リヨン美術館コレクションパート2をご紹介します。
今回は18世紀~19世紀の画家が中心になっています。
リヨン美術館についての詳しい情報は、こちらをご覧ください。

第1回リヨン美術館コレクションは、こちらをご覧ください。

- Jan Frans van Dael (1764-1840)
- Élise Bruyère (1776-1847)
- Fleury François Richard (1777-1852)
- François Joseph Heim (1787-1865)
- Nicolas Toussaint Charlet (1792-1845)
- Victor Orsel (1795-1850)
- Jean-Claude Bonnefond (1796-1860)
- Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875)
- Paul Chenavard (1807-1895)
- Simon Saint-Jean (1808-1860)
- Adolphe Appian (1818-1898)
- Jacques-Joseph Baile (1819-1856)
- Joseph Alfred Bellet du Poisat (1823-1883)
- Pierre Puvis de Chavannes (1824-1898)
- Eugène Boudin (1824-1898)
- Camille Pissarro (1830-1903)
- Édouard Manet (1832-1883)
- Edgar Degas (1834-1917)
- Henri Fantin-Latour (1836-1904)
- Alfred Sisley (1839-1899)
- Paul Cézanne (1839-1906)
- Claude Monet (1840-1926)
- Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)
- Berthe Morisot (1841-1895)
- Albert Maignan (1845-1908)
- Paul Gauguin (1848-1903)
- Jean Seignemartin (1848-1875)
- Jean-François Raffaëlli (1850-1924)
- Henri Jean Guillaume Martin (1860-1943)
- まとめ
Jan Frans van Dael (1764-1840)
ヤン・フランス・ファン・ダールは、アントウェルペンで生まれ、パリで亡くなった、ベルギー出身の静物画家です。彼は特に花卉画(静物画の一種で、花を描いたもの)の分野で卓越した技量を発揮し、18世紀末から19世紀初頭にかけてのパリで高い評価を得ました。

Fleurs dans une corbeille (1806)
「籠の中の花」(Fleurs dans une corbeille)は、彼の得意とする花卉画(かきが)の代表的な作品の一つです。
この作品は、様々な種類の花が丁寧に編まれた籠の中に活けられている様子を描いています。ファン・ダールは、その驚くべき写実性と細密な描写で、それぞれの花の美しさを際立たせています。

Vase de fleurs avec une tubéreuse cassée (1807)
「折れたテュベローズのある花瓶」(Vase de fleurs avec une tubéreuse cassée)は、彼の繊細な花卉画の中でも特に象徴的な意味合いを持つ作品です。タイトルが示す通り、一本のテュベローズ(月下香)が折れて花瓶の外に垂れ下がっているのが特徴です。
Élise Bruyère (1776-1847)
エリーズ・ブリュイエールは、フランスの女性画家です。彼女は特に肖像画と花の静物画を中心に描いていました。

Fleur dans un vase et blanche de prunier sur une table de marbe (1817)
「花瓶の花と大理石のテーブルの上の白いスモモ」は、彼女が手掛けた静物画の中でも特に優れた作品の一つです。華やかな花々が生けられたガラスの花瓶と、その傍らの大理石のテーブルに置かれた白いスモモの枝という、比較的シンプルな構成ながらも、画家エリーズ・ブリュイエールの卓越した描写力が際立っています。
Fleury François Richard (1777-1852)
フルーリー・フランソワ・リシャールは、フランス・リヨンの画家です。彼は、19世紀初頭のフランス絵画において、トルバドゥール様式と呼ばれる歴史画の一派を代表する画家の一人として知られています。
リシャールは、アントワーヌ=ジャン・グロの工房で学んだ後、ジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子となりました。しかし、ダヴィッドの壮大で英雄的な新古典主義の歴史画とは異なり、リシャールはより個人的で、詩的、そして感情に訴えかけるような歴史の場面を描くことに傾倒しました。

