リール宮殿美術館は、フランス北部に位置しながら、18世紀のヨーロッパ美術の変遷を体系的にたどることができる、貴重なコレクションを誇る美術館です。
この記事では、シャルル・アントワーヌ・コワペルの優雅なロココ様式、ジャン=バティスト・グルーズの道徳的な風俗画、そして「近代絵画の父」とも称されるフランシスコ・デ・ゴヤの深い人間洞察に満ちた作品まで、見逃せない傑作の数々を詳しくご紹介します。
事前に作品の背景を知っておけば、一枚の絵からより多くの感動を引き出すことができます。さあ、あなたもリール宮殿美術館で、18世紀の芸術家たちの息吹を感じる旅に出かけましょう。
- Nicolas Bertin (1667-1736)
- Jean II Restout (1692-1768)
- Charles Antoine Coypel (1694-1752)
- Jean-Baptiste Greuze (1725-1805)
- Hugues Taraval (1729-1785)
- Hubert Robert (1733-1808)
- Francisco de Goya y Lucientes (1746-1828)
- Pierre-Henri de Valenciennes (1750-1819)
- Georges Michel (1763-1843)
- Jean-Victor Bertin (1767-1842)
- Charles de Steuben (1788-1856)
- まとめ:18世紀美術をより深く味わうために
Nicolas Bertin (1667-1736)
ニコラ・ベルタンは、17世紀末から18世紀にかけて活躍したフランスの画家です。彼は、特に神話や歴史を主題とした大規模な装飾画や、小型のキャビネット・ペインティング(飾り棚に飾る小ぶりな絵画)で知られています。
ベルタンは、アカデミックな厳格さを重んじる古典主義の伝統に学びつつ、18世紀初頭に台頭したロココ様式の軽やかさや優雅さをいち早く取り入れました。彼の作品は、古典的な主題を、より繊細で甘美な雰囲気で描いているのが特徴です。

LE TRIOMPHE DE DAVID(1725-35)
LE TRIOMPHE DE DAVID(ダビデの勝利)は、旧約聖書に登場する少年ダビデが、巨人ゴリアテを打ち破り、その首を持ってイスラエルの人々に迎えられる勝利の場面を描いています。
Jean II Restout (1692-1768)
ジャン2世・レストゥーは、18世紀フランスの画家で、特に宗教画や歴史画で知られています。彼は、フランスの古典主義の伝統を受け継ぎつつ、ロココ時代の繊細な感覚を取り入れた独自のスタイルを確立しました。

LES PÈLERINS D’EMMAÜS (1735)
LES PÈLERINS D’EMMAÜS (エマオの巡礼者たち)は、イエス・キリストの復活後、二人の弟子がエルサレムからエマオへの途上で、復活したイエスと出会い、彼を食事に招くという、新約聖書の物語を描いています。
レストゥーは、この劇的な場面を、彼の厳格な古典主義様式で描いています。人物の配置は計算されており、特にイエスの姿は、光に照らされて荘厳に描かれています。弟子たちは、イエスが自分たちの前に現れたことに驚き、その神聖な存在に圧倒されています。
Charles Antoine Coypel (1694-1752)
シャルル・アントワーヌ・コワペルは、18世紀フランスの画家、作家、そして劇作家です。彼は、ロココ時代の優美さと、古典主義の伝統を兼ね備えた独自の様式で知られています。
彼は、画家である父アントワーヌ・コワペルと、祖父ノエル・コワペルの芸術的伝統を受け継ぎました。特に父から大きな影響を受け、感情豊かな表現と、流れるような筆致を学びました。
彼の作品は、ロココ時代の軽やかさと甘美さを持ちながらも、フランス古典主義の知的な構図と物語性を失っていません。

Atalide et Roxane ou L’Evanouissement d’Atalide (1748) 右側
Psyché abandonnée par l’Amour (1730) 左側
Atalide et Roxane ou L’Evanouissement d’Atalide (アタリデとロクサーヌ、またはアタリデの失神)は、フランスの劇作家ジャン・ラシーヌの悲劇『バジャゼ(Bajazet)』の一場面を描いています。 画面中央で寄りかかっているのは、オスマン帝国の王子バジャゼを愛するアタリデです。彼女は、愛するバジャゼがロクサーヌ(スルタンの寵妃)に殺されたという知らせを受け、そのショックで失神しています。
Psyché abandonnée par l’Amour (アムールに捨てられたプシュケ) は、古代ギリシャ・ローマ神話のアムールとプシュケの物語のクライマックスを描いています。人間であるプシュケは、神であるアムール(キューピッド)と結婚しますが、彼の姿を絶対に見ないという誓いを立てていました。しかし、夜中にろうそくの光でアムールの姿を見てしまい、誓いを破ってしまいます。これに怒ったアムールは、飛び去ってしまいます。
Jean-Baptiste Greuze (1725-1805)
ジャン=バティスト・グルーズは、18世紀フランスの画家です。彼は、当時のロココ様式が主流だったフランスで、道徳的なメッセージを込めた風俗画を専門とし、特に家族の情景を描いたことで知られています。当時は大変な人気画家でした。
彼の作品は、啓蒙思想家で美術批評家であったドゥニ・ディドロから高く評価されました。ディドロは、グルーズの絵画が持つ道徳性や感情の豊かさを称賛し、彼を「画家の中の哲学者」と呼びました。

