光と色彩の交響曲!ナンシー美術館で巡る新印象派・象徴主義・ナビ派の傑作

ナンシー美術館コレクション 新印象派・象徴主義・ナビ派 パリから日帰り旅行
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フランス東部の文化都市ナンシーに位置するナンシー美術館は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての革新的なフランス絵画の宝庫です。この記事では、従来の芸術の枠を超え、新たな表現を追求した新印象派、内面世界を深く掘り下げた象徴主義、そして個性豊かなナビ派の画家たちの魅力に迫ります。アンリ・ジェルヴェクスの洗練された肖像画から、イポリット・プティジャンの緻密な点描、ヴィクトール・プルーヴェのアール・ヌーヴォーの輝き、そしてアンリ・マティスの色彩への情熱まで、彼らが紡ぎ出した光と色彩の物語を、ナンシー美術館のコレクションからご紹介します。

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Henri Gervex (1852-1929)

アンリ・ジェルヴェクスは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家です。彼は、伝統的なアカデミズムの訓練を受けながらも、印象派の影響を取り入れ、ベル・エポック期のパリの社会や風俗を巧みに表現したことで知られています。

Henri Gervex

Portrait de Colette Gervex (1910)

「コレット・ジェルヴェクスの肖像」(Portrait de Colette Gervex)は、娘であるコレット・ジェルヴェクスを描いた肖像画です。

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Hippolyte Petitjean (1854-1929)

イポリット・プティジャンは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家で、点描主義、特に新印象派の代表的な画家の一人として知られています。

マコン(Mâcon)で生まれ、パリのエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)でピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌやアンリ・ルマンに師事しました。アカデミックな訓練を受けた後、彼はジョルジュ・スーラやポール・シニャックといった新印象主義の画家たちと出会い、彼らの提唱する科学的な色彩理論、すなわち点描技法に深く傾倒していきました。

Hippolyte Petitjean

Jeune femme assise (1892)

「座る若い女性」(Jeune femme assise)は、画面全体が、無数の小さな色の点によって構成されています。これらの点が視覚的に混色され、光と色彩の輝きを生み出しています。肌の質感、衣服のひだ、背景の色合いまで、すべてが点の集合で表現されているため、独特の柔らかな質感が特徴です。

Henri-Edmond Cross (1856-1910)

アンリ=エドモン・クロスは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家で、新印象主義(Neo-Impressionism)の主要な画家の一人として知られています。本名をアンリ=エドモン=ジョゼフ・ドラクロワ(Henri-Edmond-Joseph Delacroix)といいましたが、有名なロマン主義画家ウジェーヌ・ドラクロワと区別するため、後に「クロス」という姓を用いるようになりました。

初期の作品は写実主義や印象主義の影響が見られましたが、1884年にジョルジュ・スーラやポール・シニャックらと共にアンデパンダン美術家協会を共同設立したことが転機となります。

Henri-Edmond Cross

Après-midi à Pardigon (1907)

「パルディゴンでの午後」(Après-midi à Pardigon)は、南フランスのサン=クレールに移住して以降、好んで描いた地中海の風景を主題としています。

Henri-Edmond Cross

La Ferme, matin (1893)

「農場、朝」(La Ferme, matin)は、サン=クレールに移住して間もない時期の作品です。

Victor Prouvé (1858-1943)

ヴィクトール・プルーヴェは、19世紀末から20世紀半ばにかけてフランスで活躍した多才な芸術家です。彼は特に、アール・ヌーヴォー運動の中心地の一つであったナンシー派(École de Nancy)の主要人物として知られています。

ナンシー派の創設者であるエミール・ガレの親友であり、協力者でもありました。ガレの死後、彼はナンシー派の会長を引き継ぎ、その活動を牽引しました。

Victor Prouvé

L’île heureuse (1902)

「幸福の島」(L’île heureuse)は、現実離れした、理想化された場所を示唆しており、単なる風景画ではなく、精神的な安らぎや理想の追求といった象徴主義的なテーマが込められていると考えられます。これは、当時の世紀末芸術の潮流とも共鳴しています。

Victor Prouvé

La Joie  de vivre (1904)

「生の喜び」(La Joie de vivre)は、陽光の下、自由で幸福に満ちた人物たちが、自然の中で生き生きと描かれています。この作品も象徴主義の精神を融合させた作品です。

Victor Prouvé

Les Voluptueux (1889)

「快楽を求める人々」(Les Voluptueux)は、感覚的な喜びや享楽に身をゆだねる人々を指し、当時の社会における快楽主義的な側面や、人間存在の複雑な心理を探求していると考えられます。

