ルネサンスの古典的な美しさもいいけれど、その後の「ちょっとひねりの効いた」芸術に触れてみませんか?今回の記事では、フランスの美しいナンシー美術館に所蔵されている、マニエリスム期の珠玉の作品たちを、気軽に楽しめるようにご紹介します。
ジョルジョ・ヴァザーリ、ティントレット、バロッチ、ツッカロ…彼らは、ルネサンスの理想を受け継ぎつつ、独自の感性で美術表現を深化させた「知られざる巨匠たち」です。感情の起伏、独特の色彩、そして遊び心のある構図は、一度知るとその魅力に引き込まれること間違いなし。マニエリスムは、まさに美術史の転換点であり、ここから多様な芸術表現が花開いていきます。この時代の流れをなんとなくでも知っておけば、きっと西洋絵画鑑賞が何倍も楽しくなるはずです。
Giorgio Vasari (1511-1574)
ジョルジョ・ヴァザーリは、イタリアのマニエリスム期の画家、建築家、そして何よりも「美術史の父」として知られる人物です。
彼は、ルネサンス期の芸術家たちの伝記集である『画家・彫刻家・建築家列伝』(Le vite de’ più eccellenti architetti, pittori, et scultori italiani)の著者として最も有名です。この書は1550年に初版が出版され、1568年に増補改訂版が出版されました。ルネサンス美術に関する情報のほとんどは、ヴァザーリのこの著書によるものであり、美術史研究において非常に重要な基本資料となっています。彼はこの中で、美術が中世の停滞期を経て、チマブーエやジョットに始まり、ブルネレスキ、ドナテッロ、マザッチョといった芸術家たちによって進歩し、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、そしてミケランジェロによって最高の域に達したという「進歩史観」を展開しました。
画家としては、ミケランジェロの弟子であり、フィレンツェ大聖堂のドーム天井画「最後の審判」や、ヴェッキオ宮殿の壁画などを手がけました。建築家としては、現在のウフィツィ美術館の設計や、ヴェッキオ宮殿からピッティ宮殿までを結ぶ「ヴァザーリの回廊」の建設など、フィレンツェの主要な建築プロジェクトに携わりました。
また、1563年には、ミケランジェロらとともに、美術の技術を教育機関で継承させるための美術アカデミー(アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ)を創立しました。これは現在のフィレンツェ美術学校に繋がるもので、美術教育の発展に大きく貢献しました。

La Sainte Trinité (1558)
「聖三位一体」(La Sainte Trinité)は、キリスト教の教義における聖三位一体、すなわち父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊の三位一体を表現しています。具体的には、父なる神が磔にされたキリストを支え、その上には聖霊が鳩の姿で描かれるという、伝統的な「憐れみの玉座」(Throne of Mercy)の図像に基づいています。
Tintoretto (1518-1594)
ヤコポ・ロブスティは、通称ティントレット(Tintoretto)として知られる、イタリア・ルネサンス後期のヴェネツィア派を代表する画家です。彼の父が染物師(イタリア語で「tintore」)であったことから、「小さな染物師」を意味するティントレットのあだ名で呼ばれるようになりました。
ティントレットの芸術は、その劇的な表現、強烈な明暗の対比(キアロスクーロ)、そして大胆な構図によって特徴づけられます。彼は「ミケランジェロのデッサンとティツィアーノの色彩の統一」を理想として掲げたと言われています。これは、中部イタリア美術の骨格を重視するデッサン力と、ヴェネツィア派の色彩豊かな表現を融合させようとする彼の意欲を示しています。また、ヴェロネーゼと競い合っていたと言われています。

