ストラスブール美術館の扉の向こうには、激動の時代を生きた芸術家たちの魂が息づいています。
今回ご紹介するのは、18世紀から19世紀にかけてのフランス美術を彩った作品群です。ロココの甘美さから、新古典主義の厳格な美、そして感情豊かなロマン主義へと、美術の潮流が大きく変化したこの時代、画家たちはキャンバスに何を映し出したのでしょうか。
本記事では、ストラスブール美術館が誇るコレクションの中から、特に注目すべき画家たちと、彼らが描いた珠玉の作品をご紹介します。ニコラ=ギイ・ブルネが示す高潔な古典主義から、アレクサンドル=エヴァリスト・フラゴナールの劇的な物語、テオドール・シャセリオーの神秘的なオリエンタリズム、ウィリアム=アドルフ・ブグローの理想化された美、そしてウジェーヌ・ドラクロワの情熱的な歴史画まで、多様な様式と主題で展開されたフランス美術の魅力を深く掘り下げます。
彼らの作品を通して、時代の精神と画家の個性が織りなすアートの壮大なドラマを、ぜひご堪能ください。
- Nicolas Guy Brenet (1728-1792)
- Alexandre-Evariste Fragonard (1780-1850)
- Théodore Chassériau (1819-1856)
- William Adolphe Bouguereau (1825-1905)
- Eugène Delacroix (1798-1863)
- Francisque Millet (1642-1679)
- Georges Michel (1763-1843)
- Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875)
- Théodore Rousseau (1812-1867)
- Antoine Chintreuil (1814-1873)
- Hippolyte Pradelles (1824-1913)
- Gustave Brion (1824-1877)
- Jules-Édouard Magy (1827-1878)
- Jean-Jacques Henner (1829-1905)
- Léon-François Comerre (1850-1916)
- まとめ
Nicolas Guy Brenet (1728-1792)
ニコラ=ギイ・ブルネは、18世紀フランスで活躍した画家、版画家です。パリで生まれ、そこで生涯を終えました。
彼は主に歴史画を専門とし、その画風は古典主義に特徴づけられます。初期にはロココ様式の画家フランソワ・ブーシェのもとで学びましたが、1760年代にはその甘美な作風から離れ、より厳格で荘厳なニコラ・プッサンの様式を再評価し、その影響を強く受けました。

La Continence de Scipion (1788)
「スキピオの禁欲(La Continence de Scipion)」は、古代ローマの将軍スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の有名な逸話を描いています。彼はカルタゴを陥落させた際、捕虜となった美しい女性を、その婚約者に返還し、その純潔を守らせたという「禁欲」の美徳を示しました。
ブルネは、この主題を厳格な構図と明瞭な描写で表現しています。登場人物たちは、古典的な衣装をまとい、英雄的な姿勢で描かれ、場面全体に荘厳な雰囲気が漂います。光の使い方も抑制的で、倫理的なメッセージを強調するように構成されています。
ブルネがブーシェのロココ様式から離れ、プッサンに代表される古典主義へと回帰した時期の作品であり、フランス革命前夜の新古典主義の胎動を感じさせる重要な作品です。
Alexandre-Evariste Fragonard (1780-1850)
アレクサンドル=エヴァリスト・フラゴナールは、18世紀末から19世紀半ばにかけて活躍したフランスの画家、彫刻家です。著名なロココ画家ジャン=オノレ・フラゴナールの息子としてグラースに生まれました。
彼は、父から最初の絵画の訓練を受け、その後、新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドのもとで学びました。初期には父のロココ様式とは異なる、共和主義的な題材を描いた新古典主義の作品を多く手がけましたが、後には父の絵画技法や様式を取り入れるようにもなりました。
フラゴナールは非常に多才で、歴史画、風俗画、装飾画、本の挿絵、ファッション画、セーブル磁器のデザイン、彫刻など、幅広い分野で才能を発揮しました。特にトルバドゥール様式と呼ばれる、中世やルネサンスの物語を主題にした歴史画で知られています。また、セーブル王立磁器製作所のデザインも手がけ、その貢献は多岐にわたります。

