【ルーアン美術館】18〜19世紀フランス絵画の魅力|新古典主義・ロマン主義の傑作を解説

【ルーアン美術館】18〜19世紀フランス絵画の魅力|新古典主義・ロマン主義 パリから日帰り旅行
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セーヌ川沿いの古都ルーアン。その中心にあるルーアン美術館には、フランス芸術の黄金期を彩った18〜19世紀前半の名画が眠っています。新古典主義の端正な構図、ロマン主義の情熱、そして花や静物に込められた繊細な美――。
本記事では、ルーアン美術館が誇るコレクションから、ジャン・フランス・ファン・ダール、エリーゼ・ブリュイエール、ジャン=バティスト・カミーユ・コローらの代表作を、実際の展示写真とともに詳しくご紹介します。作品に込められた時代背景や画家たちのエピソードも交え、美術館を歩くように楽しめる内容です。

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Pierre Puvis de Chavannes (1824-1898)

ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは、アカデミズムの厳格な伝統に根ざしながらも、象徴主義の先駆者として知られ、後の世代の画家たちに大きな影響を与えました。写実主義や印象派の流行とは一線を画し、主に装飾的な壁画の制作にその本質があります。

Inter artes et naturam

Inter artes et naturam (1890-95)

『Inter artes et naturam』(芸術と自然の間)は、美術館の階段ホールの壁画として描かれました。タイトルが示す通り、芸術と自然、そして人間の調和を象徴的に表現しています。

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Torello Ancillotti (1843-1899)

トレッロ・アンチロッティは、イタリアの画家で、ローマ派に属する風景画家として知られています。

アンチロッティはイタリア中部のペルージャで生まれ、ローマの美術アカデミーで学びました。彼はアカデミーで学んだ古典的な技法に加え、戸外で直接風景を描くスタイルを取り入れました。

彼の作品は、主にローマ近郊の田園風景や、素朴な人々の日常的な営みを主題としています。特に、光と大気の微妙な変化を捉えることに長けており、穏やかで詩的な雰囲気を醸し出しています。

アンチロッティは、印象派の画家たちとは異なり、色彩を細かく分割して描くことはありませんでしたが、光の効果を巧みに使い、写実的でありながらも抒情的な風景画を多く残しました。

Le Port de Rouen

Le Port de Rouen (1878)

《Le Port de Rouen 》「ルーアン港」は、産業と活気に満ちた港の風景をリアルに捉え、19世紀後半の都市の商業的側面を伝えています。細部まで丁寧に描かれた船や建物が特徴で、当時の港町の雰囲気を生き生きと表現しています。

George William Joy (1844-1925)

ジョージ・ウィリアム・ジョイは、アイルランド出身の画家で、特に歴史画、ジャンル画(風俗画)、肖像画で知られています。

彼の画風は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで流行したアカデミック・リアリズム(写実主義)に分類され、細部まで精緻に描かれた作品が特徴です。

彼は、歴史的な出来事、文学的な物語、そして日常生活の情景を劇的な構成で描き出しました。その作品はしばしば感情的で、物語性豊かなものとなっています。

Le sommeil de Jeanne d'Arc

Le sommeil de Jeanne d’Arc (1895)

《Le sommeil de Jeanne d’Arc》(ジャンヌ・ダルクの眠り)は、フランスの国民的英雄であるジャンヌ・ダルクが、故郷の村ドムレミの森で「神の声」を聞くという、伝説的な場面をロマンティックに描いています。

ジャンヌは森の草むらで眠りについており、彼女の頭上には天使たちが浮かび、彼女に神聖な啓示を与えているように見えます。この絵は、彼女の純粋さと信仰心を象徴的に表現しています。

ジャンヌダルクが天使によって見守られながら眠るこの作品はとても印象深いものでした。

Albert Lebourg (1849-1928)

アルベール・ルブールは、フランスの画家で、特に風景画を得意とした印象派の画家です。

ルブールはノルマンディー地方で生まれ、はじめは建築を学んでいましたが、絵画に転向しました。1872年から5年間、北アフリカのアルジェで美術教師を務め、その間に明るい光と色彩に触れたことが、彼の画風に大きな影響を与えました。

