新古典主義とロマン主義の狭間で―リヨン美術館が誇る19世紀フランス・ベルギー絵画

リヨン美術館コレクション 新古典主義・ロマン主義 パリから日帰り旅行
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美術館に足を踏み入れたとき、目の前の絵画が描かれた時代や背景を知ると、作品はもっと面白くなります。19世紀のヨーロッパでは、理性を重んじる「新古典主義」と、感情を大切にする「ロマン主義」という、まったく異なる考え方がぶつかり合い、芸術の世界に大きな変化をもたらしました。

リヨン美術館には、その激動の時代を生きた画家たちの、息をのむような傑作が数多く収蔵されています。この記事では、花々の美しさを極限まで追求した静物画から、歴史のドラマを壮大なスケールで描いた大作まで、個性豊かな画家たちの作品を巡る旅にご案内します。絵に込められた彼らの情熱や、時代のエネルギーをぜひ感じてみてください。

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Jan Frans van Dael (1764-1840)

ヤン・フランス・ファン・ダールは、アントウェルペンで生まれ、パリで亡くなった、ベルギー出身の静物画家です。彼は特に花卉画(静物画の一種で、花を描いたもの)の分野で卓越した技量を発揮し、18世紀末から19世紀初頭にかけてのパリで高い評価を得ました。

fleurs dans une corbeille

Fleurs dans une corbeille (1806)

籠の中の花」(Fleurs dans une corbeille)は、彼の得意とする花卉画(かきが)の代表的な作品の一つです。

この作品は、様々な種類の花が丁寧に編まれた籠の中に活けられている様子を描いています。ファン・ダールは、その驚くべき写実性と細密な描写で、それぞれの花の美しさを際立たせています。

Vase de fleurs avec une tubéreuse cassée

Vase de fleurs avec une tubéreuse cassée (1807)

「折れたテュベローズのある花瓶」(Vase de fleurs avec une tubéreuse cassée)は、彼の繊細な花卉画の中でも特に象徴的な意味合いを持つ作品です。タイトルが示す通り、一本のテュベローズ(月下香)が折れて花瓶の外に垂れ下がっているのが特徴です。

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Élise Bruyère (1776-1847)

エリーズ・ブリュイエールは、フランスの女性画家です。彼女は特に肖像画と花の静物画を中心に描いていました。

fleur dans un vase et blanche de prunier sur une table de marbe

Fleur dans un vase et blanche de prunier sur une table de marbe (1817)

「花瓶の花と大理石のテーブルの上の白いスモモ」は、彼女が手掛けた静物画の中でも特に優れた作品の一つです。華やかな花々が生けられたガラスの花瓶と、その傍らの大理石のテーブルに置かれた白いスモモの枝という、比較的シンプルな構成ながらも、画家エリーズ・ブリュイエールの卓越した描写力が際立っています。

Fleury François Richard (1777-1852)

フルーリー・フランソワ・リシャールは、フランス・リヨンの画家です。彼は、19世紀初頭のフランス絵画において、トルバドゥール様式と呼ばれる歴史画の一派を代表する画家の一人として知られています。

リシャールは、アントワーヌ=ジャン・グロの工房で学んだ後、ジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子となりました。しかし、ダヴィッドの壮大で英雄的な新古典主義の歴史画とは異なり、リシャールはより個人的で、詩的、そして感情に訴えかけるような歴史の場面を描くことに傾倒しました。

Jeune fille à la fontaine

Jeune fille à la fontaine (1825)

「泉の少女」(Jeune fille à la fontaine)は、彼が得意としたトルバドゥール様式の影響が見られる、詩的で感傷的な作品です。

この作品は、歴史上の具体的な出来事というよりは、中世やロココ時代の牧歌的な情景を思わせるような、静かで叙情的な場面を描いています。泉の傍らに佇む若い女性の姿を通じて、純粋さや郷愁、あるいは仄かなロマンティックな雰囲気を表現しています。

François Joseph Heim (1787-1865)

フランソワ=ジョゼフ・エイムは、ベルフォールで生まれ、パリで亡くなったフランスの画家です。彼は19世紀前半のフランス美術を代表する歴史画家であり、新古典主義の伝統を受け継ぎながらも、ロマン主義の興隆期を生きました。

