「ヨーロッパの美術館は数が多すぎて、どこから手をつければいいか分からない…」「絵画鑑賞は好きだけど、各時代の特徴を覚えるのが大変…」
そう思われたことはありませんか?
フランスとドイツの文化が融合する美しい街、ストラスブールには、名美術館「ストラスブール美術館」があります。その豊富なコレクションの中でも、今回は西洋美術の大きな転換点であるルネサンス時代に焦点を当て、選りすぐりの作品をご紹介します。
各作品が生まれた背景や画家のこだわりを知ることで、目の前の絵画がもっと鮮やかに、もっと深く心に響くはず。
この記事を読めば、あなたのストラスブール美術館での鑑賞体験が、何倍も豊かなものになるでしょう。さあ、ルネサンス美術の奥深き世界へ、一緒に足を踏み入れてみませんか?
- Taddeo Gaddi (1300-1366)
- Allegretto Nuzi (1315-1373)
- Zanobi Strozzi (1412-1468)
- Antonio Vivarini (1415-1480)
- Cima da Conegliano (1459-1517)
- Bernardino Fungai (1460-1516)
- Piero di Cosimo (1461-1521)
- Jean Provost (1465-1529)
- Jan de Beer (1475-1528)
- Giovan Antonio Bazzi (1477-1549)
- Jacopo Neggretti (1480-1528)
- Lorenzo Lotto (1480-1566)
- Léonard Beck (1480-1542)
- Pedro Díaz de Oviedo (1487-1510)
- Tiziano Vecellio (1488-1576)
- Rocco Marconi (1490-1529)
- Lucas Gassel (1490-1570)
- Maarten van Heemskerck (1498-1574)
- Paris Bordone (1500-1571)
- Johann Melchior Bocksberger (1530-1587)
- Domenico Tintoretto (1560-1635)
- Carlo Bononi (1569-1632)
- Cornelius Engelsz (1575-1650)
- まとめ
Taddeo Gaddi (1300-1366)
タッデオ・ガッディは、イタリアの初期ルネサンス期に活躍した画家・建築家です。
彼は、ルネサンス美術の父と称されるジョットの最も重要な弟子の一人とされています。ジョットの工房で24年間も師事し、そのスタイルを継承しながらも、独自の発展を遂げました。
ガッディの作品は、師ジョットの持つ革新的な空間表現や写実性を引き継ぎつつ、物語性や細部の描写に豊かな表現を加えました。特に、建築的背景への関心や、光の効果の実験的な試みが見られます。

Triptique (1340)
《三連祭壇画(Triptique)》は、1340年頃に制作されたテンペラと金を用いた板絵です。この作品は、その名の通り三枚のパネルから構成される祭壇画であり、中央に聖母子、左右の翼部に聖人や物語の一場面が描かれています。
Allegretto Nuzi (1315-1373)
アレグレット・ヌーツィは、14世紀中頃に活動したイタリアの画家で、特にマルケ地方(イタリア中部)のファブリアーノを中心に活躍しました。
彼の画風は、当時のイタリア中部、特にシエナ派の影響を強く受けていることで知られています。シエナ派は、フィレンツェ派がジョットに代表されるような写実性や立体感を追求したのに対し、より優雅で曲線的な線描、鮮やかな色彩、そして装飾的な細部描写を特徴としていました。ヌーツィの作品にも、これらのシエナ派的な美意識が色濃く反映されています。

Cinq apôtres en buste
《五使徒の胸像》(Cinq apôtres en buste)は、五人の使徒の胸像を描いたものです。おそらく、より大きな祭壇画の一部であったか、あるいは一連の連作として制作されたものと考えられます。
Zanobi Strozzi (1412-1468)
ザノビ・ストロッツィは、イタリアの初期ルネサンス期に活躍したフィレンツェ派の画家であり、写本装飾家(ミニアチュール画家)でもあります。
初期ルネサンスの巨匠であるフラ・アンジェリコの弟子であったとされています。

