今回は少し時代が前後しますが、「初期フランドル派」についてご紹介させて頂きます。
ルネサンスがイタリアで誕生している時、フランドル地方では別の芸術運動が起こっていました。
作品の素晴らしさはもちろん、様々な技術的進歩も西洋美術史に大きな影響を与えています。
残念ながら16世紀半ばにオランダを中心として起こった宗教運動で、ほとんどの作品が破壊されてしまい不確かな部分も多いですが、どのような時代だったのか、画家たちの相関図はどうなっているのか、早速見て行きましょう。
初期フランドル派とは
初期フランドル派、初期ネーデルランド派(Early Netherlandish painting 英語)(Primitifs flamands フランス語)は1425年~1525年頃(1560年代後半とする考えもあります)、現在のベルギー、フランス北部、オランダ南部を中心に起こった芸術運動のこと指します。
(イタリア・ルネサンスと比較すると、初期ルネサンス~盛期ルネサンスの時代になります。)
イタリア・ルネサンスは、ギリシャや古代ローマへの回帰が目的でしたが、初期フランドル派は、後期ゴシック様式、国際ゴシック様式から写実性、遠近法などを取り入れて発展したのものと考えられています。
フランドル地方で芸術運動が起こった理由としては、当時、この辺りの都市はすでに半独立していた状態であったこと、またヨーロッパにおける貿易の中継地として栄えて豊かだったことが挙げられます。
特にベルギー周辺は、毛織物の産地として有名でした。
豊かになった権力者たちは、自分自身の名声を高めるために、多くの芸術作品を発注し、さらにそのことが芸術家たちの競争、発展にも繋がって行きました。
初期フランドル派の特徴
油彩画の確率
油彩画はそれまで一般的に使用されていたテンペラと比べて、はるかに高い、色の純度と精度を表現することが出来ました。
それにより、広範囲の色調を使用することが出来るようになり、透明度を上げることなどが可能になりました。
リアリズムとナチュラリズム
装飾や植物、人物、静物、風景などが非常に細かく丁寧に描かれるようになっています。
装飾写本
初期フランドル派の原型とも言われているのが、装飾写本。
本来は、宗教的なテキストに装飾を施したもので、代表的なものの中に、ケルトの装飾写本などがあります。
当時はフランス王宮で発展し、写実的なものが描かれていました。
この装飾写本に描かれていた写実的な技術を、初期フランドル派の画家たちが取り入れたことが、初期フランドル派の始まりとも言われています。
ギルド
ギルドとは簡単に言うと組合のことです。
当時のヨーロッパでは、どの職業にもギルドがあり、封建的な世界を築いていました。
画家の世界も例にもれず、芸術家として活動するには、ギルドへの加盟が義務付けられていました。
限られた画家のみがマスターとして活動し、他の画家は厳しい徒弟制度の中で作業を強いられました。
また作品だけでなく、画材や作品の売買にも厳しい決まりがありました。
出典:ウィキペディア Early Netherlandish painting
年表
1384年、ヴァロワ=ブルゴーニュ家(フランス、ヴァロワ家の分枝)のフィリップ2世が治めることとなり、ブルゴーニュ公国が誕生します。
1477年、シャルル王が戦死し、娘のマリーが跡を継ぎます。
1477年、マリー公とマクシミリアン大公(ハプスブルク家)と結婚。
1482年、マリー公が死去。ブルゴーニュ公国の消滅。フランスに組み込まれる。
1482年、息子のフェリペが跡を継ぐ。
1506年、フェリペ急死、息子のシャルルが跡を継ぐ。
1516年、シャルルが、カスティーリャ・アラゴン両王国の君主となる。
1519年、神聖ローマ帝国皇帝、カール5世となる。フランドル地方17州をすべて統一する。
1520年代から、ルターに端を発した宗教改革が起こり、Iconoclasm(イコノクラスム)と呼ばれる偶像破壊が行わるようになった。
1556年、カール5世退位。スペインの統治下となる。息子のフェリペ2世がスペイン王位とネーデルランドを受け継ぎ、弟のフェルディナント1世がオーストリア方面を継承する。
1566年、Beeldenstorm(ビルダーシュトゥルム)と呼ばれる大規模な偶像破壊運動が行われる。
1568年、フェリペ2世に対する反乱、80年戦争が始まる。
1581年、Stille beeldenstorm(スティル・ビルダーシュトゥルム)と呼ばれる偶像破壊運動が、アントワープで行われる。
1600年、ネーデルラント連邦共和国として独立。(北部7州)
1609年、スペインとの休戦。
1648年、80年戦争の終結
出典:ウィキペディア ネーデルラント17州
代表画家
メルキオール・ブルーデルラム(Melchior Broederlam1350 -1409)
ジャン・マルエル(Jan Maelwael / Jean Malouel 1365-1415)
ロベルト・カンピン(Robert Campin, 1375-1444)
リンブルグ兄弟(Gebroeders van Limburg 1385 – )
フーベルト・ファン・エイク( Hubert van Eyck、1385/90-1426)
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck 1395-1441)
アンリ・べルジョーズ(Henri Bellechose -1445)