エイムは、当時のフランス美術界の巨匠フランソソワ=アンドレ・ヴァンサンとフランソワ=グザヴィエ・ファーブルに師事しました。彼は優れたデッサン力と構成力を持ち、1807年にはローマ賞を受賞し、イタリアで学ぶ機会を得ました。ローマ滞在中に、彼はミケランジェロ、ラファエロなどの古典美術を深く研究し、その後の画業に大きな影響を受けました。

La défaite des Cimbres et des Teutons par Marius

La défaite des Cimbres et des Teutons par Marius (1853)

「マリウスによるキンブリ族とテウトネス族の敗北」(La défaite des Cimbres et des Teutons par Marius)は、古代ローマ史の重要な出来事を描いた、彼の壮大な歴史画です。

この作品が描いているのは、紀元前2世紀末にローマを脅かしたゲルマン民族のキンブリ族とテウトネス族(チュートン族)が、ローマの将軍ガイウス・マリウスによって壊滅的な敗北を喫した歴史的な戦いです。特に紀元前102年のアクアエ・セクスティアエの戦い(テウトネス族に対して)と、紀元前101年のウェルケラエの戦い(キンブリ族に対して)は、ローマの危機を救った重要な勝利として知られています。

Nicolas Toussaint Charlet (1792-1845)

ニコラ・トゥサン・シャルレは、フランスの画家、版画家です。彼は特に軍事画、特にナポレオン時代の兵士たちの日常生活や戦闘場面を描いた作品で知られています。

シャルレは、初期にはジャック=ルイ・ダヴィッドの工房で学びましたが、彼の画風はダヴィッドの新古典主義の厳格さとは異なり、より写実的で感情的な、そして時にはユーモラスなタッチが特徴です。彼はフランス軍、特にナポレオンの兵士たちへの強い愛着と敬意を抱いており、彼らの姿を英雄的であると同時に人間味豊かに描きました。

Épisode de la campagne de Russie

Épisode de la campagne de Russie (1836)

「ロシア戦役の一場面」(Épisode de la campagne de Russie)は、ナポレオンが指揮した1812年のロシア遠征における悲惨な状況を描いた作品です。

この作品は、ナポレオン戦争の中でも特に苛酷で、フランス軍に壊滅的な打撃を与えたロシアからの撤退の様子を描いています。飢え、寒さ、そしてロシア軍の追撃に苦しみながら、何十万人もの兵士が命を落としたこの撤退は、ナポレオンの神話に大きな傷跡を残しました。

Victor Orsel (1795-1850)

ヴィクトール・オルセルは、フランスの画家です。彼は19世紀前半のフランス美術において、厳格な宗教画と、ナザレ派の影響を受けた初期ルネサンス絵画への回帰を追求したことで知られています。

オルセルは、リヨンでピエール・レヴォワルに師事した後、パリのピエール=ナルシス・ゲランの工房で学びました。ゲランは新古典主義の画家ですが、オルセルはより精神的で、簡素な表現へと傾倒していきます。1822年にはローマ賞を受賞し、イタリアで8年間を過ごしました。このローマ滞在中に、彼は特に初期ルネサンスの画家たち(フラ・アンジェリコ、ペルジーノなど)や、ラファエロの初期の作品に深く感銘を受け、彼らの純粋で敬虔な精神性を自身の芸術に取り入れようとしました。

 Moïse enfant présenté à Pharaon

 Moïse enfant présenté à Pharaon (1830)

「幼いモーセのファラオへの提示」(Moïse enfant présenté à Pharaon)は、旧約聖書に記されたモーセの幼少期の物語を描いた作品です。

この作品が描いているのは、ヘブライ人の幼児をすべて殺害せよとのファラオの命令から逃れるため、ナイル川に流されたモーセが、ファラオの娘によって発見され、その養子としてファラオの宮廷に迎え入れられるという重要な場面です。

Le Bien et le Mal

Le Bien et le Mal (1832)