Le Cortège des Rois Mages (1445)
《東方三博士の行列》(Le Cortège des Rois Mages)は、テンペラと金を用いた板絵です。キリストの誕生を祝うために東方から訪れた三博士(マギ)が、贈り物を持って進んでいく行列の様子を描いたものです。この主題は、当時のフィレンツェで非常に人気があり、多くの画家が手がけました。
Antonio Vivarini (1415-1480)
アントニオ・ヴィヴァリーニは、15世紀のイタリア、特にヴェネツィア派の初期ルネサンスを代表する画家です。ムラーノ島出身であることから「アントニオ・ダ・ムラーノ」とも呼ばれました。
弟のバルトロメオ・ヴィヴァリーニ、息子のアルヴィーゼ・ヴィヴァリーニとともに、ヴェネツィアにおける主要な画家一族「ヴィヴァリーニ家」の創始者とされています。

Sainte Famille
《聖家族》(Sainte Famille)は、テンペラと金を用いた板絵で、キリスト教美術における伝統的な主題である聖家族、すなわち聖母マリア、幼子イエス、そして聖ヨセフを描いたものです。しばしば、洗礼者ヨハネや他の聖人が加わることもあります。ヴィヴァリーニは、この普遍的な主題を、ヴェネツィア派初期の特徴である華やかさと優雅さをもって表現しています。
Cima da Conegliano (1459-1517)
チーマ・ダ・コネリアーノは、イタリア・ルネサンス期、特にヴェネツィア派の重要な画家の一人です。ヴェネツィア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニに強い影響を受けながらも、独自の画風を確立しました。Giovanni Battista Cimaとも呼ばれています。

Saint Roch
《聖ロクス》(Saint Roch)は、油彩とポプラ材の板絵です。この作品は、疫病からの守護聖人として崇敬される聖ロクス(Saint Roch)を描いたものです。聖ロクスは、巡礼の途中で疫病にかかり、自らの足にできた腫瘍(腺病質)を見せる姿でよく描かれます。
Bernardino Fungai (1460-1516)
ベルナルディーノ・フンガイは、イタリアのシエナ派に属する初期ルネサンスの画家です。
彼は、15世紀末から16世紀初頭にかけて活躍し、晩期ゴシック様式から初期ルネサンス様式への移行期を代表する画家の一人として知られています。シエナで生まれ、ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニの弟子であったと記録されていますが、マッテオ・ディ・ジョヴァンニや、ペルジーノ、ルカ・シニョレッリといった当時のフィレンツェやウンブリアの画家たちからも影響を受けています。

La Conversion de saint Clément (左側)
Saint Clément retrouvant sa famille (右側)
《聖クレメンスの改宗》(La Conversion de saint Clément)と《聖クレメンス、家族と再会する》(Saint Clément retrouvant sa famille)は、元々一対のパネルであり、おそらく15世紀末から16世紀初頭にかけて制作されたカッソーネ(婚礼用の長持)の前面を飾っていたと考えられています。
これらの作品は、ローマ教皇クレメンス1世(聖クレメンス)の生涯における二つの重要なエピソードを描いています。
《聖クレメンスの改宗》: このパネルでは、クレメンスが旅の途中で聖ペテロと出会い、キリスト教の教えに感銘を受け、改宗する場面が描かれています。これは彼の信仰への目覚めと、精神的な旅の始まりを象徴しています。
《聖クレメンス、家族と再会する》: こちらのパネルでは、信仰の道を歩む中で、奇跡的に生き別れていた両親や兄弟と再会する場面が描かれています。これは、信仰がもたらす家族の絆と、長い試練の後の喜びを表現しています。
Piero di Cosimo (1461-1521)
ピエロ・ディ・コジモは、イタリアの初期ルネサンス、特にフィレンツェ派に属する画家です。本名はピエロ・ディ・ロレンツォといいますが、師であるコジモ・ロッセッリ(Cosimo Rosselli)の工房で学んだことから、その通称で知られるようになりました。
当時のフィレンツェ美術の主流であった古典主義的な傾向とは一線を画し、独特の幻想性と奇抜な想像力に満ちた作品を多く残しました。特に、神話や寓話、あるいは人間が原始的な状態から進化していく様子を描いた作品で知られ、半人半獣のクリーチャーや奇妙な風景が登場することも特徴です。

