guercino)」は、イタリア語で「斜視の、やぶにらみの」を意味し、彼の特徴的な目の状態に由来します。
彼は、ボローニャ派の画家として、カラッチ一族の美術学校で学んだ古典主義的な素養と、カラヴァッジョから影響を受けた劇的な光と影のコントラスト(キアロスクーロ)を融合させた、独自の力強い様式を確立しました。
前期と後期で作風に違いがあり、後期はGuido Reniの影響を多く受けています。また、絵を描くペースが非常に早く、かなりの作品を残しています。

La Circoncision (1646)
「割礼」(La Circoncision)は、彼の晩年に近い時期の宗教画です。
この作品は、新約聖書のルカによる福音書に記されている、イエス・キリストが生後8日目に割礼を受け、その際に「イエス」と名付けられた場面を描いています。この儀式は、ユダヤ教の伝統において神との契約のしるしとされており、キリスト教においてはイエスが律法の下に生まれたことを示す重要な出来事と解釈されます。
グエルチーノの「割礼」は、彼のキャリア後期の様式をよく示しています。初期の劇的なキアロスクーロ(明暗法)から、より明るく、穏やかな色彩へと移行し、古典的な均衡と調和を重視する傾向が見られます。
Nicolas Poussin (1594-1665)
ニコラ・プッサンは、ノルマンディー地方のレ・ザンドリーで生まれ、ローマで亡くなった、17世紀フランス絵画を代表する巨匠です。彼は、生涯のほとんどをローマで過ごし、古典主義絵画の確立者として絶大な影響力を持ちました。
プッサンは、ルーヴル美術館に学んでイタリア美術を研究した後、20代半ばでローマに移住しました。そこで彼は、古代ローマの彫刻、ラファエロやティツィアーノなどのルネサンスの巨匠たちの作品を深く学び、自身の芸術の基盤としました。
彼の作品の最大の特徴は、厳格な構図、明確な線描、抑制された色彩、そして理性と秩序に基づいた知的な表現にあります。感情を直接的に表すよりも、物語や寓意を通じて、普遍的な真理や道徳的なメッセージを伝えようとしました。彼は、古代の歴史、神話、聖書を主題とすることが多く、それらの物語を「読み解く」ように描きました。

La Mort de Chioné (1622)
「キオネの死」(La Mort de Chioné)は、彼の初期の作品であり、神話的な主題を扱った絵画です。
この絵画は、オウィディウスの『変身物語』に登場する悲劇的な物語を描いています。キオネは、非常に美しい女性で、ヘルメス(メルクリウス)とアポロンという二柱の神に愛されました。しかし、彼女はアポロンに反感を抱き、自分の方がアルテミス(ディアナ)よりも美しいと自慢したため、その傲慢さゆえにアルテミスの怒りを買い、弓矢で射殺されてしまいます。

La Fuite en Égypte (1657)
「エジプトへの逃避」は、彼の晩年の傑作の一つであり、新約聖書の物語を描いた作品です。
この絵画は、イエス・キリストの家族(聖家族)が、ヘロデ王による幼児虐殺の脅威から逃れるため、エジプトへと旅立つ場面を描いています。この主題は、キリスト教美術において古くから描かれてきましたが、プッサンは彼独自の古典主義的な様式でこの物語を表現しました。
Pierre de Cortone (1596-1669)
ピエール・ダ・コルトーナは、本名をピエトロ・ベレッティーニ(Pietro Berrettini)といい、トスカーナ地方のコルトーナで生まれ、ローマで亡くなったイタリアの盛期バロックを代表する画家であり建築家です。
彼は、アンドレア・コンモディに師事した後、1612年頃にローマへ移り住みました。そこで、古代ローマの彫刻やラファエロらのルネサンス美術を深く研究し、自身の芸術の基礎を築きました。特に、強力な明暗法や色彩、劇的な構図を用いたダイナミックな表現で知られています。
ピエール・ダ・コルトーナの作品の最大の特徴は、壮大なスケール感、豊かな色彩、そして劇的な動きです。彼は、特に大規模なフレスコ画や天井画でその才能を遺憾なく発揮し、鑑賞者を包み込むような視覚的な体験を提供しました。彼のフレスコ画は、しばしば現実と幻想の境界を曖昧にし、天井が天空へと開けていくような錯覚を生み出します。