Jeune fille à la fontaine (1825)
「泉の少女」(Jeune fille à la fontaine)は、彼が得意としたトルバドゥール様式の影響が見られる、詩的で感傷的な作品です。
この作品は、歴史上の具体的な出来事というよりは、中世やロココ時代の牧歌的な情景を思わせるような、静かで叙情的な場面を描いています。泉の傍らに佇む若い女性の姿を通じて、純粋さや郷愁、あるいは仄かなロマンティックな雰囲気を表現しています。
François Joseph Heim (1787-1865)
フランソワ=ジョゼフ・エイムは、ベルフォールで生まれ、パリで亡くなったフランスの画家です。彼は19世紀前半のフランス美術を代表する歴史画家であり、新古典主義の伝統を受け継ぎながらも、ロマン主義の興隆期を生きました。
エイムは、当時のフランス美術界の巨匠フランソソワ=アンドレ・ヴァンサンとフランソワ=グザヴィエ・ファーブルに師事しました。彼は優れたデッサン力と構成力を持ち、1807年にはローマ賞を受賞し、イタリアで学ぶ機会を得ました。ローマ滞在中に、彼はミケランジェロ、ラファエロなどの古典美術を深く研究し、その後の画業に大きな影響を受けました。

La défaite des Cimbres et des Teutons par Marius (1853)
「マリウスによるキンブリ族とテウトネス族の敗北」(La défaite des Cimbres et des Teutons par Marius)は、古代ローマ史の重要な出来事を描いた、彼の壮大な歴史画です。
この作品が描いているのは、紀元前2世紀末にローマを脅かしたゲルマン民族のキンブリ族とテウトネス族(チュートン族)が、ローマの将軍ガイウス・マリウスによって壊滅的な敗北を喫した歴史的な戦いです。特に紀元前102年のアクアエ・セクスティアエの戦い(テウトネス族に対して)と、紀元前101年のウェルケラエの戦い(キンブリ族に対して)は、ローマの危機を救った重要な勝利として知られています。
Nicolas Toussaint Charlet (1792-1845)
ニコラ・トゥサン・シャルレは、フランスの画家、版画家です。彼は特に軍事画、特にナポレオン時代の兵士たちの日常生活や戦闘場面を描いた作品で知られています。
シャルレは、初期にはジャック=ルイ・ダヴィッドの工房で学びましたが、彼の画風はダヴィッドの新古典主義の厳格さとは異なり、より写実的で感情的な、そして時にはユーモラスなタッチが特徴です。彼はフランス軍、特にナポレオンの兵士たちへの強い愛着と敬意を抱いており、彼らの姿を英雄的であると同時に人間味豊かに描きました。

Épisode de la campagne de Russie (1836)
「ロシア戦役の一場面」(Épisode de la campagne de Russie)は、ナポレオンが指揮した1812年のロシア遠征における悲惨な状況を描いた作品です。
この作品は、ナポレオン戦争の中でも特に苛酷で、フランス軍に壊滅的な打撃を与えたロシアからの撤退の様子を描いています。飢え、寒さ、そしてロシア軍の追撃に苦しみながら、何十万人もの兵士が命を落としたこの撤退は、ナポレオンの神話に大きな傷跡を残しました。
Victor Orsel (1795-1850)
ヴィクトール・オルセルは、フランスの画家です。彼は19世紀前半のフランス美術において、厳格な宗教画と、ナザレ派の影響を受けた初期ルネサンス絵画への回帰を追求したことで知られています。
オルセルは、リヨンでピエール・レヴォワルに師事した後、パリのピエール=ナルシス・ゲランの工房で学びました。ゲランは新古典主義の画家ですが、オルセルはより精神的で、簡素な表現へと傾倒していきます。1822年にはローマ賞を受賞し、イタリアで8年間を過ごしました。このローマ滞在中に、彼は特に初期ルネサンスの画家たち(フラ・アンジェリコ、ペルジーノなど)や、ラファエロの初期の作品に深く感銘を受け、彼らの純粋で敬虔な精神性を自身の芸術に取り入れようとしました。