LA VIERGE À L’ENFANT AVEC LE JEUNE SAINT JEAN-BAPTISTE
《幼い洗礼者聖ヨハネを伴う聖母子》(La Vierge à l’Enfant avec le jeune saint Jean-Baptiste)は、聖母マリアが幼子イエスを抱き、その傍らに幼い洗礼者ヨハネが描かれるという、フィレンツェ派の聖母子像において非常に人気の高い主題を扱っています。
Jean Provost (1465-1529)
ジャン・プロヴォーは、15世紀後半から16世紀前半にかけて活躍したフランドルの画家です。ベルギーのモンスで生まれ、主にブルージュとアントウェルペンで活動しました。
彼の画業は、ゲラール・ダヴィッドやハンス・メムリンクといった当時のフランドル絵画の巨匠たちから影響を受けつつも、独自の様式を確立しました。プロヴォーの作品は、フランドル美術の写実性と細密描写の伝統を守りながら、ルネサンス的な新しい精神、特に人物の心理描写や、より物語性豊かな表現を取り入れている点が特徴です。
プロヴォーは画家だけでなく、地図製作者、技術者、建築家としても活動していたとされています。

La vierge allaitant (1510)
《授乳する聖母》(La Vierge allaitant)は、キリスト教美術において古くから描かれてきた人気の主題である「授乳する聖母子(聖母マリアが幼子イエスに乳を与える姿)」を描いています。
Jan de Beer (1475-1528)
ヤン・デ・ベールは、16世紀初頭にアントウェルペン(アントワープ)で活動したフランドル(ネーデルラント)の画家です。彼は、当時アントウェルペンで隆盛した「アントウェルペン・マニエリスム」と呼ばれる様式を代表する画家のうちの一人とされています。

Le Portement de croix (1510/20)
《十字架を担ぐキリスト》(Le Portement de croix)は、油彩とオーク材の板絵です。
この作品は、イエス・キリストが処刑場であるゴルゴタの丘へ向かう途中、自らの十字架を背負って歩く、キリストの受難の物語における重要な場面を描いています。
Giovan Antonio Bazzi (1477-1549)
ジョヴァンニ・アントニオ・バッツィは、盛期ルネサンスからマニエリスムへの移行期に活躍したイタリアの画家です。彼は主に「イル・ソドマ(Il Sodoma)」という通称で知られています。
彼はヴェルチェッリで生まれましたが、キャリアのほとんどをシエナで過ごしました。その画風は、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロといった当時の巨匠たちからの影響を受けつつも、独自の感性と表現を発展させました。

La Sainte Famille avec saint Jean-Baptiste et un ange (1510)
《洗礼者聖ヨハネと天使を伴う聖家族》(La Sainte Famille avec saint Jean-Baptiste et un ange)は、聖母マリア、幼子イエス、聖ヨセフからなる聖家族に加えて、幼い洗礼者聖ヨハネと天使が描かれた、盛期ルネサンスからマニエリスムへの移行期に特徴的な主題の組み合わせです。聖家族という宗教的な主題に、より多くの人物を配置することで、物語性と空間的な広がりを与えています。
製作年は1510年頃と考えられていましたが、近年の研究(2017年の様式的・図像学的検査)により、1535年-1540年頃にシエナで描かれた可能性がはるかに高いとされています。
Jacopo Neggretti (1480-1528)
ヤコポ・ネグレッティは、イタリア盛期ルネサンス、特にヴェネツィア派の画家です。彼は、一般的に「パルマ・イル・ヴェッキオ(Palma il Vecchio)」という通称で知られています。「ヴェッキオ(Vecchio)」は「古い」を意味し、彼の血縁にあたる後の画家パルマ・イル・ジョーヴァネ(Palma il Giovane、「若いパルマ」の意)と区別するために用いられます。
ヴェネツィア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニやジョルジョーネの影響を受け、豊かな色彩と温かい光の表現を特徴とします。