1877年にフランスに帰国した後、彼は印象派の画家たちと交流を深め、第4回印象派展(1879年)にも出品しました。

彼の画風は、クロード・モネやアルフレッド・シスレーに近く、光と大気の微妙な変化を捉えることに長けています。特に、パリのセーヌ川沿いの風景、ルーアンの港、ノルマンディー地方の田園風景を好んで描きました。

2000以上の風景画を残したと言われています。

La neige à Auvergne

La neige à Auvergne (1886)

《La neige à Auvergne》(オーヴェルニュの雪)は、フランス中部にある山岳地帯、オーヴェルニュ地方の雪景色を描いています。ルブールは、1886年から1890年代にかけてこの地を頻繁に訪れ、その雄大で厳しい自然の風景を好んで描きました。

この絵は、雪に覆われたなだらかな丘陵と、その上に広がる曇り空を捉えており、冬の静寂と清冽な空気感が漂っています。

Léon-Jules-Lemaître (1850-1905)

レオン=ジュール・ルメートルは、フランスの画家で、特に故郷ルーアンの風景画で知られる印象派の画家です。

ルメートルはルーアンで生まれ、生涯を通じてこの街と、その周囲に広がるノルマンディー地方の自然を愛しました。彼は、同郷の画家たちとともに「ルーアン派(École de Rouen)」と呼ばれるグループを形成し、印象派の技法を用いて地域の風景を描き続けました。

彼はクロード・モネと親交があり、モネの《ルーアン大聖堂》連作の制作時にも交流がありました。ルメートルは、モネと同様に、光と大気の変化が風景に与える影響を探求しました。

Rouen pont Corneille Lemaitre

Le Pont Corneille a Rouen (1891)

《Le Pont Corneille a Rouen》(ルーアンのコルネイユ橋)は、彼の故郷の風景を描いた代表的な作品の一つです。この作品は、セーヌ川にかかるコルネイユ橋と、川の両岸に広がる街並みを、穏やかな筆致で捉えています。

 La rue du gros horloge

La rue du gros horloge

LE PALAIS DE JUSTICE DE ROUEN

L’eglise Saint Maclou De Rouen

《La rue du Gros-Horloge》(大時計通り)は、ルーアンの象徴である大時計と、中世の面影を残す木骨造りの家々が並ぶ通りを主題としています。

《Le Palais de Justice de Rouen》(ルーアンの裁判所)は、ルーアンを代表する歴史的建造物である裁判所を描いています。この荘厳なゴシック建築が持つ重厚感と、それを包み込む柔らかな光や大気を対比させ、独自の視点から描きました。

《L’église Saint-Maclou de Rouen》(ルーアンのサン・マクルー教会)は、彼の故郷の歴史的建造物を描いた作品です。サン・マクルー教会は、ルーアン大聖堂と並んで街の象徴的な建築物です。

dieppe le quai du pollet

Dieppe le quai du Pollet (1890)

《Dieppe, le quai du Pollet》(ディエップのポレの岸壁)は、ノルマンディー地方のセーヌ=マリティーム県にある港町ディエップを描いています。この作品は、ディエップの港の中でも、特に伝統的な漁師地区である「ポレ」の岸壁の風景を描いています。

Charles Angrand (1854-1926)

シャルル・アングランは、フランスの画家で、新印象主義(Neo-Impressionism)運動の主要な人物の一人です。アングランはノルマンディー地方で生まれ、パリで絵画を学びました。彼は、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックといった画家たちと親しくなり、彼らが提唱した点描(Pointillism)技法を熱心に取り入れました。

ルーアンの美術学校で学んだ彼は、その晩年もルーアンで過ごすことになります。

vue interieure du musee de rouen

Vue intérieure du musée de Rouen (1880)

《Vue intérieure du musée de Rouen (1880)》(ルーアン美術館の内部)は、彼が新印象主義の画家となる前の、初期の作品です。

この作品は、アングランが故郷ルーアンの美術館内部を描いたものです。画面には、絵画を鑑賞する訪問客や、静かで厳粛な美術館の雰囲気が描かれています。

1880年という制作年は、アングランがまだジョルジュ・スーラやポール・シニャックと出会う前で、点描技法を確立する前の時期にあたります。そのため、彼の後の作品とは異なる、より写実的な画風が見られます。