Don Juan et la statue du commandeur (1830/35)
「ドン・ファンと司令官の像(Don Juan et la statue du commandeur)」は、伝説的な放蕩者ドン・ファンの物語のクライマックス、特にモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の終幕を描いています。ドン・ファンが殺害した司令官の墓を訪れた際、石像が生きて動き出し、彼を地獄へと引きずり込むという、劇的で超自然的な場面です。
Théodore Chassériau (1819-1856)
テオドール・シャセリオーは、19世紀フランスの画家で、ロマン主義に属しながらも、その師である新古典主義の巨匠ドミニク・アングルからの影響も色濃く残す、独特の画風を持った画家として知られています。
カリブ海のサントドミンゴ(現ドミニカ共和国)で生まれ、幼くしてパリに移住。わずか11歳でアングルのアトリエに入門し、その早熟な才能をアングルに絶賛されました。
シャセリオーの作品は多岐にわたり、肖像画、歴史画、宗教画、寓意的な壁画、そしてオリエンタリズム(東方趣味)に溢れた作品が有名です。特に1846年のアルジェリア旅行は彼に大きな影響を与え、異国情緒あふれる数々の傑作を生み出しました。

Intérieur de harem ou Femme mauresque sortant du bain au sérail(1854)
「ハレムの内部、あるいはセライユの浴室から出るムーア人女性(Intérieur de harem ou Femme mauresque sortant du bain au sérail)」は、シャセリオーが得意としたオリエンタリズム(東方趣味)の代表作の一つです。1846年のアルジェリア旅行で得たインスピレーションを基に、彼が想像したハレムの内部の情景を描いています。
画面には、浴室から出てくるムーア人の女性が描かれており、その姿はエキゾチックな雰囲気と官能性を帯びています。シャセリオーの画風の特徴である、新古典主義の師アングルから受け継いだ線の正確さと、ロマン主義の鮮やかな色彩、そして光と影の巧妙な対比がこの作品にも顕著に表れています。特に、女性の肌の質感と、周囲の布地の表現は、彼の優れた描写力を示しています。

Une jeune fille cosaque trouve Mazeppa évanoui sur le cheval sauvage (1851)
「若いコサックの娘が野馬の上の気絶したマゼッパを見つける(Une jeune fille cosaque trouve Mazeppa évanoui sur le cheval sauvage)」は、ポーランドの貴族であり、後にコサックのヘトマン(首長)となったイヴァン・マゼッパの伝説を描いています。若き日のマゼッパが、不倫の罪で裸のまま野馬に縛り付けられ、荒野に放たれるという残忍な刑罰を受け、気絶した状態でコサックの娘に発見される場面です。この物語は、バイロン卿の詩やヴィクトル・ユゴーの詩など、ロマン主義の文学作品で人気を博しました。
William Adolphe Bouguereau (1825-1905)
ウィリアム=アドルフ・ブグローは、19世紀後半のフランスのアカデミズム絵画を代表する最も著名な画家の一人です。
彼は、ラ・ロシェルで生まれ、パリ国立高等美術学校で学び、1850年には若手画家の登竜門であるローマ賞を受賞し、イタリア留学を経験しました。
ブグローの作品は、神話、寓意、宗教、そして理想化された農民の生活を題材とすることが多く、特に女性の裸体や子供たちの姿を、完璧なまでの写実性と滑らかな筆致で描きました。彼の絵画は、細部にわたる精緻な描写、理想化された美、そしてセンチメンタルな感情表現が特徴です。

La Vierge consolatrice (1877)
「慰める聖母(La Vierge consolatrice)」は、慈悲深い聖母マリアが描かれており、その腕の中には亡くなった子供が抱かれ、慰めを求める人々に囲まれています。ブグロー特有の滑らかで洗練された筆致により、聖母の表情や、悲しみに暮れる人々の感情が細やかに表現されています。光の表現も巧みで、聖母の神聖さと、人々の苦悩が対比的に描かれています。
Eugène Delacroix (1798-1863)
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワは、19世紀フランスのロマン主義を代表する画家です。
彼は、古典主義の厳格さに対し、感情、想像力、劇的な表現を重視するロマン主義絵画の指導者と見なされています。特に、その鮮烈な色彩、力強い筆致、そしてダイナミックな構図が特徴です。