Salvator Mundi (1520)
《サルバトール・ムンディ》(Salvator Mundi)は、「世界の救世主」を意味するサルバトール・ムンディ、すなわちイエス・キリストの半身像を描いたものです。キリストは右手を上げて祝福のジェスチャーをし、左手には世界を象徴する透明な宝珠(クルチゲル、十字架付きの球体)を持っています。
Lorenzo Lotto (1480-1566)
ロレンツォ・ロットは、イタリアの盛期ルネサンス期に活躍した画家です。ヴェネツィア出身ですが、キャリアの多くをヴェネツィア以外の北イタリアの都市(トレヴィーゾ、ベルガモ、アンコーナ、ロレートなど)で過ごしました。そのため、ヴェネツィア派に属しながらも、その画風は非常に個性的で独創的です。後期の作品は、徐々にマニエリスムになっていきます。

L’Evanouissement de la Vierge pendant le transport du Christ (1545/46)
ロレンツォ・ロットの**《キリストの運搬中に失神する聖母》(L’Evanouissement de la Vierge pendant le transport du Christ au tombeau)は、キリストの受難の物語、特にキリストが墓へと運ばれる途中で、聖母マリアがその悲しみのあまり失神してしまうという、非常に劇的な瞬間を描いています。福音書には明記されていない場面ですが、中世からルネサンスにかけて、聖母の苦悩を強調する主題として描かれました。
Léonard Beck (1480-1542)
レオンハルト・ベックは、16世紀初頭に活動したドイツ・ルネサンスの画家、特に版画家として知られています。
彼はアウクスブルクで生まれ、主にこの地で活動しました。マクシミリアン1世神聖ローマ皇帝の宮廷画家として仕え、特に皇帝のために制作された大規模な木版画プロジェクトに貢献しました。

Sainte Famille
《聖家族》(Sainte Famille)は、キリスト教の伝統的な主題である聖家族、すなわち聖母マリア、幼子イエス、そして聖ヨセフを描いています。ドイツ・ルネサンスの画家であるベックは、この主題を、フランドル美術の細密な描写と、ドイツ特有の精神性を融合させた形で表現しています。
Pedro Díaz de Oviedo (1487-1510)
ペドロ・ディアス・デ・オビエドは、15世紀末から16世紀初頭にかけて、主にスペインのナバラ地方とアラゴン地方で活躍した画家です。
彼の画風は、「イスパノ=フランドル様式」に分類され、北ヨーロッパのゴシック美術、特にフランドル絵画の影響を強く受けているのが特徴です。この様式は、細密な描写、鮮やかな色彩、そして宗教的なテーマの表現に優れています。

