印象派の光と色彩の革命の後、19世紀末のフランスで密かに花開いた芸術運動をご存知でしょうか?
それは「象徴主義」と「ナビ派」—現実の模倣を越えて、画家の内面世界や精神性を表現しようとした、極めて詩的で神秘的な芸術の流れです。オディロン・ルドンの幻想的な「まなざし」、エミール・ベルナールがゴーギャンと共に確立した革新的な「クロワゾニスム」、そしてモーリス・ドニが唱えた「絵画とは色彩で覆われた平坦な表面である」という芸術の本質論。
レンヌ美術館が所蔵する象徴主義・ナビ派のコレクションは、特にブルターニュ地方との深いつながりを持つこれらの画家たちにとって、この土地は単なる制作地ではなく、精神的な故郷そのものでした。
今回も現地で撮影した写真とともに、感動的な作品の数々をご紹介します。美術史の教科書では語り尽くせない、これらの作品が持つ真の魅力を、ぜひ一緒に発見してください。
Odilon Redon (1840-1916)
オディロン・ルドンは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家、版画家です。象徴主義を代表する芸術家の一人で、夢や幻想の世界を内面から描き出す、独特の画風を確立しました。
彼は、生涯を通して孤独を好み、内面世界を探求しました。初期の作品は、炭や石版画による「黒」の世界で、不気味で幻想的なイメージを表現しました。これは、彼の内面の不安や、当時の社会に対する違和感を反映したものです。
晩年になると、パステルや油彩画を手掛け、一転して色彩豊かな幻想的な世界を描くようになります。花や神話的な人物、異世界の風景などが、鮮やかな色彩で夢のように描かれました。

Le Regard (1900)
Le Regard (まなざし)は、神秘的で夢見るような表情を浮かべた、一人の女性の肖像画です。モデルは、ルドンの友人であったピアニストのマルセル・ギニャールだとされています。ルドンは、彼女の鋭い知性と内面の豊かさを、力強いまなざしを通して表現しました。
Luc-Olivier Merson (1846-1920)
リュック=オリヴィエ・メルソンは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家、イラストレーターです。
彼は、パリのエコール・デ・ボザールでアカデミズムの技術を習得しました。1869年にはローマ賞を受賞し、イタリアに留学して、古典的な様式を深く学びました。
彼の作風は、アカデミズムの確かなデッサン力と、ロマン主義的な感傷性、そして象徴主義的な神秘性が融合したものです。中世や古代の歴史、キリスト教の物語を題材にした作品を多く手掛け、幻想的な雰囲気と繊細な光の表現が特徴です。
サクレクール寺院のフレスコ画を描いたことでも有名です。

L’ange gardien (1881)
L’ange gardien (守護天使)は、眠っている幼い子供を、背後に立つ守護天使が優しく見守っている場面を描いています。聖母子像を思わせる温かさと、子供の無垢な姿が、見る者に安らぎと保護されている感覚を与えます。メルソンが得意とした、宗教的で象徴的な主題の作品です。
Louis Henri Saintin (1846-1899)
ルイ・アンリ・サンタンは、19世紀フランスの画家で、特に海岸の風景画で知られています。彼は、エコール・デ・ボザールで画家のエミール・レヴィに師事しました。
彼の作風は、写実主義的な風景描写に、光と色彩の繊細な表現が加わったものです。

L’Anse d’Erquy (1876)
L’Anse d’Erquy (エルキ湾)は、ブルターニュ地方のコート=ダルモール県にあるエルキ湾の穏やかな風景を描いたものです。画面には、海に面した岩がちな海岸線と、小さな船、そして遠くの水平線が、静かで詩的な雰囲気で描かれています。
Édouard Toudouze (1848-1907)
エドゥアール・トゥドゥーズは、19世紀フランスの画家です。歴史画や風俗画、肖像画を専門とし、アカデミズムの伝統に忠実な、写実的で精緻な描写で知られています。

La mort de Du Guesclin (1903)
La mort de Du Guesclin (デュ・ゲクランの死)は、14世紀の百年戦争で活躍したブルターニュ出身の英雄、ベルトラン・デュ・ゲクランの死を描いた歴史画です。彼は病で死の床につきますが、降伏した城の鍵を、約束通り彼の遺体の上に置かせるという、英雄の最期の誇り高い姿が描かれています。

