今回ご紹介させていただくのは、アールヌーボーの作品です。
残念ながら、オルセー美術館にはアールヌーボーの絵画作品が少ないので、分類の難しい画家たちも合わせて今回ご紹介させて頂きます。
アールヌーボーと言うとガレなどのガラス作品を思い浮かべる方も多いと思いますが、装飾芸術品は、オルセー美術館にも多数展示されていますので、ぜひそちらもご覧になってくださいね。
アールヌーボーとは
Art nouveau(アールヌーボー)とは、19世紀末から、20世紀初頭にかけてヨーロッパ各地で起こった芸術運動です。
アールヌーボーは、イギリスで起こった、「アーツアンドクラフツ運動」にその起源を求めることが出来ます。
ウイリアム・モリスやジョン・ラスキンなどが牽引したこの運動は、産業革命により大量の商品が生産されるようになり、想像性の枯渇を憂いて、手工芸の見直し、自然界のモチーフ、洗練されたフォルム等を見直そうとする運動のことです。
アールヌーボーと言う用語は、1894年にEdmond Picard(エドモンド・ピカール)がベルギーの芸術雑誌、L’Art moderneでHenry Van de Velde(ベルギーの画家、建築家)を評するために使用した言葉です。
アールヌーボーの最初の建築物は、ベルギーの建築家、Victor Horta(ヴィクトール・オルタ)が1893年に建設した、L’Hôtel Tassel(タッセル邸)であると考えられています。
フランスではパリとナンシーがアールヌーボーの中心地になりました。
パリでは、Samuel Bing(サミュエル・ビング)が1895年12月、アールヌーボーという店名のお店を出店しました。
(フランスにおけるジャポニズムのブームに影響を与えたビングは、1870年ごろから日本、中国の作品を輸入販売していました。)
ナンシーはガレ、ドーム兄弟などが中心となって、主にガラス工芸作品が製作されました。
フランスにおけるアールヌーボーのピークは、1900年に開催された万国博覧会になります。
第1次世界大戦後は衰退し、Art Déco(アール・デコ)へと受け継がれて行きます。
どの国でも同じように発展しましたが、呼び名は各国違います。
ご興味のある方は、ぜひ調べてみてくださいね。
出典:ウィキペディア Art Nouveau より引用
Louis-Ernest Lheureux (1827-1898)
フランスの画家ルイ=エルネスト・ルーリューは、主に19世紀後半に活躍したフランスの画家で、オリエンタリストとして知られています。彼は、北アフリカや中東の風景、風俗、そして人々の生活を、写実的かつ魅力的に描きました。フランスの建築家、Théodore Labrousteの弟子になります。
アールヌーボーの画家ではありません。

Monument à la gloire de la Révolution française, projet (1886)
Monument à la gloire de la Révolution française, projet (フランス革命の栄光のモニュメント、計画案)は、1886年にパリ市によって提案された、チュイルリー宮殿の跡地の再建築の案を描いた作品です。
Charles Chipiez (1835-1901)
フランスの建築家、考古学者、そしてイラストレーターシャルル・シピエは、古代建築の研究において重要な貢献をした人物であり、特にペルシアやメソポタミアなどの古代オリエント建築に関する詳細な図面や復元図を制作したことで知られています。

Restauration des tours à étages de l’Assyrie. Vue perspective d’une tour de troisième type : temple assyrien sur plan carré (1878)
「アッシリアの多層塔の復元。第三種の塔の透視図:正方形のプランを持つアッシリア神殿」は、古代アッシリアのジッグラト(聖塔)の一種を復元した透視図です。考古学的な調査に基づいて、失われた古代の建築物の壮大な姿を視覚的に再現しています。

Restauration des tours à étages de l’Assyrie. Vue perspective d’une tour de deuxième type : temple chaldéen à rampe unique et sur plan carré (1878)
「アッシリアの多層塔の復元。第二種の塔の透視図:単一の傾斜路を持つカルデア神殿、正方形のプラン」は、古代メソポタミアのカルデア(新バビロニア)のジッグラト(聖塔)の一種を復元した透視図です。前作と同様に、考古学的な知見に基づき、古代の建築物の姿を視覚的に再現しています。
Pierre Henri Mayeux (1845-1929)
フランスの画家ピエール・アンリ・マユーは、主に19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家で、風景画や風俗画、そして肖像画を制作しました。彼の作品は、写実的でありながらも、温かい眼差しと繊細な色彩感覚が特徴です。

L’Artémis d’Ephèse (1889)
L’Artémis d’Ephèse (エフェソスのアルテミス)は、古代ギリシアの女神アルテミスの、特に豊穣の女神として崇拝されたエフェソスのアルテミスを描いたものです。
現在のトルコにある、アルテミス神殿の復元イメージです。
Eugène Grasset (1845-1917)
スイス生まれでフランスで活躍した画家、イラストレーター、そして装飾芸術家ウジェーヌ・グラッセは、アール・ヌーヴォーの重要な人物の一人です。彼は、書籍の装丁、ポスター、テキスタイル、ステンドグラス、家具など、幅広い分野で革新的なデザインを手がけました。