Charles Frechon (1856-1929)

シャルル・フレション(1856-1929)は、フランスの画家で、故郷ルーアンの風景を専門に描いた「ルーアン派(École de Rouen)」の中心的な人物の一人です。フレションはルーアンで生まれ、生涯にわたりこの街と、その周囲に広がるノルマンディー地方の風景を描き続けました。彼は、同郷の画家たちとともにルーアン派を形成し、印象派の技法を独自の形で発展させました。

彼はクロード・モネの作品に大きな影響を受け、特に光と大気の移ろいを捉えることに情熱を注ぎました。

Rouen, Ile Lacroix, cours la Reine

Rouen, Ile Lacroix, cours la Reine 

《Rouen, Ile Lacroix, cours la Reine》(ルーアン、ラクロワ島、クール・ラ・レーヌ通り)は、ルーアンを流れるセーヌ川に浮かぶラクロワ島と、その対岸にあるクール・ラ・レーヌ通りの風景を主題としています。彼は、この場所が持つ穏やかな自然と、都市の街並みが織りなす景色を愛しました。

ラクロア島は、戦前ルーアンの産業と娯楽の中心地でした。

Mary Fairchild MacMonnies Low (1858-1946)

メアリー・フェアチャイルド・マクモニーズ・ロウは、フランスのジヴェルニーで活躍した、アメリカ人画家です。彼女は印象派の技法を習得し、特に風景画、風俗画、肖像画で知られています。

メアリーはコネチカット州で生まれ、セントルイスの美術学校で学んだ後、奨学金を得てパリへ留学しました。パリではアカデミー・ジュリアンで学び、フランスのサロンに出品を重ねました。

1888年に彫刻家のフレデリック・マクモニーズと結婚し、彼とともにクロード・モネが暮らすフランスのジヴェルニーに居を構えました。彼女の画風は、この地でモネらの影響を強く受け、戸外の自然光を捉える印象主義へと変化していきました。

彼女の作品は、明るい色調と繊細な筆致が特徴で、庭園や人物、そして穏やかな日常の情景を描きました。

Roses et Lys

Roses et Lys (1897)

《Roses et Lys (1897)》(バラとユリ)は、彼女のジヴェルニー時代の画風を象徴するもので、彼女が庭園で見たであろうバラやユリの美しさを、独自の感性で描き出しています。

Joseph Delattre (1858-1912)

ジョセフ・デラットルは、フランスの画家で、「ルーアン派(École de Rouen)」の創設者の一人として知られています。

デラットルはルーアンで生まれ、生涯を通じて故郷の風景を描き続けました。彼は、クロード・モネの作品から大きな影響を受け、印象派の技法をルーアンの地で独自の形で発展させました。

1895年にルーアンにアカデミーを設立し運営していました。

mon jardin au printemps

Mon jardin au printemps (1902)

《Mon jardin au printemps (1902)》(春の私の庭)は、花々が咲き誇り、木々が新緑に包まれる様子は、自然の再生と生命のエネルギーを表現しており、デラットルが戸外で絵を描くことを好んだ、印象派の画家であったことを示しています。

Péniche Pré aux Loups

Péniche Pré aux Loups

《Péniche Pré aux Loups》(プレ・オ・ルーの平底船)は、ルーアンのセーヌ川沿いにあるプレ・オ・ルーという場所を主題としています。この場所は、工業地帯でありながらも豊かな自然が残されており、デラットルは、川に浮かぶ平底船(運搬用の船)と、岸辺の木々が織りなす風景を、独自の力強い筆致で描き出しました。

Paul César Helleu (1859-1927)

ポール・セザール・エリューは、フランスの画家、版画家です。特に、上流階級の女性の肖像画や、エッチングの分野で知られています。

エリューはパリで生まれ、若くして画家となります。彼はジョン・シンガー・サージェントと親交を深め、その影響を受けました。彼の画風は、印象派の軽快なタッチと、アール・ヌーヴォーの優美な線描が融合した独特のものです。