Théophile Alexandre Steinlen (1859-1923)

テオフィル・アレクサンドル・スタンランは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家、版画家、イラストレーターです。彼は特に、モンマルトルのボヘミアンな生活と、社会批評的な視点を融合させた作品で知られています。彼は、当時の芸術家や作家が集まる有名なキャバレー「ル・シャ・ノワール」(Le Chat Noir、黒猫)の常連となり、そのポスターやプログラムの挿絵を手がけることで名声を確立しました。

Théophile Alexandre Steinlen

Les Éléments. Formes et couleurs (1900)

「要素。形と色彩」(Les Éléments. Formes et couleurs)は、彼の象徴的な思考と、当時のアール・ヌーヴォーや象徴主義の潮流が融合した一面を示していると考えられます。タイトルから、「要素(Éléments)」と「形と色彩(Formes et couleurs)」という抽象的な概念を、具体的な視覚イメージとして表現しようとした試みであることが伺えます。

Théophile Alexandre Steinlen

L’Application à la décoration des brodeuses au métier et à l’aiguille (1900) 上段

Fête de nuit (1900) 下段

「織機と針による刺繍装飾への応用」(L’Application à la décoration des brodeuses au métier et à l’aiguille)と「夜の祭り」(Fête de nuit)は、スタンランの多才な一面を示す作品です。

Aristide Maillol (1861-1944)

アリスティド・マイヨールは、20世紀初頭のフランスを代表する彫刻家であり、近代彫刻の巨匠の一人です。彫刻家として活動するのは40歳を過ぎてからであり、こちらの作品は画家として活動していた時の作品です。

Aristide Maillol

Le pauvre pêcheur (1881)

「哀れな漁師」(Le pauvre pêcheur)は、漁師が小舟に座り、うなだれるように沈思している姿を描いたもので、孤独・絶望・人間の存在に対する深い内省を表現しています。静けさと緊張が共存する構図で、マイヨールは人物を理想化せず、内面的な苦悩を彫刻的な静けさの中に封じ込めました。

Camille Martin (1861-1898)

カミーユ・マルタンは、フランスの画家・装飾芸術家・イラストレーターで、アール・ヌーヴォーの初期に活躍した人物です。

ナンシー派(École de Nancy)の一員として知られ、自然や植物をモチーフにした装飾的デザインを多く手がけました。特に壁画、ステンドグラス、家具デザインの分野で才能を発揮し、詩情豊かな曲線や色彩感覚が特徴です。建築家エミール・アンドレと協働することもあり、総合芸術としての空間装飾に貢献しました。

Camille Martin

Après l’enterrement (1889)

《Après l’enterrement》「葬式のあと」は、葬儀の後に残された人々の静けさと哀しみを、抑制された色彩と構図で詩的に描いています。日常の一場面を通じて死と喪失を象徴的に表現し、アール・ヌーヴォー的な装飾性と象徴主義の精神性が融合しています。

Émile Friant (1863-1932)

エミール・フリアンは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家です。彼は特に、写実主義(リアリズム)と自然主義(ナチュラルイズム)の系譜に位置づけられ、人物画、肖像画、そして日常の情景を細密に描写することで知られています。

アレクサンドル・カバネルに師事し、早くからその才能を認められ、弱冠20歳でサロンに入選を果たし、後に様々な賞やメダルを獲得しました。

Émile Friant

Madame Petitjeon (1883) 左側

La cuisinière (1887) 右側 カブの皮をむいている自身の母親です。

エミール・フリアンの「プチジャン夫人」(Madame Petitjean)は、落ち着いた表情の女性が室内で静かに座っている様子が丁寧に描かれており、当時のブルジョワ女性の品位や知性が感じられます。フリアン特有の緻密な筆致と繊細な陰影表現により、人物の存在感と心理的深みが際立っています。

モデルであるプチジャン夫人は、画家と親交のあった人物の妻であり、作品は単なる写実にとどまらず、親密なまなざしで捉えられた個人的な敬意と愛情が込められています。フリアンの卓越した肖像技術を示す代表作のひとつです。

「料理女」(La cuisinière)は、エプロンをつけた女性が調理中あるいは休憩中の姿で描かれており、労働者階級の女性の慎ましさや勤勉さが感じられます。フリアンは、写実的な細部描写と柔らかな光の効果を通じて、平凡な日常に美と尊厳を見出しています。

Émile Friant

Les amoureux (1888)