César remet Cléopâtre sur le trône d’Egypte (1637)
「カエサルがクレオパトラをエジプトの玉座に戻す」は、古代ローマとエジプトの歴史的出来事を描いた彼の重要な作品の一つです。この絵画は、共和政ローマの将軍ユリウス・カエサルが、エジプトの内乱に介入し、プトレマイオス13世との争いに勝利したクレオパトラ7世を再びエジプトの女王の座に戻すという、歴史的にドラマティックな瞬間を描いています。
Guido Cagnacci (1601-1663)
グイド・カニャッチは、リミニ近郊のサントアルカンジェロ・ディ・ロマーニャで生まれ、ウィーンで亡くなったイタリアのバロック期の画家です。彼はボローニャ派の画家ですが、その画風は同時代の他のボローニャ派の画家たちとは一線を画し、特に官能的で劇的な表現、そして明暗の強いコントラストで知られています。
カニャッチは、グエルチーノやグイド・レーニといった巨匠たちのもとで学びましたが、彼らの古典的な理想化された美しさよりも、より写実的で感情的な、そして時には挑発的な主題を好みました。彼の作品には、肌の質感を強調した柔らかな肉体描写や、独特の陰影表現が多く見られます。
こちらの作品はGoogleのポリシー違反に該当する可能性があるため掲載を控えさせて頂いております。
Lucrèce (1657)
「ルクレティア」(Lucrèce)は、古代ローマの伝説的な女性ルクレティアを主題とした作品です。
ルクレティアの物語は、古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』などに記されており、ローマ王タルクィニウス・スペルブスの息子セクストゥス・タルクィニウスに貞操を奪われたルクレティアが、その名誉を守るために自害するという悲劇的な内容です。彼女の死は、共和政ローマ成立のきっかけとなったとされています。
カニャッチの「ルクレティア」は、この物語のクライマックス、すなわちルクレティアが自らの命を絶とうとする、あるいは絶った直後の瞬間を描いています。
Antonio de Pereda (1611-1678)
アントニオ・デ・ペレダ・イ・サルガドは、バリャドリッドで生まれ、マドリードで亡くなった、スペイン・バロック期の重要な画家です。彼は特に静物画(ヴァニタス)、宗教画、そして肖像画で知られています。
彼の作品の最大の特徴は、細部にわたる精密な描写、深い精神性、そしてしばしば象徴的な意味合いを持つ静物画にあります。

L’Immaculée Conception (1634)
「無原罪の御宿り」(L’Immaculée Conception)は、カトリック教会の重要な教義を表現した彼の宗教画です。
この作品は、聖母マリアが原罪に染まることなく、その存在の最初から完全に聖なる状態にあったという「無原罪の御宿り」の教義を視覚化したものです。この教義は、特にスペインにおいて深く信仰され、多くの画家によって描かれました。
Nicolas Chaperon (1612-1656)
ニコラ・シャペロンは、シャトードンで生まれ、リヨンで亡くなったフランスの画家、版画家です。彼は、17世紀フランス絵画の巨匠ニコラ・プッサンに師事し、その古典主義的な様式を受け継いだ重要な画家の一人として知られています。
シャペロンは、パリで学んだ後、1630年代にローマへと渡り、師プッサンの影響を強く受けました。彼はプッサンの作品を模写し、その構図や人物表現、特に古代の主題へのアプローチを熱心に学びました。ローマでは、同時代の画家たちとも交流を深め、自身の技量を磨きました。

La Charité de Saint Anne
「聖アンナの慈善」(La Charité de Sainte Anne)は、聖母マリアの母である聖アンナを主題とした宗教画です。
この絵画は、聖アンナが慈善行為を行っている場面、すなわち困窮している人々に施しを与えている様子を描いていると考えられます。聖アンナは、キリスト教において貞淑さや母性の象徴として崇敬されており、貧しい人々への施しは彼女の信仰心の深さと慈悲の心を表す行為です。
Thomas Blanchet (1614-1689)
トーマ・ブランシェは、パリで生まれ、リヨンで亡くなったフランスの画家、彫刻家、建築家です。彼は多才な芸術家で、特にリヨンにおいて、17世紀後半の美術と建築に大きな影響を与えました。
ブランシェは、パリでジャック・サラザン(彫刻家)やシモン・ヴーエ(画家)といった当時の主要な芸術家のもとで学びました。その後、イタリアへ渡り、ローマで約10年間過ごしました。このイタリアでの経験は、彼にバロック美術の壮大さ、特にピエール・ダ・コルトーナのフレスコ画やベルニーニの彫刻から強い影響を与えました。
1655年にリヨンに戻ったブランシェは、この街の主要な芸術家としての地位を確立しました。