Moïse enfant présenté à Pharaon (1830)
「幼いモーセのファラオへの提示」(Moïse enfant présenté à Pharaon)は、旧約聖書に記されたモーセの幼少期の物語を描いた作品です。
この作品が描いているのは、ヘブライ人の幼児をすべて殺害せよとのファラオの命令から逃れるため、ナイル川に流されたモーセが、ファラオの娘によって発見され、その養子としてファラオの宮廷に迎え入れられるという重要な場面です。

Le Bien et le Mal (1832)
「善と悪」(Le Bien et le Mal)は、彼の画業を象徴する重要な作品であり、道徳的・宗教的な寓意を深く掘り下げた絵画です。
この絵画は、明確な物語というよりも、普遍的な概念である「善」と「悪」の対立、そしてそれらが人間にもたらす影響を視覚的に表現しています。オルセルが、イタリア滞在中に感銘を受けた初期ルネサンスの画家たち、特にフラ・アンジェリコのような画家の精神性を、19世紀の感覚で再解釈しようとした試みが見られます。
Jean-Claude Bonnefond (1796-1860)
ジャン=クロード・ボンヌフォンは、フランスの画家です。
ボンヌフォンは、リヨンでピエール・レヴォワルに学び、その後パリで著名な新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲランの工房で研鑽を積みました。1818年にはローマ賞を受賞し、イタリアで約10年間を過ごしました。このローマ滞在は彼の芸術に決定的な影響を与え、彼はラファエロやその弟子たちの作品を深く研究し、古典主義的な厳格さと精神性を自身の画風に取り入れました。

Cérémonie de l’eau sainte dans l’église Saint Athanase des Grecs catholiques à Rome (1830)
「ローマのカトリック・ギリシャ教会聖アタナシオスにおける聖水の儀式」は、イタリア滞在中の経験を反映した貴重な風俗画、あるいは宗教風俗画です。
この作品は、ローマに存在するギリシャ・カトリック教会、つまり東方典礼を受け入れつつローマ教皇庁と一致している教会で執り行われる聖水の儀式の様子を描いています。これは、カトリック世界の多様性を示すと同時に、異文化へのボンヌフォンの関心を示しています。
Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875)
ジャン=バティスト・カミーユ・コローは、19世紀のフランス絵画において、バルビゾン派を代表する風景画家として、また印象派の先駆者の一人として、美術史に大きな足跡を残しました。

L’Atelier (1870)
「アトリエ」(L’Atelier)は、彼が晩年に手がけた人物画の傑作の一つであり、風景画家としてのコローのイメージとは異なる一面を見せる作品です。

La rue des Saules à Montmartre (1850-60)
「モンマルトルのソーズ通り」(La rue des Saules à Montmartre)は、彼が都市の風景、特にパリの郊外の日常的な一角を描いた珍しい作品です。
この作品が描かれた1850年代から60年代にかけて、パリはオスマン男爵による大改造の最中にあり、多くの古い街並みが失われつつありました。コローが描いたモンマルトルもまた、当時はまだ村の面影を残す田園地帯と、開発の進む都市の境界に位置していました。

Champ de blé dans le Morvan (1842)
「モルヴァン地方の麦畑」(Champ de blé dans le Morvan)は、彼が得意とした自然風景画の重要な作品です。
モルヴァン地方は、フランス中央部のブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏に位置する、なだらかな丘陵と森林が広がる田園地帯です。コローは、この地を訪れ、その自然の美しさに触発されてこの作品を描きました。
Paul Chenavard (1807-1895)
ポール・シュナヴァールは、フランスの画家です。彼は19世紀中頃のフランス美術において、歴史画の伝統を追求しながらも、哲学的な寓意や普遍的な思想を表現しようとしたことで知られています。
シュナヴァールは、パリで古典主義の巨匠ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルとポール・ドラローシュに学びました。彼は若い頃から才能を発揮し、特に歴史や哲学、宗教に深い関心を持っていました。彼の作品は、単なる物語の描写にとどまらず、人類の歴史や運命、善悪の概念といった壮大なテーマを象徴的に表現しようとしました。
1848年、パリ・パンテオンの内装装飾を行いました。

