ルネサンス時代の最後を飾るのが、「Mannerism(マニエリスム)」になります。
ルネサンスと次の時代であるバロック時代を結ぶための、様々な要素が生まれる大切な時期でもあります。
盛期ルネサンスの3大巨匠の跡を継ぐものたちがどのような作品を作ろうとしていたのか、また人物相関図はどうなっているのか、早速ご紹介させて頂きます。
マニエリスム
「マニエリスム」は、1520年~1600年頃の時期を指しています。
またルネサンス期の中に含めて、「後期ルネサンス」と呼ぶこともあります。
マニエリスムという言葉は、イタリア語のマニエラ(maniera)に由来し、様式、手法という意味になります。
では何故、マニエラなのか?
盛期ルネサンスの3大巨匠(ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)により、ルネサンスの目指した「自然との調和」がほぼ完成されてしまいました。
そのため跡を継ぐものたちは、自然に忠実に描いたとしてもそれ以上の作品を作り上げることが出来なくなってしまいました。
そのため、画家たちは巨匠たちが作り上げた作品、様式を模倣することが目的となっていきます。
しかしそのまま模倣していただけでは、先人を超えることは出来ません。
そこで考え出されたのが、様式に忠実に描くだけでなく、そこに強調や違和感などを加えて、自然を凌駕した独自の世界観を構築しようとする試みだったのです。
特徴としては、不安定な空間、不明瞭な空間、体の変形、曲がりくねり、などです。
出典:ウィキペディア マニエリスムより
年表
1520年代、マニエリスムの創始者と言われている、ロッソ・フィオレンティーノ、ヤコポ・ダ・ポントルモが作品を制作します。
1530年代、フランチェスコ・プリマティッチオがフランスにマニエリスムを伝え、フォンテーヌブロー派の創始者となる。
1536年、フランス軍がミラノに進軍するも失敗、逆にカール5世がプロヴァンスまで進軍。
オスマン帝国も参戦するが、1538年に和解。
1543年から再び戦争が始まるが、1546年には再び和解。
1547年、フランソワ1世が死去、息子のアンリ2世が跡を継ぐ。
1550年以降、ヨーロッパ全土にマニエリスムが広がる。
1551年、アンリ2世がカール5世に宣戦布告をする。
1556年、カール5世が退位、ハプスブルク家が分裂。
1557年、フランス、スペインが破産。
1559年、カトー・カンブレジ条約により、イタリア戦争が最終的に終結。
1580年代以降、マニエリスムは徐々に衰退し、バロックへと繋がっていきます。
代表画家
アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto, 1486-1531)盛期ルネサンス
ロッソ・フィオレンティーノ(Rosso Fiorentino、1494-1540)
ヤコポ・ダ・ポントルモ(Jacopo da Pontormo、1494-1557)
ペリーノ・デル・ヴァーガ(Perino del Vaga、1501 –1547)
ポリドーロ・ダ・カラヴァッジォ( Polidoro da Caravaggio、1499 –1543)
パルミジャニーノ (Parmigianino、1503-1540)
ジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano、1499-1546)
フランチェスコ・プリマティッチオ(Francesco Primaticcio、1504-1570)
ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511-1574)
アーニョロ・ブロンズィーノ(Agnolo Bronzino, 1503-1572)
アレッサンドロ・アローリ(Alessandro Allori, 1535-1607)
ロドビコ・チゴリ(Lodovico Cigoli, 1559-1613)
フランチェスコ・バッサーノ長老(Francesco Bassano l’Ancien, 1475-1530) 盛期ルネサンス
ヤコポ・バッサーノ(Jacopo Bassano, 1510-1592)
フランチェスコ・バッサーノ・ザ・ヤンガー(Francesco Bassano le Jeune, 1549-1592)
レアンドロ・バッサーノ(Leandro Bassano, 1557-1622)
ポンピオ・モルガンティ(Pompeo Morganti, 1494-1568)
タッデオ・ツッカリ(Taddeo Zuccari, 1529-1566)
バルトロメオ・パッサロッティ(Bartolomeo Passarotti, 1529-1592)
ボローニャ
ペレグリノ・ティバルディ (Pellegrino Tibaldi, 1527-1596) 盛期ルネサンス
ジョバンニ・フランチェスコ・ベッツィ(Giovanni Francesco Bezzi, 1530-1571)
プロスペロ・フォンタナ(Prospero Fontana, 1512-1597)
バルトロメオ・チェシ(Bartolomeo Cesi, 1556-1629)
アレッサンドロ・ティアリーニ(Alessandro Tiarini, 1577-1668) バロック
※ 分類が違う場合もあります。
盛期ルネサンス、バロックの画家が含まれている場合もあります。
カタカナ表記に関して実際の発音と異なる場合もあります。
人物相関図
★ご利用の注意点★
上の代表画家の相関図です。
青い矢印は師弟関係を表していますが、実際はその関係がはっきりしていなかったり、ワークショップで働いたことがあるだけであったりします。
情報は英語版、フランス語版ウィキペディアを参考に製作しています。
まとめ
マニエリスムの画家というと、ピンと来ないのですが、それは前後の時代に多くの巨匠たちが存在しているからではないでしょうか。
そんな少し存在感の薄い時代ですが、盛期ルネサンスに出来上がった形式から次はどうするべきなのか、多くの画家たちが模索した時代でもあります。
そしてこの模索の中に、何かを見出すことが、個性に繋がっていったと思います。
次の時代はいよいよ「バロック」になります。
マニエリスムで芽生えた「個性」が、さらに大胆に躍動します。
なお、今回までご紹介させて頂いたルネサンスからマニエリスムまでの流れは、主にイタリアを中心とした話になっています。
実は同時期にヨーロッパの別の場所では、イタリア・ルネサンスとは全く違う形で発展していた芸術がありました。
それが、「初期フランドル派」と言われるフランドル地方で花開いた芸術運動です。
こちらも合わせてお読み頂くと、ヨーロッパでの芸術の流れが分かりやすくなると思います。
「イタリア・ルネサンス」については以下の記事をご参照ください。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
西洋美術史の全体像は年表でご紹介させて頂いております。
合わせてご覧頂くと時代の流れが理解しやすくなると思います。
コメント