Projet de Vitrail sur la légende de Jeanne d’Arc : Chinon. Jeanne se présente à Charles VII au milieu de sa cour (1893)
「ジャンヌ・ダルクの伝説に基づくステンドグラスのデザイン案:シノン。ジャンヌは宮廷の中のシャルル7世に謁見する」は、オルレアン大聖堂のステンドグラスのデザインで、中央でジャンヌダルクがシャルル7世に自分を紹介する様子が描かれています。

La Tige de Jessé. Maquette pour le vitrail de la Sainte-Chapelle de Vic-le-Comte (Puy-de-Dôme) (1889)
「エッサイの木。ヴィック=ル=コント(ピュイ=ド=ドーム県)のサント・シャペルのステンドグラスの原寸模型」は、フランス中部のヴィック=ル=コントにあるサント・シャペル(聖礼拝堂)のステンドグラスのデザイン原寸模型です。旧約聖書に登場するエッサイの木を題材としています。

Projet de vitrail pour Saint-Honoré d’Eylau, maquette: Jeanne-d’Arc et Saint-MIchel (1898)
「サン=トノレ・ディロー聖堂のためのステンドグラスのデザイン案、原寸模型:ジャンヌ・ダルクと聖ミシェル」は、パリ、ヴィクトル・ユゴー駅のそばにあるサン=トノレ・ディロー聖堂(Église Saint-Honoré-d’Eylau)のために計画されたステンドグラスのデザイン原寸模型です。フランスの守護聖人であるジャンヌ・ダルクと、天軍の指導者である聖ミシェルを描いています。
Arthur Robertson (1850-1905)
イギリスの画家アーサー・ロバートソンは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した画家で、主に風景画や肖像画を制作しました。彼の作品は、写実的でありながらも、繊細な光の表現と、穏やかで詩的な雰囲気が特徴です。

Dessin pour le projet d’Alfred Gilbert pour la tombe du duc de Clarence (1894)
「アルフレッド・ギルバートのクラレンス公爵の墓碑計画のためのデッサン」は、彫刻家アルフレッド・ギルバート(Alfred Gilbert)が手がけたクラレンス公爵アルバート・ヴィクターの壮麗な墓碑のデザイン案のためのデッサンです。画家であるロバートソンが、ギルバートの彫刻的な構想を視覚化したものと考えられます。
Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)
フランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、19世紀末のパリ、特にモンマルトルの歓楽街の生活を、独特の視点と鋭い観察眼で描き出した画家です。彼は、ポスター、版画、そして油彩画において、革新的な表現を追求しました。

Panneaux pour la baraque de la Goulue (1895)

Panneaux pour la baraque de la Goulue (1895)
Panneaux pour la baraque de la Goulue (ラ・グーリュのバラックのためのパネル)は、ムーラン・ルージュの人気ダンサー、ラ・グーリュ(本名:ルイーズ・ウェーバー)が移動遊園地に出演する際のバラック(小屋)を飾るために描かれた一連の大型パネルです。
La danse mauresqueと言うベリーダンスのようなダンスを踊っていたようです。
René Binet (1866-1911)
フランスの芸術家、建築家、そして科学者ルネ・ビネは、アール・ヌーヴォーの時代に、生物学的な形態や科学的な概念を芸術と建築に取り入れた、独創的な人物として知られています。
1900年の万国博覧会の入り口をデザインしました。

La porte monumentale d’entrée à l’Exposition universelle de 1900 (1900)
承知いたしました。ルネ・ビネの「1900年パリ万国博覧会への記念碑的な入口」は、セーヌ川から見た万国博覧会のイメージを描いています。
中央に見える橋は、アレクサンドル3世橋になります。
Henry Provensal (1868-1934)
フランスの画家アンリ・プロヴァンサルは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家で、主に風景画、肖像画、そして静物画を制作しました。彼の作品は、穏やかで詩的な雰囲気と、繊細な色彩感覚が特徴です。

Projet onirique (tombeau pour un poète) (1901)
Projet onirique (tombeau pour un poète) (夢想の計画(詩人のための墓碑))は、詩人のための墓碑の夢想的なデザイン案です。彼の画家としての側面だけでなく、文学や象徴的な表現への関心を示す、興味深い作品と言えるでしょう。
まとめ
いかがでしたか。
残念ながら、アールヌーボーの画家と言えるのは、ロートレックとEugène Grasset位ですが、本来はもっと多くの画家の作品があります。
ヨーロッパを中心に様々な国で起きたムーブメントなので、オルセー美術館以外の美術館を訪れる際は、アールヌーボーの画家にも注目して鑑賞してみてください。
なお、フランス、アールヌーボーの中心地、ナンシーについてはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。
パリから日帰りで観光することが出来るので、ぜひお時間のある方は訪れて見てくださいね。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
作品の解釈については、オルセー美術館公式ページを参考にさせて頂いております。
お時間のある方は合わせてご覧になってみてください。
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