La Palingénésie sociale ou La Philosophie de l’histoire (1850)
「社会の新生、あるいは歴史の哲学」(La Palingénésie sociale ou La Philosophie de l’histoire)は、彼の画業の中でも最も野心的で、かつ未完に終わった記念碑的な作品群の総称です。
この作品群は、もともとパリのパンテオンの壁画として依頼されたもので、人類の歴史全体を哲学的・象徴的に描くことを意図していました。「パリンジェネジー(Palingénésie)」とは「再生」や「新生」を意味し、これは人類社会の絶え間ない進化と精神的向上を象徴しています。

César (1850)
「カエサル」(César)は、古代ローマの偉大な指導者ガイウス・ユリウス・カエサルを主題とした絵画です。
この絵画も、パリのパンテオンのために構想された「社会の新生、あるいは歴史の哲学」というテーマに関連して制作されたものと考えられます。カエサルは、単なる歴史上の人物としてだけでなく、人類の歴史における転換期を象徴する、偉大な指導者、あるいは運命の担い手としての意味合いを持って描かれています。
Simon Saint-Jean (1808-1860)
シモン・サン=ジャンは、1808年にリヨンで生まれ、1860年に同地で亡くなったフランスの画家です。彼は19世紀中頃のフランス美術において、特に花卉画(花の絵)の分野で卓越した才能を発揮し、「リヨンの花卉画派」の中心人物として知られています。
数々の賞を受賞していますが、ボードレールなどからは批判されていました。

La Jardiniere (1837)
「植木鉢」(La Jardinière)は、彼が得意とした花卉画の傑作の一つです。
Adolphe Appian (1818-1898)
アドルフ・アピアンは、主に風景画、特に湿地帯や河川の風景、そして木々の多い自然の情景を得意としました。
アピアンは、リヨンの美術学校でジャン=ミッシェル・ジロダンに師事し、初期には新古典主義の厳格なデッサンを学びました。しかし、彼はすぐに戸外制作の魅力に取りつかれ、自然の中で直接風景を描くことに情熱を傾けました。彼は、バルビゾン派の画家たち、特にジャン=バティスト・カミーユ・コローやシャルル=フランソワ・ドービニーの影響を強く受け、彼らと交流を持つようになりました。

Temps gris, marais de la Burbanche (1868)
「曇り空、ブルバンシュの湿地」(Temps gris, marais de la Burbanche)は、彼が得意とした湿地の風景を描いた、彼の代表的な作品の一つです。ブルバンシュ(Burbanche)は、フランス東部、アン県に位置する湿地帯で、アピアンはしばしばこの地域の自然を主題としました。
Jacques-Joseph Baile (1819-1856)
ジャック=ジョゼフ・バイユは、故郷リヨンで絵画の基礎を学び、その後パリへ出て、当時の著名な画家たちの工房で研鑽を積みました。彼は新古典主義の厳格なデッサンと、アカデミックな絵画の伝統を受け継ぎました。1846年にはローマ賞を受賞し、イタリアへ留学する機会を得ます。このローマでの滞在は、彼の芸術に大きな影響を与え、古典美術やイタリアの巨匠たちの作品を直接学ぶことで、自身の画風を深めました。

Fleurs au pied d’un rocher (1851)
「岩の麓の花々」は、ジャック=ジョゼフ・バイユの多岐にわたる才能と、自然の細部に対する深い観察眼を示す貴重な作品です。
Joseph Alfred Bellet du Poisat (1823-1883)
ジョゼフ・アルフレッド・ベルレ・デュ・ポワザは、リヨンで絵画を学び、初期にはより伝統的なアカデミックな様式で制作していました。しかし、彼はすぐに戸外制作(プレイン・エア)に魅了され、自然の中での直接的な観察を重視するようになります。彼の画風は、ジャン=バティスト・カミーユ・コローやバルビゾン派の画家たちから強い影響を受けており、彼らと同様に、光と大気の変化を捉えることに情熱を注ぎました。