Le Sacrifice de la fille de Jephté (1670-1680)
「エフタの娘の犠牲」(Le Sacrifice de la fille de Jephté)は、旧約聖書に記された悲劇的な物語を描いた彼の重要な歴史画です。
物語は、イスラエルの士師エフタ(イェフタ)が、アンモン人との戦いで勝利を収めるため、もし勝利すれば最初に家の戸口から出てきた者を主に捧げると誓いを立てたことに始まります。彼が帰還すると、最初に出てきたのは彼の唯一の娘でした。娘は父の誓いを知り、自らの運命を受け入れ、エフタは苦悩の末に誓いを果たします。
Giovan Battista Langetti (1625-1676)
ジョヴァン・バッティスタ・ランゲッティは、ジェノヴァで生まれ、ヴェネツィアで亡くなった、イタリアのバロック期の画家です。彼は特にテネブリスム(強烈な明暗法)を用いた劇的な表現で知られ、17世紀ヴェネツィア絵画に大きな影響を与えました。
ランゲッティは、当初ジェノヴァで学び、その後ローマへ移り住み、ピエトロ・ダ・コルトーナやマッティア・プレーティといった画家たちのもとで修行しました。特にプレーティからは、カラヴァッジョ派の劇的な明暗法や、力強い人物描写、そして哲学的な主題へのアプローチを深く学びました。

le bon samaritan (1660)
「良きサマリア人」(Le Bon Samaritain)は、新約聖書のルカによる福音書に記されたイエス・キリストのたとえ話を主題とした絵画です。
このたとえ話は、イエスが「隣人とは誰か」と問われた際に語ったもので、強盗に襲われ瀕死の状態にある旅人を、ユダヤ人である祭司やレビ人が見て見ぬふりをする中、異邦人であるサマリア人が憐れみを示し、手厚く介抱するという物語です。この物語は、真の隣人愛と慈悲の心を象徴しています。
ランゲッティの「良きサマリア人」は、彼の画風の最大の特徴である強烈なテネブリスム(明暗法)と、劇的な感情表現が遺憾なく発揮されています。
後期バロック~ロココ前夜(Late Baroque / Classicism)
Louis Cretey (1635-1702)
ルイ・クレテは、17世紀のフランスで活動した画家です。彼の生涯については多くの謎に包まれていますが、リヨンを拠点に活動し、バロック様式と、その後のロココ様式を橋渡しする重要な存在として知られています。
彼の作品は、光と影の劇的なコントラスト、そして人物の感情豊かな表現によって特徴づけられます。クレテは、特に宗教画を得意とし、その作品には、深い精神性と神秘的な雰囲気が漂っています。

Réfectoire Baroque バロック食堂
リヨン美術館のエントランスの右側に、バロック食堂があります。
残念ながらこの時は、修復作業が完了していなかったので、中には入れなかったのですが、本来はとても見ごたえのある場所です。

La Cène (1680-1690)
「最後の晩餐」(La Cène)は、彼のバロック様式とキアロスクーロ(明暗法)の技法がよく表れています。
クレテは、強い光と深い影を対比させることで、画面に劇的な緊張感を生み出しています。テーブルの周りに集う使徒たちの表情は、キリストの言葉に動揺し、感情に満ちています。特に、裏切り者ユダの姿は、影の中に隠れるように描かれ、その心理的な葛藤を暗示しています。
画面の中心にいるキリストから放たれる光は、この場面の神聖さを強調するとともに、真理や信仰の光を象徴しています。彼は、この光によって、使徒たちの感情や内面を浮かび上がらせ、物語に深みを与えています。
見ごたえのある「最後の晩餐」ですので、ぜひ立ち寄ってみてください。
Jean Jouvenet (1644-1717)
ジャン・ジュヴネは、ルーアンで生まれ、パリで亡くなった、フランスのバロック期後期の重要な画家です。彼は主に宗教画と歴史画で知られ、ルイ14世時代のフランス美術において高く評価されました。
ジュヴネは、画家の家系に生まれ、パリでシャルル・ル・ブランの工房で学びました。ル・ブランは、当時の王立絵画彫刻アカデミーの長であり、その古典主義的で壮大な様式はジュヴネに大きな影響を与えました。彼は1675年にアカデミーの会員となり、後に教授、そして学長代理にまで上り詰めました。

Le Repas chez Simon (1706)
「シモンの家での饗宴」(Le Repas chez Simon)は、新約聖書のルカによる福音書に記された、イエス・キリストと罪深い女(しばしばマグダラのマリアとされる)の有名なエピソードを描いた作品です。
物語は、ファリサイ派のシモンがイエスを食事に招いた際、その街の罪深い女がイエスのもとに現れ、イエスの足に香油を塗り、自分の髪で拭い、涙で濡らすという場面です。シモンは内心で女を軽蔑しますが、イエスは女の信仰と愛を称賛し、彼女の罪を赦します。
ジュヴネの「シモンの家での饗宴」は、この劇的かつ感情豊かな瞬間を見事に捉えています。

