19世紀のフランス絵画は、自然の美しさをありのままに描く「写実主義」や「バルビゾン派」の誕生、そしてその後の「印象派」へと続く、大きな転換期を迎えました。
リヨン美術館には、この時代のフランス美術を語る上で欠かせない巨匠たちの傑作が数多く収蔵されています。この記事では、風景画に革命をもたらしたコローから、独自の芸術世界を追求した画家たちまで、個性豊かな作品を写真と共に巡る旅にご案内します。絵画に込められた彼らの情熱や、移り変わる時代のエネルギーを、ぜひ一緒に感じてみませんか。
Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875)
ジャン=バティスト・カミーユ・コローは、19世紀のフランス絵画において、バルビゾン派を代表する風景画家として、また印象派の先駆者の一人として、美術史に大きな足跡を残しました。

L’Atelier (1870)
「アトリエ」(L’Atelier)は、彼が晩年に手がけた人物画の傑作の一つであり、風景画家としてのコローのイメージとは異なる一面を見せる作品です。

La rue des Saules à Montmartre (1850-60)
「モンマルトルのソーズ通り」(La rue des Saules à Montmartre)は、彼が都市の風景、特にパリの郊外の日常的な一角を描いた珍しい作品です。
この作品が描かれた1850年代から60年代にかけて、パリはオスマン男爵による大改造の最中にあり、多くの古い街並みが失われつつありました。コローが描いたモンマルトルもまた、当時はまだ村の面影を残す田園地帯と、開発の進む都市の境界に位置していました。

Champ de blé dans le Morvan (1842)
「モルヴァン地方の麦畑」(Champ de blé dans le Morvan)は、彼が得意とした自然風景画の重要な作品です。
モルヴァン地方は、フランス中央部のブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏に位置する、なだらかな丘陵と森林が広がる田園地帯です。コローは、この地を訪れ、その自然の美しさに触発されてこの作品を描きました。
Simon Saint-Jean (1808-1860)
シモン・サン=ジャンは、1808年にリヨンで生まれ、1860年に同地で亡くなったフランスの画家です。彼は19世紀中頃のフランス美術において、特に花卉画(花の絵)の分野で卓越した才能を発揮し、「リヨンの花卉画派」の中心人物として知られています。
数々の賞を受賞していますが、ボードレールなどからは批判されていました。

La Jardiniere (1837)
「植木鉢」(La Jardinière)は、彼が得意とした花卉画の傑作の一つです。
Adolphe Appian (1818-1898)
アドルフ・アピアンは、主に風景画、特に湿地帯や河川の風景、そして木々の多い自然の情景を得意としました。
アピアンは、リヨンの美術学校でジャン=ミッシェル・ジロダンに師事し、初期には新古典主義の厳格なデッサンを学びました。しかし、彼はすぐに戸外制作の魅力に取りつかれ、自然の中で直接風景を描くことに情熱を傾けました。彼は、バルビゾン派の画家たち、特にジャン=バティスト・カミーユ・コローやシャルル=フランソワ・ドービニーの影響を強く受け、彼らと交流を持つようになりました。

Temps gris, marais de la Burbanche (1868)
「曇り空、ブルバンシュの湿地」(Temps gris, marais de la Burbanche)は、彼が得意とした湿地の風景を描いた、彼の代表的な作品の一つです。ブルバンシュ(Burbanche)は、フランス東部、アン県に位置する湿地帯で、アピアンはしばしばこの地域の自然を主題としました。
Jacques-Joseph Baile (1819-1856)
ジャック=ジョゼフ・バイユは、故郷リヨンで絵画の基礎を学び、その後パリへ出て、当時の著名な画家たちの工房で研鑽を積みました。彼は新古典主義の厳格なデッサンと、アカデミックな絵画の伝統を受け継ぎました。1846年にはローマ賞を受賞し、イタリアへ留学する機会を得ます。このローマでの滞在は、彼の芸術に大きな影響を与え、古典美術やイタリアの巨匠たちの作品を直接学ぶことで、自身の画風を深めました。

Fleurs au pied d’un rocher (1851)
「岩の麓の花々」は、ジャック=ジョゼフ・バイユの多岐にわたる才能と、自然の細部に対する深い観察眼を示す貴重な作品です。
Joseph Alfred Bellet du Poisat (1823-1883)
ジョゼフ・アルフレッド・ベルレ・デュ・ポワザは、リヨンで絵画を学び、初期にはより伝統的なアカデミックな様式で制作していました。しかし、彼はすぐに戸外制作(プレイン・エア)に魅了され、自然の中での直接的な観察を重視するようになります。彼の画風は、ジャン=バティスト・カミーユ・コローやバルビゾン派の画家たちから強い影響を受けており、彼らと同様に、光と大気の変化を捉えることに情熱を注ぎました。