特に、上流階級の女性の優雅な姿を、木炭やパステル、ドライポイント(銅版画の一種)を用いて描くことを得意としました。彼の作品に登場する女性たちは、洗練されたファッションに身を包み、当時の華やかな社交界の雰囲気を伝えています。

Paul César Helleu

Portrait de mary renard 

《Portrait de Mary Renard》「メアリー・レナードの肖像」は、繊細で優雅なタッチで、被写体であるメアリー・レナードの上品さや女性らしい魅力を柔らかく表現しています。ライトな線描と淡い色彩が特徴で、当時の上流社会の雰囲気を感じさせる作品です。

JULES-ALEXANDRE GRÜN (1868-1938)

ジュール=アレクサンドル・グランは、フランスの画家、イラストレーター、そしてポスター制作者です。特に、華やかなベル・エポック期のパリの社交界やナイトライフを描いた作品で知られています。

グランは、日常生活の風景や人物を、温かく親しみやすい雰囲気で描くことを得意としました。彼の画風は、ロココ時代の画家シャルダンの影響を受けており、写実的でありながらも、物語性豊かな情景を描き出しています。

UN VENDREDI AU SALON DES ARTISTES FRANÇAIS

UN VENDREDI AU SALON DES ARTISTES FRANÇAIS (1911)

《Un vendredi au Salon des artistes français 》(金曜日のフランス芸術家協会のサロン)は、彼の最も有名で、かつ大規模な作品です。

この作品は、1911年にパリのグラン・パレで開催された、フランス芸術家協会の年次公式サロンの開会式での賑わいを描いたものです。当時のパリにおいて、このサロンのオープニングは一大社交イベントであり、画家や批評家、上流階級の人々など、様々な人々が集いました。

グランは、この絵に100人以上の実在の人物を描き込みました。これは、当時のパリの芸術界を生き生きと記録した、歴史的にも貴重な作品です。

なお、この絵の中にはグリューン本人も描かれています。

Robert Antoine Pinchon (1886-1943)

ロベール・アントワーヌ・パンションは、フランスの画家で、故郷ルーアンを中心に活動した「ルーアン派」の中心的な人物の一人です。

パンションはルーアンで生まれ、幼い頃から絵画に才能を示しました。彼は、同郷の画家ジョセフ・デラットルの教えを受け、印象派の技法を学びました。

1905年には、後にフォーヴィスム(野獣派)を代表するアンリ・マティスらとともに、サロン・ドートンヌ(秋季展)に出品しました。初期のパンションの作品は、マティスやジョルジュ・ブラックから影響を受け、大胆で鮮やかな色彩が特徴です。

しかし、その後は故郷ルーアンの風景へと主題を戻し、印象派や後期印象派の技法を独自に発展させていきました。

Le Pont aux Anglais

Le Pont aux Anglais (1905)

《Le Pont aux Anglais 》(イギリス橋)は、彼が故郷ルーアンの風景を、大胆な色彩で描いた作品です。ルーアンを流れるセーヌ川にかかる「イギリス橋」と、川面に浮かぶ船、そして対岸の街並みが描かれています。

絵の中にある橋は、1856年に作られた橋であり、現在の橋とは姿が違います。

Vue prise au Mont-Gargan soleil couchant

Vue prise au Mont-Gargan soleil couchant

《Vue prise au Mont-Gargan, soleil couchant》(モン=ガルガンからの眺め、日没)は、ルーアンの南東にある高台モン=ガルガンから、街全体とセーヌ川を一望する日没の光景が主題となっています。彼は、この場所から見えるパノラマのような景色を、自身の感性を通して力強く描き出しました。

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まとめ

ルーアン美術館の18〜19世紀絵画は、時代の美意識と画家たちの情熱が交差する瞬間を今に伝えています。新古典主義の静謐な品格、ロマン主義の感情の高まり、そして市井の風景や花々に宿る生命感――。
記事で見た作品たちは、実物の前でこそ真価を発揮します。ルーアンを訪れたら、ぜひ美術館に足を運び、絵の中の光と空気を肌で感じてください。それはきっと、教科書では味わえない“時代を旅する”体験になるでしょう。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

ルーアン美術館に展示されている作品は以下の記事で詳しくご紹介させて頂いております。合わせてご参照ください。

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