PSYCHÉ COURONNANT L’AMOUR (1785-90)
PSYCHÉ COURONNANT L’AMOUR (アムールに冠を授けるプシュケ)は、ギリシャ・ローマ神話のプシュケとアムール(キューピッド)の物語から、彼らの愛の勝利を象徴する場面を描いています。
幾多の試練を乗り越え、ついに神となったプシュケが、愛の神アムールの頭に花冠を乗せるという、彼らの和解と幸福な結末を表現しています。
Hugues Taraval (1729-1785)
ユーグ・タラヴァルは、18世紀フランスの画家で、特に歴史画と装飾画の分野で活躍しました。彼は、古典主義的な厳格さと、ロココ時代の軽やかさを融合させた独自のスタイルを築きました。

Le Sacrifice d’Abraham (1775)
Le Sacrifice d’Abraham (アブラハムの犠牲)は、旧約聖書の創世記に記された、父アブラハムが息子イサクを神への供物として捧げようとする、信仰の試練の物語を描いています。
タラヴァルは、この物語の最も劇的な瞬間、すなわちアブラハムがイサクを刺そうとしたそのとき、天使が天から現れて彼の手を止める場面を描いています。画面全体は、この緊迫した瞬間の感情的な強さに満ちています。
Hubert Robert (1733-1808)
ユベール・ロベールは、18世紀フランスの画家で、特に古代ローマの遺跡や廃墟を描いた風景画で知られています。彼は、「廃墟のロベール」という異名でも呼ばれ、その独特のロマンティックな作風は、後の時代に大きな影響を与えました。
ロベールは、イタリアに長期滞在し、ポンペイやローマの古代遺跡を熱心に研究しました。彼は、これらの遺跡を写実的に描く一方で、自身の想像力で再構成し、現実にはあり得ない構図を創造しました。
ロココ後期の代表的な画家である、ジャン・オノレ・フラゴナールの友人です。

TERRASSE D’UN PALAIS À ROME (1776)
TERRASSE D’UN PALAIS À ROME (ローマの宮殿のテラス)は、ロベールが得意とした「廃墟」の風景をテーマにしています。しかし、単なる現実の風景の記録ではなく、彼の想像力によって再構成された理想的な光景です。
壮大な建築物の中に、テラスで談笑する人々や、洗濯物を取り込む女性など、小さな人物が生き生きと描かれています。これらの人物は、巨大な歴史的遺産と、そこでの人々の日常的な営みという対比を生み出し、時間の流れを暗示しています。
Francisco de Goya y Lucientes (1746-1828)
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは、18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍した、スペインを代表する画家です。彼は、宮廷の肖像画家として華やかな作品を制作する一方で、戦争の悲惨さや人間の暗部を描き、近代絵画の先駆者と見なされています。
ゴヤの画風は、キャリアを通じて大きく変化しました。初期はロココ様式の影響を受けた明るく華やかな作品が中心でしたが、次第に個人の内面を深く描く肖像画や、社会の矛盾を風刺する版画を制作するようになります。
1789年にスペイン国王カルロス4世の主席宮廷画家となり、王室や貴族の肖像画を数多く手掛けました。彼の肖像画は、モデルの心理や個性を鋭く捉えていることで知られています。
晩年、聴力を失い、ナポレオン軍によるスペイン侵攻を経験したゴヤは、戦争の残酷さや人間の理不尽な行いをテーマにした連作『戦争の惨禍』や、自身の内面を表現した『黒い絵』シリーズを制作しました。

Le temps dit les vieilles (1808-12)
Le temps dit les vieilles (時間は老女たちに語る)は、時間の経過と人間の虚栄心という、ゴヤの晩年の作品に共通する暗いテーマを扱っています。
画面には、豪華な衣装を身につけた二人の裕福な老女が描かれています。一人は鏡を見ており、もう一人は彼女の髪を整えています。彼女たちの背後には、翼を持つ時間の擬人像(しばしば時間の神クロノスと同一視される)が立っており、指をさして嘲笑うかのように、彼女たちの老いを突きつけています。
Pierre-Henri de Valenciennes (1750-1819)
ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌは、18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。彼は、伝統的な歴史風景画と、後のロマン主義や印象派につながる屋外写生を融合させ、風景画を独立したジャンルとして確立した重要な人物です。