「恋人たち」(Les amoureux)は、向かい合う二人の若者が、互いに視線を交わしながらもどこか控えめな距離感を保っており、初々しさや内気な感情が繊細に表現されています。フリアン特有の緻密な筆致と柔らかな自然光の描写が、情感豊かな空気感を生み出しています。

Émile Friant

La Douleur (1898)

「苦痛」(La Douleur)は、人間の深い悲しみや喪失の感情を描いた象徴的な作品で、彼の写実主義と心理描写の巧みさが際立つ一作です。黒衣の女性が深い嘆きに沈む姿が描かれ、背景の暗さや静けさが感情の重さを強調しています。過剰な演出を避け、静かで抑制された表現によって、内面の苦悩がより強く伝わってきます。

Émile Friant

Jeune Nancéienne dans un paysage de neige (1887)

「雪景色の中の若いナンシーの女性」(Jeune Nancéienne dans un paysage de neige)は、故郷ナンシーの冬の情景と、そこに暮らす人々の姿を描いたものです。雪に覆われた静かな風景の中で、厚着をした女性がひとり佇む姿が描かれており、寒さの中に漂う静けさや孤独、そして内省的な雰囲気が印象的です。フリアンは、緻密な筆致と淡い色彩で雪の透明感を巧みに表現し、人物と風景を一体化させています。

Émile Friant

Le sculpteur Bussière dans son atelier (1884)

「アトリエの彫刻家ビュシエール」(Le sculpteur Bussière dans son atelier)は、彫刻家ギュスターヴ・ビュシエール(Gustave Bussière)をその制作の場で描いた肖像画で、芸術家の日常と創作の雰囲気をリアルに捉えた作品です。彫刻家が自身のアトリエで作品に向き合う姿が丁寧に描かれており、周囲には制作途中の像や道具が並び、創作の空気が濃密に伝わってきます。フリアンは、光と陰影、細部描写を駆使して、彫刻家の集中力や静かな情熱を浮かび上がらせています。

Émile Friant

Les Jours heureux (1895)

「幸福な日々」(Les Jours heureux)は、穏やかで充実した家庭のひとときを描いた作品で、人間関係の温かさや日常の安らぎをテーマにした写実的絵画です。親密な雰囲気の中でくつろぐ家族や恋人たちが描かれており、柔らかな自然光や落ち着いた色調が、静かな幸福感を醸し出しています。フリアン特有の細やかな筆致と人物の表情描写により、平凡な日常の中にあるかけがえのない喜びが繊細に表現されています。

Paul Sérusier (1864-1927)

ポール・セリュジエは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家で、ナビ派(Nabis)の理論的指導者として知られています。彼は、印象派の写実的な描写から脱却し、象徴主義的な表現と色彩の精神性を追求しました。

Paul Sérusier

Paysage d’automne (1914) 左側

Paysage breton (1906) 右側

「秋の風景」(Paysage d’automne)は、秋の風景に見られる赤、黄、茶といった色彩が、単なる自然の色としてではなく、画家の内面的な感情や、季節が持つ象徴的な意味合い(豊穣、衰退、あるいは移ろいゆく時の流れなど)を表現するために用いられています。

「ブルターニュの風景」(Paysage breton)は、ブルターニュの風景を通して色彩と形態の精神性を探求した作品です。

Suzanne Valadon (1865-1938)

シュザンヌ・ヴァラドンは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家です。彼女は、女性画家としては珍しく、アカデミーでの正規の教育を受けず、独学でその才能を開花させました。 また、数多くの芸術家のモデルを務めながら、自らの芸術を確立していった異色の経歴を持つことでも知られています。

エドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックといった当時の著名な画家たちのモデルを務め、その中で彼らの制作過程や技法を直接学びました。特にドガは彼女の才能を認め、絵画制作を奨励しました。

ソシエテナショナルデボザールに初めて出展した女性でもあり、様々な分野で活躍した先駆者的な女性です。

また、ユトリロの母でもあります。

Suzanne Valadon

Femme aux bas blancs (1924)

「白いストッキングの女」(Femme aux bas blancs)は、ヴァラドン特有の力強く、はっきりとした輪郭線によって表現されています。これにより、人物に彫刻のような量感と、確固たる存在感が与えられています。

Suzanne Valadon

Le Lancement du filet (1914)

「網を投げる人」(Le Lancement du filet)は、漁師という職業の過酷さや、網を投げるというシンプルな動作の中に宿る力、そして労働者の尊厳を真摯に描いています。

Ker-Xavier Roussel (1867-1944)