Les Hébreux conduits en captivité (1864)
「捕囚に連行されるヘブライ人」(Les Hébreux conduits en captivité)は、彼の作品としては珍しい、旧約聖書に題材をとった歴史画・宗教画です。
この作品は、旧約聖書の「バビロン捕囚」を主題としています。これは、紀元前6世紀初頭に新バビロニア王国によってユダ王国が滅ぼされ、多くのユダヤ人(ヘブライ人)がバビロンに強制移住させられた歴史的出来事です。この出来事は、ユダヤ人の歴史において大きな悲劇であり、ディアスポラの始まりを象徴しています。
Pierre Puvis de Chavannes (1824-1898)
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは、19世紀後半のフランス美術において、象徴主義の主要な先駆者の一人として、また公共建築物の壁画で特にその名を知られています。
日本でも早くから認知されていて、ピカソもシャヴァンヌの模写をしていたと言われています。
こちらの作品はGoogleのポリシー違反に該当する可能性があるため掲載を控えさせて頂いております。
L’Automne (1864)
「秋」(L’Automne)は、彼が確立した独特の、静謐で寓意的な風景画の初期の作品です。
この作品は、具体的な物語を描くというよりは、季節の移ろい、特に秋の象徴的な雰囲気を表現しています。
Eugène Boudin (1824-1898)
ウジェーヌ・ブーダンは、19世紀のフランス絵画において、印象派の先駆者として、特に「空の王者」と称されるほど優れた戸外制作による風景画、特に海景画や海岸の情景で知られています。
ブーダンは船乗りの息子として育ち、ル・アーヴルで文具・額縁店を営んでいました。そこでジャン=フランソワ・ミレーなどの画家と出会い、絵画の道へと進むよう勧められます。彼はパリで一時的に学びましたが、生涯のほとんどをノルマンディー地方の海岸で過ごし、その地の移ろいゆく光と大気を描き続けました。
彼の画業における最大の功績は、若き日のクロード・モネに戸外制作(plein air)の重要性を教え、彼を風景画家へと導いたことです。ブーダンは、スタジオで描くのではなく、直接自然の中で、その場の光や空気、天候の変化を素早く捉えることに情熱を注ぎました。
ボードレールやコローから絶賛された画家です。

Voiliers au port (Deauville) (1896)
「港の帆船(ドーヴィル)」(Voiliers au port (Deauville))は、彼の晩年の作品であり、彼が生涯を通じて描き続けた港と海景のテーマにおける熟練した技量を示すものです。
ドーヴィルは、フランス北西部のノルマンディー地方にある有名な海水浴地であり、港湾都市でもあります。ブーダンは、この地の移ろいゆく光と大気を描き続けることに生涯を捧げました。

Trouville le port (1864)
「トゥルーヴィル港」(Trouville le port)は、彼が特に好んで描いたノルマンディー地方の港町の情景を捉えた代表的な作品の一つです。
トゥルーヴィル=シュル=メールは、ドーヴィルの対岸に位置する人気の海水浴地であり、活気ある港町でもあります。
Camille Pissarro (1830-1903)

Le Pont-Neuf (1902)
印象派を代表する一人であるピサロは、全8回開かれた印象派展、すべてに参加した唯一の画家です。
作品は、セーヌ川にかかるポンヌフ橋を描いた作品です。

Kew Greens (1892)
Édouard Manet (1832-1883)

Marguerite Gauthier-Lathuille (1879)
写実主義から印象派への移行期に極めて重要な役割を果たしたマネ。
印象派の先駆者と考えられています。
後のフランス芸術界に多大なる影響を与えた人物ですので、興味のある方はぜひ詳しく調べてみてください。
この作品は、「白の少女」とも呼ばれています。

Jeune fille dans les fleurs (1879)
Edgar Degas (1834-1917)