「善と悪」(Le Bien et le Mal)は、彼の画業を象徴する重要な作品であり、道徳的・宗教的な寓意を深く掘り下げた絵画です。

この絵画は、明確な物語というよりも、普遍的な概念である「善」と「悪」の対立、そしてそれらが人間にもたらす影響を視覚的に表現しています。オルセルが、イタリア滞在中に感銘を受けた初期ルネサンスの画家たち、特にフラ・アンジェリコのような画家の精神性を、19世紀の感覚で再解釈しようとした試みが見られます。

Jean-Claude Bonnefond (1796-1860)

ジャン=クロード・ボンヌフォンは、フランスの画家です。

ボンヌフォンは、リヨンでピエール・レヴォワルに学び、その後パリで著名な新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲランの工房で研鑽を積みました。1818年にはローマ賞を受賞し、イタリアで約10年間を過ごしました。このローマ滞在は彼の芸術に決定的な影響を与え、彼はラファエロやその弟子たちの作品を深く研究し、古典主義的な厳格さと精神性を自身の画風に取り入れました。

cérémonie de l'eau sainte dans l'église Saint Athanase des Grecs catholiques a Rome

Cérémonie de l’eau sainte dans l’église Saint Athanase des Grecs catholiques à Rome (1830)

「ローマのカトリック・ギリシャ教会聖アタナシオスにおける聖水の儀式」は、イタリア滞在中の経験を反映した貴重な風俗画、あるいは宗教風俗画です。

この作品は、ローマに存在するギリシャ・カトリック教会、つまり東方典礼を受け入れつつローマ教皇庁と一致している教会で執り行われる聖水の儀式の様子を描いています。これは、カトリック世界の多様性を示すと同時に、異文化へのボンヌフォンの関心を示しています。

Paul Chenavard (1807-1895)

ポール・シュナヴァールは、フランスの画家です。彼は19世紀中頃のフランス美術において、歴史画の伝統を追求しながらも、哲学的な寓意や普遍的な思想を表現しようとしたことで知られています。

シュナヴァールは、パリで古典主義の巨匠ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルとポール・ドラローシュに学びました。彼は若い頃から才能を発揮し、特に歴史や哲学、宗教に深い関心を持っていました。彼の作品は、単なる物語の描写にとどまらず、人類の歴史や運命、善悪の概念といった壮大なテーマを象徴的に表現しようとしました。

1848年、パリ・パンテオンの内装装飾を行いました。

La Palingénésie sociale ou La Philosophie de l'histoire

La Palingénésie sociale ou La Philosophie de l’histoire (1850)

「社会の新生、あるいは歴史の哲学」(La Palingénésie sociale ou La Philosophie de l’histoire)は、彼の画業の中でも最も野心的で、かつ未完に終わった記念碑的な作品群の総称です。

この作品群は、もともとパリのパンテオンの壁画として依頼されたもので、人類の歴史全体を哲学的・象徴的に描くことを意図していました。「パリンジェネジー(Palingénésie)」とは「再生」や「新生」を意味し、これは人類社会の絶え間ない進化と精神的向上を象徴しています。

César

César (1850)

「カエサル」(César)は、古代ローマの偉大な指導者ガイウス・ユリウス・カエサルを主題とした絵画です。

この絵画も、パリのパンテオンのために構想された「社会の新生、あるいは歴史の哲学」というテーマに関連して制作されたものと考えられます。カエサルは、単なる歴史上の人物としてだけでなく、人類の歴史における転換期を象徴する、偉大な指導者、あるいは運命の担い手としての意味合いを持って描かれています。

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まとめ

これらの作品は、単なる美しい絵画ではありません。それらは、理性の追求から感情の解放へと向かう時代の大きな潮流の中で、画家たちがそれぞれの表現方法を模索した軌跡そのものです。

新古典主義の正確な描写力、ロマン主義の物語性と感情表現、そして初期ルネサンスへの回帰。

リヨン美術館は、19世紀ヨーロッパ美術の豊かな多様性を一堂に味わえる、まさに美術史の宝庫と言えるでしょう。これらの作品を鑑賞することで、私たちは画家たちの技巧だけでなく、彼らが作品に込めた哲学や時代精神を感じ取ることができると思います。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

リヨン美術館に展示されている他の作品については以下の記事で詳しくご紹介させて頂いております。合わせてご参照ください。

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