Les Hébreux conduits en captivité (1864)
「捕囚に連行されるヘブライ人」(Les Hébreux conduits en captivité)は、彼の作品としては珍しい、旧約聖書に題材をとった歴史画・宗教画です。
この作品は、旧約聖書の「バビロン捕囚」を主題としています。これは、紀元前6世紀初頭に新バビロニア王国によってユダ王国が滅ぼされ、多くのユダヤ人(ヘブライ人)がバビロンに強制移住させられた歴史的出来事です。この出来事は、ユダヤ人の歴史において大きな悲劇であり、ディアスポラの始まりを象徴しています。
Louis Janmot (1814-1892)
ルイ・ジャンモは、リヨンで生まれ、パリで亡くなったフランスの画家、詩人です。彼は19世紀のフランス美術において、アカデミズムとロマン主義、そして象徴主義を結びつける重要な役割を果たしました。特に、生涯をかけて取り組んだ大作「魂の詩」(Le Poème de l’âme)で知られています。
ジャンモは、リヨンの美術学校で学び、その後パリへ出て、新古典主義の画家ドミニク・アングルに師事しました。しかし、彼はアングルの厳格なスタイルに満足せず、ドイツ・ロマン主義や、キリスト教神秘主義から強い影響を受け、独自の芸術世界を築き始めます。
彼の画業における最大の功績は、絵画と詩を組み合わせた、壮大な連作「魂の詩」を制作したことです。この連作は、人間の魂が地上に誕生してから、善と悪の間で葛藤し、最終的に神のもとへと昇華していく物語を、34点の油彩画と、それに付随する18点のデッサン、そして詩によって描いたものです。この作品は、彼が晩年まで加筆を続けた、まさに彼の人生そのものでした。
今回ご紹介する「Le Poème de l’âme」(魂の詩)は、1855年の万国博覧会に出品された作品です。残念ながら当時の評判はあまり良くなかったようです。今回は油彩画のみのご紹介になります。制作は1835-55年です。

1 Génération divine (神の創造)
「神の創造」は、その物語の始まり、すなわち魂が神によって創造される場面を描いています。

2 Le Passage des âmes (魂の道)
「魂の道」は、人間の魂が地上に生まれ、善と悪の間で葛藤し、最終的に神のもとへと昇華する物語を描いたものです。この「魂の道」は、前作の「神の創造」に続き、神によって創造された魂たちが、地上へと旅立つ場面を描いています。

3 L’Ange et la mère(天使と母)
「天使と母」は、前作の「魂の道」に続き、魂が地上に降り立ち、母のもとで人間として生を始める場面を描いています。守護天使が天に向かって祈っています。

4 Le Printemps(春)
「春」は、物語の主人公である少年と少女が、無垢な愛と自然の美しさの中で成長する時期を描いています。男の子はピンクの服を着て、女の子は白い服を着ています。子供時代の無邪気さが描かれています。

5 Souvenir du ciel(天の記憶)
「天の記憶」は、物語の主人公である少年が、純粋な魂の記憶をたどる姿を描いています。2人の子供を通じて、神と人間のつながりを表現しています。リヨンのMulatièreが背景に描かれています。

6 Le Toit paternel(父の家)
「父の家」は、物語の主人公である少年と少女が、初めて孤独と、社会という外部の世界に直面する場面を描いています。2人の子供は、窓際で稲妻を見ています。祖母は詩を読み、2人の女性は裁縫をしています。奥には、老婆と30歳位のジャンモが座っています。

7 Le Mauvais Sentier(悪い道)
「悪い道」は、物語の主人公である少年が、誘惑に負け、初めて「悪」に直面する場面を描いています。
大学の通路に、教師が並んでいるが、偽りの科学により、欺かれた理想と信仰をもって出口のない階段を上って行かなくてはならい様子が描かれています。カトリック教徒であるジャンモから見た当時の社会に対する考えが表現されているのかも知れません。歴史的背景もあり、解釈が難しい1枚です。

8 Cauchemar(悪夢)
老婆(死)が、少女を捕まえ、少年をも捕まえようとしています。逃げる少年の足元が崩れています。罪のない若い魂を、人間が腐敗させようとしている様子が描かれています。

9 Le Grain de blé(小麦の粒)
司祭が2人の若者に信仰を説いている場面です。
司祭は、手に一粒の小麦を持ち、彼らに命と信仰の尊さを説いています。この一粒の小麦は、キリスト教の教え、特に「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである」という聖書の言葉を象徴しています。これは、自己を犠牲にして他者に尽くすこと、そして信仰によって新しい命が生まれることを示唆しています。

10 Première Communion(初聖体拝領)
「初聖体拝領」(Première Communion)は、少年の魂が、信仰という新しい道へと進む重要な儀式を描いています。聖体拝領は、聖餐とも言われ、イエスの最後の晩餐に由来する儀式です。サンジャン大教会で行われています。