Le Mariage d’Anne de Bretagne (1900)
Le Mariage d’Anne de Bretagne (ブルターニュ公妃アンヌの結婚)は、ブルターニュ公国の最後の君主であるアンヌ・ド・ブルターニュが、フランス王シャルル8世と結婚する様子を描いています。この結婚は、ブルターニュがフランスに併合されるきっかけとなった歴史的出来事であり、フランス史、特にブルターニュの歴史において非常に重要な意味を持ちます。
Charles Cottet (1863-1925)
シャルル・コッテは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。ブルターニュ地方の厳しい自然や、漁師たちの生活を主題とした社会写実主義の作品で知られています。
1900年の万国博覧会で金メダルを受賞しています。

Femmes de Plougastel au pardon de Sainte-Anne-la-Palud (1903)
『サント=アンヌ=ラ=パリュの祝祭(パルドン)に集うプロガステルの女性たち』は、ブルターニュ地方の宗教的な祝祭「パルドン」において、伝統的な衣装を身につけたプロガステル出身の女性たちが、野外で食事をするひとときを描いています。これは、祝祭の重要な一部である、共同体での食事の様子を捉えたものです。

Orage en mer,Bretagne
Orage en mer,Bretagne(海の嵐、ブルターニュ)は、ブルターニュの荒々しい海に突如として現れた嵐の瞬間を描いています。暗い空と荒れ狂う波が、画面全体に緊張感と迫力を生み出しており、コッテがブルターニュの自然の厳しさを主題としていたことを示す代表的な作品です。
Paul Sérusier (1864-1927)
ポール・セリュジエは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。ポール・ゴーギャンの影響を強く受け、ナビ派の中心人物として、印象派とは異なる新しい絵画の道を切り開きました。

Solitude (1890-92)
Solitude (孤独)は、ブルターニュの伝統的な衣装を身につけた女性が、森の中に腰掛け、憂鬱そうな表情で鑑賞者の方を向いている様子を描いています。タイトルの「孤独」という感情が、彼女の表情と周囲の静けさによって強調されています。

Le Cylindre d’Or (1910)
Le Cylindre d’Or (黄金の円柱)は、黄金色の円柱を中央に配し、背景に抽象化された風景を描いた作品です。この作品は、具体的な物体を描写することよりも、色彩と形態の関係性という、絵画の根源的な原理を探求したものです。
Paul Ranson (1864-1909)
ポール・ランソンは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家、版画家です。ポール・セリュジエらとともにナビ派を結成し、その中核メンバーとして活動しました。
彼はパリのアカデミー・ジュリアンで学び、そこでモーリス・ドニやポール・セリュジエと出会い、ナビ派の中心メンバーとなります。彼の家は、ナビ派の画家たちの集会所となり、彼らの思想形成に重要な役割を果たしました。
ランソンはゴーギャンの直接の弟子ではありませんでしたが、ゴーギャンの思想を最も熱心に受け入れ、それをナビ派という新しい芸術運動の基盤とした、重要な存在だったと言えます。

La cueillette des pommes (1895)
La cueillette des pommes (りんごの収穫)は、ブルターニュの農村で行われるりんごの収穫の様子を、装飾的で詩的なスタイルで描いています。女性たちがかごにりんごを入れる姿が、画面全体に流れる穏やかなリズムとともに表現されています。
Émile Bernard (1868-1941)
エミール・ベルナールは、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したフランスの画家、作家です。ポスト印象派を代表する画家の一人で、ポール・ゴーギャンとともにクロワゾニスムや総合主義(サンテティスム)という新しい絵画様式を確立しました。
クロワゾニスム: 19世紀のステンドグラスや七宝焼き(クロワゾンネ)から着想を得た技法です。太く暗い輪郭線で色面を区切り、単純で平坦な色彩を用いることで、強い装飾的な効果を生み出しました。
総合主義: 現実の自然の模倣ではなく、画家自身の感情や思想、記憶を総合し、画面に表現しようとする思想です。ゴーギャンとベルナールが、ポン=タヴァンで共に発展させました。