ケル=グザヴィエ・ルーセルは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家で、ナビ派(Nabis)の主要メンバーの一人として知られています。彼は、ナビ派の仲間であったエドゥアール・ヴュイヤールとは義理の兄弟(ルーセルはヴュイヤールの妹マリーと結婚)であり、深い親交がありました。

Ker-Xavier Roussel

L’Enfance  de Jupiter 

「ユピテルの幼少期」(L’Enfance de Jupiter)は、古代ギリシャ・ローマ神話の世界を扱ったものです。

ユピテルは、父クロノス(サトゥルヌス)に食われるのを避けるため、母レアー(レアー)によってクレタ島に隠され、ニンフや山羊のアマルテイアに育てられたとされています。

Henri Matisse (1869-1954)

アンリ・マティスは、20世紀前半のフランスを代表する画家、彫刻家、版画家であり、パブロ・ピカソと並び称される近代美術の巨匠の一人です。彼は特に色彩の魔術師として知られ、フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在として、伝統的な絵画の枠組みを打ち破りました。

Henri Matisse

Jeune fille à la blouse jaune, Marguerite Matisse (1921)

「黄色いブラウスの少女、マルグリット・マティス」(Jeune fille à la blouse jaune, Marguerite Matisse)は、マティスの娘であるマルグリット・マティス(Marguerite Matisse, 1894-1982)を描いた作品です。ブラウスの黄色が、背景や肌の色とどのように響き合い、見る者にどのような感情を呼び起こすかが追求されています。

Georges Dufrénoy (1870-1943)

ジョルジュ・デュフレノワは、20世紀前半にフランスで活躍した画家です。彼は、フォーヴィスム(野獣派)やキュビスムといった当時の前衛的な潮流を吸収しつつも、独自の色彩感覚と堅実な構成力で、都会の風景や静物画、室内画を制作しました。

Georges Dufrénoy

Port de Gènes (1914)

「ジェノヴァ港」(Port de Gènes)は、港の建物や船、海がデュフレノワ独特の装飾的かつ大胆な色面で構成されており、写実性よりも画面全体のリズムと色彩の調和が重視されています。赤や青などの強い色彩が躍動感と近代都市の活気を表現し、印象派やフォーヴィスムの影響が感じられます。

Georges Rouault (1871-1958)

ジョルジュ・ルオーは、20世紀前半のフランスを代表する画家であり、宗教的・社会的な主題をステンドグラスのような厚い輪郭線と重厚な色彩で表現したことで知られています。彼は、敬虔なカトリック教徒としての深い信仰と、社会に対する鋭い批判精神を芸術に込めました。

パリで生まれ、幼い頃からステンドグラス職人のもとで働き、後に国立高等装飾美術学校で学び、ギュスターヴ・モローに師事しました。モローは、ルオーの才能を見出し、彼に精神性を重視するよう教えました。モローの死後、ルオーは画風を大きく転換させ、独自の表現を確立していきます。

宗教的な作品が多いですが、作品に対してストイックなため、未完の作品を300点ほど燃やしてしまった話は有名です。

Pierrotins

Pierrotins (1932)

「ピエロたち」(Pierrotins)は、道化師(ピエロ)を主題とした彼の特徴的な作品群のひとつで、人間の哀しみや孤独を象徴的に表現した絵画です。

ルオーにとって道化師は、ただの娯楽を提供する存在ではなく、人間の孤独、悲劇性、そして社会の不条理を象徴する存在でした。彼らは外面的な陽気さの裏に、深い悲しみや苦悩を秘めており、ルオー自身の人間に対する深い洞察と共感が込められています。

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まとめ

ナンシー美術館に収蔵されているこれらの作品群は、19世紀末から20世紀初頭という激動の時代に、画家たちが伝統に抗い、あるいは取り込みながら、いかにして新しい芸術の地平を切り開いていったかを雄弁に物語っています。イポリット・プティジャンアンリ=エドモン・クロスが追求した科学的な色彩理論、ヴィクトール・プルーヴェテオフィル・アレクサンドル・スタンランが描いた象徴的な世界、そしてポール・セリュジエケル=グザヴィエ・ルーセルといったナビ派の画家たちが示した精神性への傾倒は、現代の私たちにも多くのインスピレーションを与えてくれます。この記事を通じて、彼らの創造への情熱と、作品に込められた深いメッセージを感じていただけたなら幸いです。ぜひ、実際にナンシー美術館を訪れて、これらの傑作が放つ唯一無二の輝きを体感してみてください。

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