Marie Cléophas, dit autrefois Vierge ou sainte assise sur un trône
《クレオファスのマリア(旧称:玉座に座る聖母または聖女)》(Marie Cléophas, dit autrefois Vierge ou sainte assise sur un trône)は、当初「玉座に座る聖母または聖女」と識別されていましたが、後に「クレオファスのマリア」という特定の聖女として特定されるようになりました。クレオファスのマリアは、イエスの磔刑の場にいたとされる女性の一人で、新約聖書に登場する人物です。
Tiziano Vecellio (1488-1576)
ティツィアーノ・ヴェチェッリオは、イタリア盛期ルネサンス、特にヴェネツィア派を代表する最も重要な画家の一人です。彼は、約70年にもわたる長い画業の中で、その画風を絶えず進化させ、後世の画家たちに絶大な影響を与えました。
ティツィアーノの作品の最大の特徴は、色彩への深い探求と表現力です。彼は、鮮やかな色彩を大胆に用い、光と影の劇的な対比によって、人物の肉体や布の質感を生き生きと描き出しました。初期にはジョルジョーネの影響を受けた詩的な作風でしたが、次第に独自の、より力強く、感情豊かな表現へと移行しました。
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DANAE(COPIE)
《ダナエ》(Danaë)は、オリジナルではなく、コピー(複製画)です。オリジナルの多くはプラド美術館に代表されるように、ティツィアーノ自身とその工房によって複数バージョンが制作されました。
この作品は、ギリシア神話に登場するアルゴス王女ダナエの物語を描いています。彼女は、ゼウス(ローマ神話のユピテル)が黄金の雨となって彼女のもとに降り注ぎ、交わることで英雄ペルセウスを身ごもるという神話的な場面です。
Rocco Marconi (1490-1529)
ロッコ・マルコーニは、イタリア盛期ルネサンス、特にヴェネツィア派で活躍した画家です。
彼は、ヴェネツィアで活動し、ジョヴァンニ・ベッリーニやティツィアーノといったヴェネツィア派の巨匠たちの影響を受けました。マルコーニの作品は、ヴェネツィア派特有の豊かな色彩感覚と柔らかな光の表現が特徴です。

Vierge à l’Enfant
《聖母子》(Vierge à l’Enfant)は、キリスト教美術における最も普遍的で人気の高い主題の一つ、聖母マリアと幼子イエス・キリストを描いたものです。マルコーニは、ヴェネツィア派特有の色彩と光の感覚をもって、この神聖な親子像を表現しています。
Lucas Gassel (1490-1570)
ルーカス・ガッセルは、16世紀のフランドル(ネーデルラント)で活躍したルネサンス期の画家です。彼は特に風景画の分野で知られています。

Paysage avec Mercure et Argus (1550)
《メルクリウスとアルゴスのいる風景》(Paysage avec Mercure et Argus)は、ギリシア神話の有名なエピソード、メルクリウス(ヘルメス)が多眼の巨人アルゴスを欺き、イオを解放する場面を広大な風景の中に描き込んでいます。神話の物語が、絵画の主役である風景の中に小さく配されているのが特徴です。
Maarten van Heemskerck (1498-1574)
マールテン・ファン・ヘームスケルクは、16世紀のオランダ(ネーデルラント)を代表する画家です。彼は、特にマニエリスム様式の画家として知られ、イタリア・ルネサンスの影響をネーデルラントにもたらしました。ハールレムでヤン・ファン・スコーレルに師事した後、1532年から1536年/1537年までイタリア、特にローマに滞在しました。
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Gédéon 左側
Adam et Ève 右側
《ゲデオン》(Gédéon)と《アダムとイヴ》(Adam et Ève)は、元々多翼祭壇画の一部を構成していたと考えられます。
Paris Bordone (1500-1571)
パリス・ボルドーネは、イタリア盛期ルネサンス、特にヴェネツィア派の画家です。トレヴィーゾで生まれましたが、幼い頃にヴェネツィアに移り住み、ティツィアーノの工房で学びました。

Le Repos pendant la fuite en Egypte
《エジプトへの逃避途上の休息》(Le Repos pendant la fuite en Égypte)は、新約聖書に登場する「エジプトへの逃避」の物語から、幼子イエスをヘロデ王の追跡から守るため、聖母マリアと聖ヨセフがエジプトへ向かう途中で休息を取る場面を描いています。多くの画家が手掛けた人気の主題ですが、ボルドーネはヴェネツィア派特有の色彩と光の感覚で表現しています。
Johann Melchior Bocksberger (1530-1587)
ヨハン・メルヒオール・ボックスベルガーは、16世紀のザルツブルク(現在のオーストリア)出身の画家です。彼は、特にドイツ語圏におけるルネサンス美術の時代に活動しました。
彼の作品については、残念ながら現存する数が非常に少ないとされています。