Danseuses sur la scène (1889)
バレエを扱った作品が多いドガ。
そのシーンは、ロマンティックバレエの風景になっています。
印象派の創立メンバーでもあります。
但し、本人は印象派に属することを望んでいませんでした。
Henri Fantin-Latour (1836-1904)

Les roses (1889)
フランスの画家、リトグラフ版画家。
現在でも非常に人気の高い画家です。
Alfred Sisley (1839-1899)

La seine à marly (1876)
フランス生まれのイギリス人であるシスレーは、生涯900点ほどの作品を残していますが、そのほとんどがパリ周辺の風景を描いています。
印象派を代表する作家です。
この作品は、パリ郊外であるMarly のセーヌ川を描いた作品です。

Chemin montant (1870)
Paul Cézanne (1839-1906)

Les Peupliers (1879-80)
モネなどと共に印象派のグループに属していたが、1880年代から、ポスト印象派に移って行きます。
近代芸術に多大な影響を与えた画家の一人です。
作品は、フランス、ポントアーズ近くのChâteau de Marcouvilleを描いています。
Claude Monet (1840-1926)

Charing Cross Bridge, la Tamise (1903)
テムズ川にかかる、チャリングクロス鉄道橋を描いた作品です。
ルーアン大聖堂を描いたように、チャリングクロス鉄道橋も様々なパターンで描かれています。

Le printemps (1882)

Mer agitée à Étretat (1883)
ホテルの窓から捉えた海辺の眺めです。

L’entrée de la Grande-Rue à Argenteuil, l’hiver (1875)
Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)

Coco écrivant
印象派を代表するルノワール。
生涯で4000枚近い作品を描いたと言われています。

Femme jouant de la guitare (1897)
女性がギターを弾く様子は、度々取り上げられていたテーマです。

Jeune Fille au ruban bleu (1888)
Berthe Morisot (1841-1895)

La Petite Niçoise (1889)
マネのモデルでもあり、印象派の画家でもあるモリゾ。
パリのマルモッタン・モネ美術館に沢山の作品が展示されています。
Albert Maignan (1845-1908)

Adagio appassionato (1904)
Paul Gauguin (1848-1903)

Nave Nave Mahana (1896)
波乱万丈な人生を送ったゴーギャン。
株式の仲介人から、ピサロと出会い画家の道に進み、ゴッホと共同生活したり、タヒチに渡り住んだりと、彼の一生を調べるだけで壮大な物語が出来てしまう程です。
ご興味のある方は、ぜひ詳しく調べてみてください。
彼の作品は分類上は、ポスト印象派になります。
この作品は、タヒチで描かれた作品です。
Jean Seignemartin (1848-1875)

Nature Morte
27歳という若さで亡くなったジャン・セーニュマルタン。
リヨンを代表する画家です。
Jean-François Raffaëlli (1850-1924)

Chez le fondeur (1886)
ラファエリは、画家としてだけでなく、版画家、彫刻家、さらには俳優などもしていました。
Henri Jean Guillaume Martin (1860-1943)

Labastide-du-Vert (1903-09)
フランスのポスト印象派の画家です。

Sérénité (1899)
本来はオルセー美術館所蔵品です。

L’Inspiration (1895)
こちらもオルセー美術館所蔵品です。
まとめ
私のようなあまり美術に詳しくない者でも、一度は名前くらい聞いたことがある画家が沢山出てきました。
18世紀から19世紀はフランス芸術の最も華やかな時期でもあります。
この時代があるからこそ、フランス、特にパリの魅力が際立っていると言っても過言ではないかも知れません。
ぜひ現地で、当ブログを参考に、作品を鑑賞してみてください。
何となくですが、作品の理解が深まるかも知れません。
2回に渡ってご紹介させて頂くつもりでしたが、まだ紹介しきれていない作品があるので、全3回に渡ってまとめることにしました。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
第3回リヨン美術館コレクションはこちらでご紹介させて頂いております。

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