11 Virginitas(純潔)
「純潔」(Virginitas)は、魂が再び純粋さを取り戻し、神との関係を深める様子を描いています。幸せは純粋な心であり、目に見えないものが彼らに明かされます。

12 L’Échelle d’or(黄金の階段)
「黄金の階段」(L’Échelle d’or)は、魂が地上の苦悩を乗り越え、天上の世界へと近づく様子を描いています。夫婦が森で寝ていると、9人の天使が神に通じる階段に現れます。それぞれが、芸術に関連するシンボルを持っているので、美と芸術に敬意を表しています。

13 Rayons de soleil(太陽の光)
「太陽の光」(Rayons de soleil)は、魂が神の恩寵と生命の喜びを感じる様子を、象徴的に表現しています。その一方で、地上の幸福の脆さを表現しています。黒髪の女性は誘惑の象徴として描かれています。

14 Sur la Montagne(山頂)
「山頂」(Sur la Montagne)は、魂が地上の欲望や誘惑を乗り越え、精神的な高みに達した様子を描いています。純潔に生きる愛のすべての段階を経た二人は、精神的な旅の段階を表しています。

15 Un Soir(ある夜)
山頂にたどり着いた少年と少女が、夕暮れの光の中でたたずんでいます。彼らの視線は遠くをさまよい、喜びと達成感、そして同時に旅の終わりを予感させるような、感傷的な雰囲気が漂っています。安らぎは一時的なものであり、夕暮れの光は、物語の次の展開、すなわち別れと死の到来を暗示しています。

16 Le Vol de l’âme(魂の飛行)
主人公の魂の伴侶であった少女が亡くなった後、彼女の魂が天に向かって飛び立つ幻想的な場面が描かれています。これは、肉体の死と魂の永遠性を対比させる、物語の非常に重要な場面です。
人生における喪失と、死を乗り越える信仰の力を象徴的に表現しています。少女の死は、少年が地上で直面する最大の悲劇ですが、彼女の魂が天へ昇る姿は、真の愛と信仰は死をも超越するという、希望のメッセージを伝えています。

17 L’Idéal(理想)
彼らは、もはや地上の悲しみや誘惑にとらわれることなく、純粋な愛と信仰によって結ばれ、より高い次元の世界へと昇華しようとしています。
肉体的な死を超越した精神的な愛と、信仰の力によって魂が救済されるという、連作全体のクライマックスを象徴的に表現しています。少年と少女の姿は、魂が、完全な調和と至福の状態に達したことを示しています。

18 Réalité(現実)
天上の理想を見上げていた主人公が、再び地上に引き戻され、孤独で過酷な現実と向き合う姿が描かれています。荒涼とした風景の中、うつむき歩く主人公の姿は、理想と現実の落差、そして魂の試練を象徴しています。
彼が最初の聖体拝領の時の十字架に跪いているので、彼女を失ったことを表しています。
Jean Seignemartin (1848-1875)
ジャン・セニュマルタンは、リヨンで生まれ、同地で亡くなったフランスの画家です。彼はわずか27歳でその短い生涯を終えましたが、リヨンの美術界、特にリヨン派の次世代を担う存在として将来を嘱望されていました。

Nature Morte (1874)
「静物」(Nature Morte)は、彼が得意とした静物画の傑作であり、彼の才能を象徴する作品です。
この作品は、彼がスペインの巨匠たち、特にフランシスコ・ゴヤから受けた影響を明確に示しています。
Jean-François Raffaëlli (1850-1924)
ジャン=フランソワ・ラファエリは、印象派と象徴主義の狭間で、特にパリの庶民の生活や都市風景を主題とした独自のスタイルを確立しました。
若い頃から演劇や音楽にも関心を持ち、芸術的な才能を多方面で発揮しました。彼は、印象派の画家たち、特にエドガー・ドガと親交を深め、1880年の第5回印象派展に参加しました。しかし、彼の作品は、光の描写に重点を置く他の印象派の画家たちとは異なり、社会の周縁に生きる人々や、都市の現実的な風景に焦点を当てていました。

Chez le fondeur (1886)
「鋳物工場にて」(Chez le fondeur)は、彼が特に好んで描いた労働者階級の生活を主題とした作品です。
ラファエリは、当時の印象派の画家たちが避けていたような、パリ郊外の工業地帯や、そこで働く人々を好んで描きました。この作品もまた、彼の社会的な視点と、独自の写実主義が融合した傑作です。
まとめ
いかがでしたか?これらの作品は、単に美しい絵画というだけでなく、画家たちが時代の大きな流れの中で、自らの表現方法を模索した証です。
光の移ろいを捉えた風景画、花一輪の生命力を写し取った静物画、そして魂の旅路をたどる物語画。リヨン美術館は、19世紀フランス美術の豊かな多様性を一堂に味わえる、まさに美術史の宝庫と言えるでしょう。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
リヨン美術館に展示されている他の作品については以下の記事で詳しくご紹介させて頂いております。合わせてご参照ください。
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