L’arbre jaune (1888)
L’arbre jaune (黄色い木)は、ブルターニュのポン=タヴァンで、ベルナールがポール・ゴーギャンと共同で制作活動を行っていた時期に描かれたものです。画面中央に立つ一本の黄色い木が、非常に象徴的に描かれています。
Georges Lacombe (1868-1916)
ジョルジュ・ラコンブは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの彫刻家、画家です。ポール・ゴーギャンの思想に影響を受け、ナビ派の一員として活動しました。特に、彫刻作品で知られており、「ナビ派の彫刻家」(Le Nabi sculpteur)として名を馳せました。
彼は、パリのアカデミー・ジュリアンで学びました。1892年にエミール・ベルナールやポール・セリュジエと出会い、彼らとともにナビ派に参加しました。彼は他のナビ派の画家たちと同様に、ブルターニュ地方で多くの時間を過ごし、その風土からインスピレーションを得ました。

Marine bleue, Effet de vague (1893)
Marine bleue, Effet de vague (青い海、波の効果)は、ブルターニュの海辺で砕け散る波の様子を、装飾的で象徴的なスタイルで描いています。ナビ派の画家であったラコンブが、風景を写実的にではなく、その精神性や本質を表現しようとした、彼の思想をよく示す作品です。
Maurice Denis (1870-1943)
モーリス・ドニは、19世紀後半から20世紀半ばにかけて活躍したフランスの画家、美術理論家です。ポール・セリュジエらとともにナビ派を結成し、その理論的リーダーとして重要な役割を果たしました。
彼はパリのエコール・デ・ボザールとアカデミー・ジュリアンで学び、ポール・セリュジエと出会いました。
彼の芸術観は、1888年にゴーギャンからセリュジエが伝えた新しい思想によって形成されました。ドニは、ナビ派の「預言者」の一人として、美術の理論化に尽力しました。
- 「絵画とは、戦馬、裸婦、あるいは何らかの逸話である以前に、ある秩序をもって集められた色彩で覆われた平坦な表面である」: これは彼の最も有名な言葉で、絵画の本質が主題ではなく、色彩と形態の調和にあるという、ナビ派の核心的な思想を簡潔に示しています。

Maternité aux manchettes de dentelle (1895) 上段
Brûleuses de goémon (1890) 下段
Maternité aux manchettes de dentelle (レースのカフスをつけた母性) は、画家の妻であるマルタと、彼らの最初の娘であるノエルを描いた肖像画です。レースのカフスをつけたマルタが、娘を抱きかかえ、優しいまなざしを向けています。ドニの作品の中でも、特に個人的な幸福と宗教的な静謐さが融合した、彼の信仰心と家庭生活を象徴する作品です。
Brûleuses de goémon (海藻を燃やす女たち)は、海藻を燃やして灰(ヨウ素の原料)を作る作業に従事する女性たちを描いています。激しい風が吹き荒れる中で、彼女たちが力強く働く姿が表現されています。

Le Yacht échoué à Trégastel (1938)
Le Yacht échoué à Trégastel (トレガステルに座礁したヨット)は、ブルターニュ地方の海岸にあるトレガステルの浜辺に、座礁したヨットを描いた風景画です。

Les Premiers Pas (1911)
Les Premiers Pas (初めての一歩)は、画家の妻マルタが、幼い子供が初めての一歩を踏み出すのを優しく見守り、支えている様子を描いています。ドニの作品の中でも、家庭内のささやかな幸福と、そこに宿る普遍的な愛をテーマとした、彼の画業を象徴する作品です。
Edgard Maxence (1871-1954)
エドガー・マクサンスは、19世紀後半から20世紀半ばにかけて活躍したフランスの画家です。アカデミックな写実主義と象徴主義の精神を融合させた、独自の神秘的な画風で知られています。
彼は、パリのエコール・デ・ボザールでギュスターヴ・モローに師事しました。師の影響と、当時の象徴主義運動への傾倒から、彼は幻想的で内省的な世界を描くようになりました。

La légende bretonne (1906)
La légende bretonne (ブルターニュの伝説)は、マクサンスが得意とした神秘的なテーマを、ブルターニュの伝承に求めたものです。作品は、伝統的な衣装を身につけた若い女性が、神秘的な雰囲気の中で物思いにふけっている様子を描いており、ブルターニュの神話や伝説の物語性を感じさせます。
まとめ
象徴主義とナビ派の真の魅力は、印象派からの流れを理解しているとより良く理解できるものだと思います。 印象派の明るい光とは対照的な、内省的で神秘的な世界観。そこには、現代を生きる私たちの心にも深く響く、普遍的な人間の感情と精神性が込められています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
レンヌ美術館に展示されいる絵画についてはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。合わせてご参照ください。
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