Les marchands chassés du Temple (1706)
「神殿から商人を追い出すキリスト」(Les marchands chassés du Temple)は、新約聖書の福音書に記された、イエス・キリストの重要な行動を描いた作品です。
この物語は、イエスがエルサレムの神殿に入り、そこで商人や両替商が神聖な場所を商業活動の場として利用しているのを見て激怒し、彼らを神殿から追い出したという出来事を描いています。これは、イエスの怒りと、神殿の純粋さを守ろうとする彼の決意を示す場面です。
Jean II Restout (1692-1768)
ジャン・レストゥー2世は、ルーアンで生まれ、パリで亡くなった、フランスのロココ期から新古典主義の移行期に活躍した画家です。彼は特に宗教画と歴史画で知られ、18世紀前半のフランス絵画において重要な位置を占めました。
彼は画家の家系に生まれ、叔父であるジャン・ジュヴネに師事しました。ジュヴネの工房で学び、その影響を強く受けながら、独自の画風を確立していきます。1717年にはローマ賞を受賞し、イタリアで学ぶ機会を得ましたが、健康上の理由から辞退しました。
1720年に王立絵画彫刻アカデミーの会員となり、後に教授、学長を務めました。

L’exaltation de la croix (1748)
「十字架の賛美」(L’Exaltation de la Croix)は、キリスト教の「十字架挙栄祭(十字架の発見と称賛を祝う祭日)」の主題、すなわちイエス・キリストの受難の象徴である十字架を崇め、その栄光を称える場面を描いています。しばしば、聖ヘレナ(コンスタンティヌス帝の母)が真の十字架を発見する伝説と関連づけて描かれることもあります。
Giovanni Niccolò Servandoni (1695-1766)
ジョヴァンニ・ニッコロ・セルヴァンドーニは、フィレンツェで生まれ、パリで亡くなった、イタリア系のフランス人建築家、舞台デザイナー、画家です。彼は特に、18世紀のフランスにおける演劇的で壮大な祝祭装飾や建築デザインで知られています。
1724年にパリのオペラ座(Académie Royale de Musique)の舞台装置主任に任命され、彼は革新的な舞台デザインを数多く生み出し、オペラやバレエのスペクタクル性を飛躍的に高めました。彼の舞台装置は、壮大な建築的要素と、光と影の劇的な効果を巧みに組み合わせたものでした。

Ruines romaines
「ローマの廃墟」(Ruines romaines)は、彼が建築家や舞台デザイナーとして培った知識と、古典古代への深い関心を反映した作品です。
セルヴァンドーニは、特にカプリッチョ(幻想的な風景画)のジャンルで知られ、古代ローマの遺跡を想像上の風景の中に再構築する絵画を得意としました。彼の「ローマの廃墟」は、単なる写実的な遺跡の描写にとどまらず、壮大な建築的要素と、光と影の劇的な効果を組み合わせることで、見る者に強い印象を与えることを意図しています。
まとめ
バロックからロココ前夜にかけての芸術の旅はいかがでしたでしょうか?
ヤン・ブリューゲル(父)の細密な自然描写と寓意性、セバスチャン・フランクスの壮大な歴史画。そして、イタリア・バロックを代表するグイド・レーニ、グエルチーノ、ジョヴァンニ・ランフランコ、ピエール・ダ・コルトーナらの感情豊かでドラマティックな表現。加えて、フランス古典主義の巨匠ニコラ・プッサンの理性的で構築的な美、スペイン・バロックのアントニオ・デ・ペレダの精神性、そしてトーマ・ブランシェ、ジャン・ジュヴネ、ジャン・レストゥー2世といったフランスの画家たちが築いた様式。さらに、ジョヴァンニ・ニッコロ・セルヴァンドーニの幻想的なローマ風景画まで、多岐にわたるバロック芸術の魅力に触れることができました。
これらの作品は、単なる絵画や彫刻という枠を超え、当時の宗教的、政治的、社会的な背景を色濃く反映しています。感情の起伏、光と影の演出、そして壮大なスケール感は、当時の人々が感じたであろう驚きや畏敬の念を、現代の私たちにも伝えてくれます。
リヨン美術館は、これらの素晴らしいコレクションを通して、バロックという時代の多様性と深さを余すことなく教えてくれます。それぞれの作品が持つ独自の輝きを、ぜひ現地で、五感を通して体験してみてください。写真だけでは伝えきれない、本物の芸術作品が放つ迫力と美しさに、きっと心が揺さぶられるはずです。
この記事が、あなたの次のリヨン訪問、そしてバロック美術への理解を深める一助となれば幸いです。
リヨン美術館に展示されている他の作品については以下の記事で詳しくご紹介させて頂いております。合わせてご参照ください。
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