Paysage historique (1786)
Paysage historique(歴史的風景画)は、ヴァランシエンヌが提唱した「歴史的風景画(paysage historique)」というジャンルを代表する作品です。これは、単なる風景の描写ではなく、古代の歴史的、神話的、あるいは聖書的な出来事を、壮大で理想化された風景の中に描くことを目的としています。
Georges Michel (1763-1843)
ジョルジュ・ミシェルは、18世紀末から19世紀にかけて活動したフランスの風景画家です。彼は、当時の主流であった新古典主義の理想化された風景画とは一線を画し、後のバルビゾン派や印象派を予感させるような、素朴で写実的な風景を描きました。
ミシェルは、パリ郊外のモンマルトル周辺の荒々しい風景を好んで描きました。彼の作品は、広大な空、起伏に富んだ大地、そして風に揺れる木々が特徴です。特に、空の表現には強いこだわりがあり、雲の動きや光の変化を劇的に捉えました。

Paysage, Environs de Paris (1820)
Paysage, Environs de Paris (風景、パリ郊外)は、彼が住んでいたモンマルトル周辺の、簡素でありながらも力強い自然を描いています。作品では、当時の主流であった新古典主義の理想化された風景とは異なり、ありのままの自然を素朴に描き出しました。

Paysage en bord de mer (1820)
Paysage en bord de mer(海辺の風景)は、ミシェルの作品が持つロマンティックで憂鬱な雰囲気をよく示しており、後のバルビゾン派の画家たちが自然をありのままに描くきっかけとなった、重要な作品の一つです。
Jean-Victor Bertin (1767-1842)
ジャン=ヴィクトール・ベルタンは、18世紀末から19世紀にかけて活動したフランスの風景画家です。彼は、新古典主義の厳格な風景画の伝統を継承し、テオドール・ジェリコーやカミーユ・コローといった後世の重要な画家たちを指導しました。
ベルタンは、ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌの弟子であり、その理論を忠実に実践しました。彼の作品は、古代の建築物や神話的な物語を、理想化された自然の中に配置する、歴史的風景画の様式で描かれています。

Paysage (1835)
Paysage (風景)は、ヴァランシエンヌから受け継いだ、歴史的風景画の伝統に従って描かれています。
画面は、明瞭な遠近法と、バランスの取れた要素の配置によって構成されています。手前の岩や木、遠くの山々、そして空の雲が、見る者の視線を巧みに導き、作品に奥行きと秩序を与えています。

Paysage (1835-37)
この作品は、ベルタンがキャリアを通じて追求した理想主義的風景画の様式をよく示しています。
画面には、古代の神殿を思わせる建物、穏やかな水面、そして牧草地で草を食む羊の群れなど、調和のとれた自然が描かれています。これは現実の風景を忠実に描いたものではなく、画家の美意識に基づいて再構成された、理想郷としての風景です。
Charles de Steuben (1788-1856)
シャルル・ド・シュトイベンは、ドイツ生まれの画家ですが、主にフランスで活躍しました。彼は、ナポレオン時代の歴史画や、ロマン主義的な肖像画で知られています。
シュトイベンは、ダヴィッドの弟子である、フランソワ・ジェラールとフランスの歴史画家ロベール・ルフェーヴルに師事し、厳格な新古典主義のデッサンを学びました。その後、ピエール・ポール・プリュードンの元で学び、ドラクロワ(友人)などのロマン主義の影響を受け、より劇的で感情豊かな表現へと作風を変化させていきました。
シュトイベンは、ロシアのサンクトペテルブルクにある帝国アカデミー・オブ・アーツの教授も務め、多くの学生を指導しました。

Jeanne la Folle attendant la résurrection de Philippe le Beau son mari (1836)
「狂女フアナ、夫美男王フィリップの復活を待つ」は、スペインの女王であり、「狂女」として知られるフアナの物語を描いています。彼女は、夫であるブルゴーニュ公フィリップ(美男王フィリップ)の死後も、彼の死を受け入れられず、その遺体を旅に連れ回し、いつか復活すると信じて待ち続けたという、歴史的なエピソードに基づいています。
シュトイベンは、この狂気と悲しみが混じり合った場面を、ロマン主義的な様式で劇的に描き出しています。画面は深い闇に包まれ、フアナの表情には、狂気と愛が入り混じった激しい感情が表れています。
まとめ:18世紀美術をより深く味わうために
リール宮殿美術館の18世紀コレクションは、それぞれの画家が異なるスタイルで、時代の変化をどのように表現したかを示しています。
ロベールの作品から、古代への憧れや時間の流れを感じ取ったり、ゴヤの作品から、人間の内面の葛藤や社会への風刺を読み取ったりと、鑑賞の楽しみ方は無限に広がります。
この記事が、あなたのリール宮殿美術館での体験をより豊かなものにし、18世紀の奥深い世界を再発見するきっかけとなれば幸いです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
リール美術館に展示されている作品については、以下の記事で詳しく解説させて頂いております。
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