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(Rogier van der Weyden 1399/1400-1464)
ジャック・ダレー(Jacques Daret 1404-1470)
ヨース・ファン・ ワッセンホフ(Joos van Wassenhove 1410-1480)
ペトルス・クリストゥス(Petrus Christus 1410/1420-1475/1476)
アルベルト・ファン・アウワーテル(Albert van Ouwater 1410/1415-1475)
ディルク・ボウツ(Dirk Bouts 1410/1420-1475)
ジャコマート(Jacomart, 1411-1461)
バーテルミー・デック(Barthélemy d’Eyck 1420-1470)
シモン・マルミオン(Simon Marmion 1425-1489)
ハンス・メムリング(Hans Memling 1430/1440-1494)
フーゴー・ファン・デル・グース(Hugo van der Goes 1440-1482)
ジャン・エイ(Jean Hey / Jean Hay -1505)
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch 1450-1516)
フアン・デ・フランデス(Juan de Flandes 1460-1519)
ヘラルト・ダヴィト(Gerard David 1460-1523)
シントヤンス(Geertgen tot Sint Jans 1465–1495 )
ミケル・シトウ(Michael Sittow 1468-1525/1526)
ヤン・ファン・ドルニッケ(Jan van Dornicke 1470-1527)
ジェハン・ベレガンベ(Jehan Bellegambe, 1470-1534)
ヤン・ゴサート(Jan Gossaert 1478-1532)
ヨアヒム・パティニール(Joachim Patinir 1480-1524)
シモン・ベニング(Simon Bening 1483–1561)
ヤン・ファン・スコーレル (Jan van Scorel 1495-1562)
アンブロシウス・ベンソン(Ambrosius Benson 1495/1500-1550)
ファン・ヘームスケルク(Maarten van Heemskerck, 1498-1574)
ヤン・マンディン(Jan Mandyn, 1500-1559)
ランバート・ロンバード(Lambert Lombard, 1505-1566)
フラン・フロリス(Frans Floris, 1519-1570)
ピーターコッケ・ファン・アールスト (Pieter Coecke van Aelst 1520-1550)
ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude 1525-1530-1569)
フランス・モスタート(Frans Mostaert, 1528-1560)
コーネリス・ヴァン・ダルム(Cornelis van Dalem, 1530-1573)
アントーニ・ファン・モントフォート(Anthonie Blocklandt van Montfoort, 1533-1583)
ヒエロニムスフ・ランケンI (Hieronymus Francken I, 1540-1610)
フラン・フランケン(Frans Francken the Elder, 1542-1616)
バルトロメウス・スプレンジャー(Bartholomeus Spranger, 1546-1611)
アブラハム・ブローマート(Abraham Bloemaert, 1564-1651)
フラン・フランケン(Frans Francken the Younger, 1581-1642)
※ 分類が違う場合もあります。
初期フランドル派以外の画家が含まれている場合もあります。
カタカナ表記に関して実際の発音と異なる場合もあります。
人物相関図
★ご利用の注意点★
上の代表画家の相関図です。
青い矢印は師弟関係を表していますが、実際はその関係がはっきりしていなかったり、ワークショップで働いたことがあるだけであったりします。
情報は英語版、フランス語版ウィキペディアを参考に製作しています。
まとめ
素晴らしい作品が多い初期フランドル派ですが、残念ながら度重なる偶像破壊運動があり、不明な点がとても多い時代です。
そのため、現存する作品もかなり限られているのと、情報も少なく、作者不明の作品も多数あり、なかなか解明が進んでいないようです。
初期フランドル派の始まりと言われ、時代を代表する画家であるロベルト・カンピンの作品ですら、絶対にカンピンの作品だと言い切れるものはないと言われているくらいです。
1500年代からはイタリア・ルネサンスが勢力を増したために、初期フランドル派は衰退してしまいますが、バロック期には再び多くの画家が誕生し、ヨーロッパの美術界を牽引することになります。
「フランドル・バロック」については以下の記事をご参照ください。
「イタリア・ルネサンス」については以下の記事をご参照ください。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
西洋美術史の全体像は年表でご紹介させて頂いております。
合わせてご覧頂くと時代の流れが理解しやすくなると思います。
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