Attila envahissant l’Italie (1851) (上)
Episode de la guerre de 1814 (1870) (下) Théophile Schuler(1821-1878)
「イタリアを侵略するアッティラ(Attila envahissant l’Italie)」は、5世紀にフン族の王アッティラがイタリアに侵攻し、ローマ帝国を脅かした歴史的事件を描いています。ドラクロワは、この壮大な歴史的出来事を、彼の得意とする劇的でダイナミックな表現で描き出しています。
「1814年の戦争の一挿話」(Épisode de la guerre de 1814)は、フランスの画家テオフィル・シューラーによって制作された絵画です。
Francisque Millet (1642-1679)
フランシスク・ミレーは、フランドル(現在のベルギー)のアントウェルペンで生まれ、主にパリで活躍した17世紀フランスの風景画家です。本名はジャン=フランソワ・ミレーですが、「フランシスク」の通称で知られています。
彼は、古典主義的な風景画の巨匠ニコラ・プッサンから強い影響を受け、その様式を継承しました。ミレーの作品は、理想化された自然の中に、しば物憂げな雰囲気や、神話的・聖書的な人物が描かれているのが特徴です。光の表現や構図においてプッサンの影響が顕著に見られます。
王立絵画彫刻アカデミーの会員でもあり、1673年にはサロンに出展しました。多くの作品が後の版画の元になるなど、当時から広く知られていました。

Paysage maritime
「海辺の風景(Paysage maritime)」は、岩場や木々が配された海岸線、そして遠くには水平線と空が広がっています。画面全体に穏やかな光が満ち、詩的でどこか物憂げな雰囲気が漂います。ミレーの特徴である、慎重に構成された構図と、深みのある色彩がこの風景に静かな美しさを与えています。
Georges Michel (1763-1843)
ジョルジュ・ミシェルは、18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍したフランスの風景画家です。パリで生まれ、生涯のほとんどをパリで過ごしました。
彼は、特にパリ近郊の田園風景やモンマルトルの丘を描いた作品で知られています。ミシェルは、屋外で直接自然を観察し、その印象を絵画に落とし込むことを重視しました。このため、彼はバルビゾン派の先駆者として、また、後の印象派にも影響を与えた画家として評価されています。フィンセント・ファン・ゴッホも彼の作品を賞賛し、書簡で言及しています。

L’Orage (1830)
「嵐(L’Orage)」は、暗く厚い雲に覆われた空が広がり、まさに嵐が到来しようとしている、あるいはすでに過ぎ去った後の重苦しい雰囲気が漂っています。ミシェル特有の、大地を覆うような広がりと、空の表現が印象的です。

Paysage avec moulins à vente (上)
Paysage :Louis CABAT(1812-1893) (下)
「風車のある風景(Paysage avec moulins à vent)」は、広々とした平野にそびえ立つ複数の風車が、重厚な雲の下に描かれています。ミシェル特有の、暗くも情感豊かな空の表現と、荒々しい筆致による大地の描写が、この風景に力強い存在感を与えています。
Paysage :Louis CABAT(1812-1893)は、フランスの画家ルイ・カバによって制作された絵画です。彼は、19世紀フランスのバルビゾン派に属する風景画家の一人として知られています。
Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875)
ジャン=バティスト・カミーユ・コローは、19世紀フランスの風景画を代表する画家であり、バルビゾン派の主要なメンバーの一人です。後の印象派の画家たちにも大きな影響を与えた「橋渡し的な存在」と評されています。
パリの裕福な家庭に生まれ、26歳で本格的に絵画の道を志しました。アシル=エトナ・ミシャロンやジャン=ヴィクトール・ベルタンといった新古典主義の風景画家に師事した後、イタリアへ複数回留学し、明確な形態と明るい色彩の風景画を習得しました。
彼の作品は、現実の風景を忠実に描写しつつも、そこに詩的な雰囲気を加えることで知られています。特に銀灰色を帯びた、靄(もや)がかかったような叙情的な風景画が特徴で、「想い出」シリーズとして人気を博しました。また、人物画にも傑作を残しています。

Fraîcheur du matin (1870) (上)
Paysage du Morvan (1855) (下)
「朝の涼しさ(Fraîcheur du matin)」は、画面全体に広がる柔らかな光と、銀灰色を帯びた靄(もや)がかったような空気感が、まさに「朝の涼しさ」というタイトルを体現しています。
「モルヴァン地方の風景(Paysage du Morvan)」は、フランス中央部のブルゴーニュ地方にあるモルヴァン山塊の風景を描いています。
Théodore Rousseau (1812-1867)
テオドール・ルソー(は、19世紀フランスの風景画家であり、バルビゾン派の中心的人物として知られています。
パリで生まれ、当初は伝統的な絵画の訓練を受けましたが、スタジオでの制作よりも、自然を直接観察し、戸外で描くことを重視するようになりました。彼は、フランスのジュラ地方の森林に触発され、風景画の道に進みました。