Déploration du Christ (1580)
「嘆きのキリスト」(Déploration du Christ)は、磔刑の後、キリストの遺体が十字架から降ろされ、嘆き悲しむ聖母マリアやマグダラのマリア、使徒ヨハネらに囲まれている場面を描いています。このような主題は「ピエタ」(Pieta)や「ラメンテーション」(Lamentation)とも呼ばれ、キリストの受難の物語の中でも特に感情的な場面です。
Joachim Beuckelaer (1533-1570)
ヨアヒム・ブーケラールは、フランドル・ルネサンス後期の画家で、特に市場や台所の情景、静物画のジャンルを専門としたことで知られています。
彼はアントウェルペンで生まれ育ち、叔父である画家ピーテル・アールツェンから学びました。アールツェンもまた、市場や台所をテーマにした作品を描いており、ブーケラールはその影響を強く受けて、このジャンルをさらに発展させました。

Marché avec l’Ecce Homo (1561)
「エッケ・ホモのある市場」(Marché avec l’Ecce Homo)は、ブーケラールの特徴的なジャンルである「市場の情景」に、聖書のエピソードを組み合わせたものです。前景には、活気あふれる市場が描かれています。後景には、小さく「エッケ・ホモ」(Ecce Homo)の場面が描かれています。「エッケ・ホモ」とは、ラテン語で「見よ、この男を」という意味で、ポンティウス・ピラトが群衆にイエスを突き出した際の発言に由来します。この場面では、いばらの冠をかぶせられ、鞭打たれたイエスが兵士に囲まれて立っており、群衆が彼を非難しています。
Federico Barocci (1535-1612)
フェデリコ・バロッチは、イタリアのマニエリスム期から初期バロックにかけて活動した画家です。彼の故郷であるウルビーノを中心に活躍し、その独特で感傷的な画風は、後のバロック美術に大きな影響を与えました。

L’Annunciation (1596/1612)
「受胎告知」(L’Annunciation)は、もともとローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会のために制作されたもので、バロッチの晩年における傑作の一つとされています。
新約聖書に記された、大天使ガブリエルが聖母マリアのもとに現れ、イエス・キリストの受胎を告げるという神聖な瞬間を描いています。
Pieter Pietersz (1540-1603)
ピーテル・ピーテルスゾーンは、フランドル・ルネサンス後期に活躍したオランダの画家です。彼は、市場や台所の情景を描いたことで知られるピーテル・アールツェンの長男であり、おそらく父から絵画を学びました。

Laissez venir à moi les petits enfants (1580-1590)
「子供たちを私のもとに来させなさい」(Laissez venir à moi les petits enfants)は、、新約聖書の福音書に記されている、イエス・キリストが子供たちを祝福する有名なエピソードを題材としています。弟子たちが子供たちをイエスに近づかせようとしないのに対し、イエスが「子供たちを私のもとに来させなさい。邪魔してはならない。神の国はこのような者たちのものである」と語る場面を描いています。
Federico Zuccaro (1542-1609)
フェデリコ・ツッカロは、イタリアのマニエリスム期に活躍した画家、建築家、そして理論家です。彼は、兄のタッデオ・ツッカロとともに、16世紀後半のローマ美術界で最も影響力のある画家の一人でした。
彼はまた、国外でも広く活動し、ロレーヌ、オランダ、イギリス、そしてスペインのフェリペ2世の宮廷で肖像画や祭壇画を制作しました。一時期は、ヨーロッパで最も有名な存命中の画家であったと言われるほどでした。

Piefà avec des anges (1570)
「天使を伴うピエタ」(Piefà avec des anges)は、磔刑の後、亡くなったイエス・キリストの遺体が天使たちに支えられ、あるいは見守られている場面を描いています。この図像は「イマーゴ・ピエタティス(Imago Pietatis)」、つまり「憐れみのイエス」と呼ばれる伝統的なもので、キリストの受難に対する深い信仰と瞑想を促す目的がありました。
Frans Francken I (1542-1616)
フランス・フランケン1世は、フランドル・ルネサンス後期から初期バロックにかけて活躍した画家です。彼は、画家一家「フランケン家」の創始者の一人であり、特に宗教改革後のアントウェルペンにおける主要な画家として知られています。