LA CRÉATION DU MONDE (1575)
《天地創造》(LA CRÉATION DU MONDE)は、旧約聖書の「創世記」に描かれている天地創造の物語を主題としています。神が世界とそこに住むあらゆるものを創造していく壮大な過程が、複数の場面にわたって表現されていると考えられます。
Domenico Tintoretto (1560-1635)
ドメニコ・ティントレットは、イタリア盛期ルネサンスから初期バロックにかけて活躍したヴェネツィア派の画家です。彼は、偉大な画家ヤーコポ・ティントレット(通称ティントレット)の息子であり、父の工房で学び、長年にわたってそのアシスタントを務めました。本名はドメニコ・ロブスティ(Domenico Robusti)ですが、父の通称を受け継いで「ドメニコ・ティントレット」として知られています。

Bacchus Ariane et Vénus
《バッカス、アリアドネ、ヴィーナス》(Bacchus Ariane et Vénus)は、ギリシア神話の有名なエピソードを描いています。物語では、置き去りにされ悲嘆にくれるアリアドネを、偶然通りかかったバッカスが見初め、彼女を妻に迎えるという場面が描かれていることが多いです。ヴィーナスは、この愛の成就を見守るか、あるいは介在する存在として描かれることがあります。
Carlo Bononi (1569-1632)
カルロ・ボノーニは、17世紀初頭のイタリアで活躍した画家です。彼は主にフェラーラを拠点としましたが、ボローニャやローマにも滞在し、それぞれの地の美術様式から影響を受けました。
ボノーニの画風は、盛期ルネサンスの古典主義的な要素と、カラッチ派に代表されるボローニャ派の古典主義、そしてカラヴァッジョに代表される初期バロックのリアリズムと劇的な明暗表現(キアロスクーロ)が融合した、非常に折衷的かつ革新的なものでした。

Saint Sébastien et l’Ange (1620)
《聖セバスティアヌスと天使》(Saint Sébastien et l’Ange)は、キリスト教の殉教者である聖セバスティアヌスと、彼を慰める天使を描いています。聖セバスティアヌスは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝の迫害下で、矢で射られるという拷問を受けたことで知られる聖人です。
Cornelius Engelsz (1575-1650)
コルネリス・エンゲルスゾーンは、17世紀前半のオランダ黄金時代に活躍した画家です。主にハールレムを拠点として活動しました。
彼は、特に集団肖像画の分野で知られています。当時のオランダでは、市民の団体(民兵隊や慈善団体の役員など)が集合して描かれる集団肖像画が人気を博しており、エンゲルスゾーンもこのジャンルで多くの作品を手がけました。

La Garde civique de Saint-Adiren (1612)
《聖アドリアンの市民衛兵隊》(La Garde civique de Saint-Adrien)は、17世紀初頭のオランダで流行した集団肖像画の一例であり、ハールレムの聖アドリアン民兵隊のメンバーを描いたものです。民兵隊(または市民衛兵隊)は、町の防衛や治安維持を担う市民組織であり、その連帯と威厳を示すために、隊員たちが集まって肖像画を制作することがよくありました。
まとめ
いかがでしたか。
ルネサンス時代と言うと、どうしても宗教画が中心となってしまいますが、それでも限られたテーマのなかで、様々な手法が編み出された西洋美術史の中でも革新的な時代です。
初期の作品と、後期の作品を比べると、より立体的な表現で、表情も豊かになっていくのが分かると思います。
ぜひ、現地でそんなことを頭の片隅に置きながら鑑賞してみてください。
今まで以上に楽しめると思います。
次回は、バロック時代を中心にご紹介させて頂きます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
ストラスブール美術館については以下の記事もご参照ください。
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