Le Marais (1850) (上)
Esquisse de paysage (1830) (下)
「沼地(Le Marais)」は、広大な沼地が広がり、水面に映る空や、点在する樹木が描かれています。
「風景の習作(Esquisse de paysage)」は、ルソーが戸外で自然を直接観察し、その瞬間の印象を捉えるために描いた習作、つまりスケッチや下絵に位置づけられるものです。
Antoine Chintreuil (1814-1873)
アントワーヌ・シャントルイユは、19世紀フランスの風景画家です。ポン=ド=ヴォーで生まれ、ラ・トゥーシュ(セーヌ=エ=マルヌ県)で亡くなりました。
彼は、バルビゾン派の画家たち、特にコローに強い影響を受け、大気や光の移ろいを捉えることに長けていました。シャントルイユの作品は、特定の場所の描写というよりも、空気感や瞬間の光、天候の変化といった、風景の「雰囲気」を描き出すことを重視しました。

Le soleil boit la rosée (1866)
「太陽は露を飲む(Le soleil boit la rosée)」は、早朝、太陽が昇り始め、地面の露が蒸発していく様子、つまり「太陽が露を飲む」瞬間を描写しています。
Hippolyte Pradelles (1824-1913)
イポリット・プラデルは、19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの風景画家です。ストラスブールで生まれ、ボルドーで亡くなりました。
彼は、当初は製図家や水彩画家として活動していましたが、後に主に風景画を手掛けるようになりました。特に地方の風景を得意とし、ジャンル画や軍事シーンも描いています。クールベの影響を受けて風景画を描くようになりました。

Paysage des bords de la Garonne
「ガロンヌ川沿いの風景(Paysage des bords de la Garonne)」は、晩年に活動の拠点としたフランス南西部のガロンヌ川のほとりの風景を描いています。プラデルは、ギュスターヴ・クールベの影響を受け、写実的な風景画を得意としました。
Gustave Brion (1824-1877)
ギュスターヴ・ブリオンは、19世紀フランスの画家であり、イラストレーターとしても活躍しました。特に、農民の生活や田園風景を描いた風俗画、そして歴史画で知られています。
フランスのアルザス地方のロトー(Rothau)で生まれ、ストラスブールで絵画を学びました。その後パリへと移り、1847年のサロンに初出品しました。
ブリオンの作品は、アルザス地方の農民の生活や、結婚式、収穫、葬儀といった日常の出来事を、写実的かつ情感豊かに描き出すことを得意としました。彼はまた、1814年のナポレオン戦争に関連する歴史画も手掛けています。
彼の名声は、特にヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』の最初の挿絵を手がけたことで確立されました。彼のイラストは、作品の登場人物や情景を視覚化し、小説の人気に大きく貢献しました。
当時のフランス絵画におけるリアリズムの潮流に属し、庶民の生活や地域の風俗を主題とすることで、独自の地位を築きました。

Femme au rosier (1875)
「バラの木のある女性(Femme au rosier)」は、バラの木(あるいはバラの茂み)のそばに立つ、または座る女性が描かれています。ブリオンの作品に特徴的な、写実的でありながらも情感豊かな描写がこの絵にも表れています。女性の衣装や表情、そしてバラの繊細な描写から、当時の田園生活の情景や、そこに生きる人々の慎ましい美しさが伝わってきます。光の表現も穏やかで、全体に落ち着いた温かい雰囲気が漂います。
Jules-Édouard Magy (1827-1878)
ジュール=エドゥアール・マジは、19世紀フランスの画家です。メスで生まれ、マルセイユで亡くなりました。
彼は、特にオリエンタリズム(東方趣味)の絵画や、聖書を題材とした作品で知られています。師であるプロヴァンスの画家エミール・ルーボンに学びました。