Le Calvaire
「ゴルゴタの丘」(Le Calvaire)は、イエス・キリストが磔刑に処せられたゴルゴタの丘での出来事を描いたものです。キリストが二人の罪人と共に十字架にかけられ、その周りではローマ兵、群衆、そして嘆き悲しむ聖母マリアやマグダラのマリア、使徒ヨハネなどが描かれています。
Nosadella (1549-1571)
ノザデッラは、本名をジョヴァンニ・フランチェスコ・ベッツィ(Giovanni Francesco Bezzi)といい、イタリアのマニエリスム期の画家です。彼の活動は主にボローニャを中心としていました。ボローニャ派のマニエリスム画家であるペッレグリーノ・ティバルディの弟子でした。

Sainte Famille avec sainte Elisabeth (1545/50)
「聖エリサベトを伴う聖家族」(Sainte Famille avec sainte Elisabeth)は、聖家族(聖母マリア、幼子イエス、聖ヨセフ)に加えて、聖母マリアの従姉妹であり洗礼者ヨハネの母である聖エリサベトが描かれた、新約聖書に基づいた主題です。
Domenico Passignano (1559-1638)
ドメニコ・パッシニャーノは、本名をドメニコ・クレスティ(Domenico Cresti または Crespi)といい、イタリアのルネサンス後期から初期バロックにかけて活躍した画家です。彼の通称「パッシニャーノ」は、フィレンツェ近郊の出身地であるパッシニャーノに由来します。
彼はフィレンツェで絵画の修業を始め、ジローラモ・マッキエッティやジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニに師事しました。しかし、彼の初期の作品に最も大きな影響を与えたのは、フェデリコ・ツッカロでした。パッシニャーノは1575年から1579年にかけて、フィレンツェ大聖堂のクーポラ装飾(ジョルジョ・ヴァザーリの死後、未完だった『最後の審判』の続き)でツッカロを補佐し、その後、1579年にはツッカロとともにローマへ、1581年にはヴェネツィアへと旅をしました。

Les adieux de saint Pierre et de saint Paul (1604)
「聖ペテロと聖パウロの別れ」(Les adieux de saint Pierre et de saint Paul)は、キリスト教の伝統で語り継がれる、ローマでの殉教を前にした聖ペテロと聖パウロの感動的な別れの場面を描いています。彼らは異なる場所で処刑されることになっていましたが、処刑場へ向かう途中で偶然出会い、互いに最後の言葉を交わしたとされています。
Frans Pourbus le Jeune (1569-1622)
フランチェスコ・プルビュス(ヤンガー)は、フランドル生まれの肖像画家で、国際的な宮廷で活躍したことで知られています。彼は、同じく肖像画家であった父フランチェスコ・プルビュス(エルダー)と、さらにその父(彼の祖父)のピーテル・プルビュスという、3代続く画家一家に生まれました。

L’Annonciation (1619)
「受胎告知」(L’Annonciation)は、新約聖書のルカによる福音書に記されている、大天使ガブリエルが聖母マリアのもとに現れ、イエス・キリストを身ごもることを告げるという、キリスト教美術において非常に重要な主題を扱っています。
まとめ
ナンシー美術館が誇るマニエリスム期の作品たちを巡る旅、いかがでしたでしょうか。ヴァザーリやティントレットといった、この時代の画家たちが古典的な調和を超え、より個性的で感情豊かな表現を追求した様子が少しでも伝われば幸いです。
美術史の大きな流れの中で、マニエリスムは時に過渡期と見なされることもありますが、その独自の表現は後世の芸術家たちに多大なインスピレーションを与えました。絵画一枚一枚に込められた彼らの試みや情熱を感じ取ることで、作品鑑賞はより一層深みを増します。
この記事が、皆さんがナンシー美術館を訪れる際のちょっとしたガイドブックとなったり、あるいはマニエリスムという魅力的な時代への好奇心を掻き立てるきっかけとなれば嬉しいです。ぜひ、ご自身の目でこれらの作品と向き合い、時代が持つ独特のエネルギーを感じ取ってみてください。
ナンシー美術館の概要についてはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。
ルネサンス・バロックの作品はこちらで詳しくご紹介させて頂いております。
地下にあるドームコレクションはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。
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