La Caravane (1863)
「キャラバン(La Caravane)」は、広大な砂漠の中をゆっくりと進むラクダの隊列が描かれており、異国情緒あふれる雰囲気と、旅の厳しさ、そして雄大さが感じられます。マジは、光の表現を巧みに用い、砂漠の太陽や、遠くまで広がる地平線を効果的に描写しています。
Jean-Jacques Henner (1829-1905)
ジャン=ジャック・エンネルは、19世紀後半のフランスの画家です。アルザス地方のベルシュドルフで生まれ、パリで亡くなりました。
彼は、初期には肖像画や宗教画を手がけましたが、特に裸婦像、神話画、そして幻想的な風景画で知られています。彼の作品は、非常に滑らかな筆致、繊細な明暗表現(キアロスクーロ)、そして独特の夢幻的な雰囲気が特徴です。
エンネルは、1858年にローマ賞を受賞し、イタリアに留学しました。そこでルネサンスの巨匠たち、特にラファエロやコレッジョから影響を受け、彼らの古典的な様式を学びました。しかし、彼はその古典的な素養に、自身の感性である詩的で神秘的な要素を加え、独自の画風を確立しました。
パリ、17区にMusée national Jean-Jacques-Henner(美術館)があります。

Le Christ en croix (1890)
「磔刑のキリスト(Le Christ en croix)」は、十字架にかけられたキリストの姿が描かれています。エンネルの作品に特徴的な、滑らかで繊細な筆致と、深い陰影を伴う独特の光の表現がこの絵にも表れています。暗い背景からキリストの体が浮かび上がるように描かれ、その肉体の苦痛と、神聖な静謐さが同時に表現されています。感情的な激しさよりも、瞑想的で内省的な雰囲気が強調されています。
Léon-François Comerre (1850-1916)
レオン=フランソワ・コメール(Léon-François Comerre, 1850-1916)は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスのアカデミック美術の画家です。
フランス北部のトルロンで教師の息子として生まれ、幼い頃から絵画に興味を示しました。リールの美術学校で学んだ後、1868年にはパリ国立高等美術学校に入学し、有名なアカデミック画家アレクサンドル・カバネルの指導を受けました。
コメールは、人物画、特に優雅な女性像(ヌードも含む)や肖像画、そして当時流行していたオリエンタリズム(東方趣味)の絵画で知られています。彼の作品は、洗練された筆致、美しい色彩、そして理想化された描写が特徴です。

Portrait de la femme de l’artiste (1892)
「画家の妻の肖像(Portrait de la femme de l’artiste)」は、コメールの妻が描かれており、その表情には親密な雰囲気と、画家への信頼感がうかがえます。コメール特有の洗練された筆致と、柔らかな色彩が、妻の肌の質感や衣装のディテールを美しく表現しています。背景は控えめに描かれ、鑑賞者の視線が肖像画の主題である人物に集中するように配慮されています。
まとめ
ストラスブール美術館の18世紀から19世紀にかけてのフランス美術コレクションは、まさにこの激動の時代の縮図と言えるでしょう。
ニコラ=ギイ・ブルネが示した高潔な新古典主義は、革命前夜の社会に新たな倫理観を提示しました。そして、ロココと新古典主義を両親に持つアレクサンドル=エヴァリスト・フラゴナールは、その多才さで歴史画から風俗画まで幅広い分野で活躍しました。
テオドール・シャセリオーとウジェーヌ・ドラクロワは、感情や想像力を重視するロマン主義を牽引し、異国情緒や劇的な歴史の一幕を鮮やかな色彩と力強い筆致で表現しました。一方、ウィリアム=アドルフ・ブグローに代表されるアカデミズム絵画は、完璧な写実性と理想化された美を追求し、大衆の人気を博しました。
また、フランシスク・ミレーやジョルジュ・ミシェル、コロー、ルソー、シャントルイユ、プラデルといった画家たちは、戸外制作を重視し、光や大気の移ろいを捉えることで、後の印象派へと繋がる風景画の新たな地平を切り開きました。特にバルビゾン派の画家たちは、フランスの田園風景に深い詩情を見出しました。
そして、ギュスターヴ・ブリオンの地域に根差した風俗画や、ジュール=エドゥアール・マジのオリエンタリズム、ジャン=ジャック・エンネルの夢幻的な裸婦像、レオン=フランソワ・コメールの優雅な肖像画は、それぞれの時代と個性を反映しています。
ストラスブール美術館に展示されているこれらの作品群は、単なる美術史の変遷を辿るだけでなく、当時の人々の思想、感情、そして社会のあり方を雄弁に物語っています。ぜひ、この豊かなコレクションを通じて、フランス美術の奥深さと多様性を肌で感じ取ってみてください。
ストラスブール美術館については以下の記事もご参照ください。
コメント