16世紀末に誕生したイタリアのバロックは瞬く間に、ヨーロッパ中に広まりました。
しかし、17世紀のフランスにおいてはバロックの影響を受けつつも独自の発展をしていきます。
私たちは、画家のつながりをその技法や表現スタイルの発展にのみ関連付けて考えてしまいますが、当時は政治的な要素が多分に影響しています。
特にこの時代はフランスの政治が大きく変わる時期であり、それにより芸術の中心地も徐々にフランスに移って行きます。
今回ご紹介させて頂くのは、フランスの重要な転換期に絵画の世界で広まったスタイル、「古典主義」になります。
時代の呼び名や分類が難しいのですが、「古典主義」とは何だったのか、画家のつながりはどうなっていたのか、詳しくご紹介させて頂きます。
フランス 古典主義とは
「古典主義」とは古代ギリシャとローマ時代を理想と考え、その時代を規範とする運動です。
古典主義自体は、この時期だけでなく、ルネサンス期より、現代でも存在する考え方です。
また絵画の世界だけではなく、様々芸術の分野に見ることが出来ます。
フランスの古典主義は、主に「ルイ14世」の治世下で取り入れられたものであり、「ルイ14世スタイル」と呼ばれることもあります。
17世紀 フランス 古典主義の特徴
ルイ13世スタイル(1617~1643)
フランス古典主義の前の時代であり、イタリアからマニエリスム、初期バロックの影響、フランドルからルーベンスのバロックの影響を受けていました。
ルイ14世スタイル(1643~1715)
古典的で意気揚々とした派手なものになっていきます。
代表的な物の中に、ヴェルサイユ宮殿があります。
フランス古典主義のスタイル
- バランス、均衡と調和。
- モラル、道徳と言った正しい人間の追及。
- ラファエルの作品を規範とする。
年表
1589年、アンリ3世暗殺、ヴァロワ家断絶、ブルボン家のアンリ4世が王位継承。
1594年、Seconde école de Fontainebleau (フォンテーヌブロー学校、フォンテーヌブロー派)の設立。
1605年、Georges Lallemantがワークショップを開校。(引き継いだもの)二コラ・プッサンなどが通う。
1610年、アンリ4世暗殺。
1610年、ルイ13世が国王に就任。
1612年、Simon Vouetがヴェネツィアに渡る。
1615年、マリー・ド・メディシスによりリュクサンブール宮殿の建設が始まる。フランス国内外の芸術家が参加。バロック色が強い。
1617年、ルイ13世がマリー・ド・メディシスを幽閉し、政治の実権を握る。
1623年、ベルサイユ宮殿着工。
1624年、二コラ・プッサンがローマに渡る。
1626年、クロード・ロランがローマに渡る。
1627年、Simon Vouetがパリに戻る。カラッチの流れを伝える。
1640年、プッサンがパリに戻る。
1642年、プッサンが再びローマに渡る。
1643年、ルイ13世死去。
1643年、ルイ14世が国王に就任。
1648年、L’Académie royale de Peinture et de Sculpture(王立絵画彫刻アカデミー)の設立。
1659年、フランス・スペイン戦争
1663年、ローマ賞の創設
1668年、アーヘンの和約、ネーデルラント継承戦争の終結。
1688年、大同盟戦争
1697年、レイスウェイク条約、大同盟戦争の終結。
1701年、カルピの戦い
1713年、ユトレヒト条約
1714年、ラシュタット条約
1715年、ルイ14世死去。
出典:ウィキペディア Histoire de France au xviie siècle(17世紀のフランスの歴史)
代表画家
サイモン・ヴエ(Simon Vouet, 1590-1649)
ノエル・クイラーアー(Noël Quillerier, 1594-1669)
ジャック・ド・レタン (Jacques de Létin, 1597-1661)
ニコラ・ミニャール(Nicolas Mignard, 1606-1668)
シャルル・ルブラン(Charles Le Brun, 1619-1690)
クロード・フランソワ(Claude François, 1614-1685)
ミシェル・コルネイユ・エルダー(Michel Corneille l’Ancien, 1601-1664)
ノエル・コワペル(Noël Coypel, 1628-1707)
アントワーヌ・コワペル(Antoine Coypel, 1661-1722)
ジャン・ジュブネJean Jouvenet, 1644-1717)
ニコラ・ベルタン(Nicolas Bertin, 1667-1736) ロココ
ニコラ・ド・ラルジリエール(Nicolas de Largillierre, 1656-1746)
ジャン・レストゥー(Jean II Restout, 1692-1768) ロココ
イアサント・リゴー ( Hyacinthe Rigaud,1659-1743)
アーノールド・ドゥ・ブエ(Arnould de Vuez, 1642-1720)
シャルル・ド・ラ・フォッス(Charles de La Fosse, 1636-1716)
シャルル・パロセル(Charles Parrocel, 1688-1752)
フランチェスコ・シモニーニ(Francesco Simonini, 1686-1753) イタリア人画家
フランチェスコ・カサノバ(Francesco Casanova, 1727-1803) イタリア人画家
ジャンバティストコルネイユ(Jean-Baptiste Corneille, 1649-1695)
ミシェル・ドリニー(Michel Dorigny, 1616-1665)
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour, 1593-1652)
フランソワ・クルーエ (François Clouet, 1510-1572) ルネサンス~マニエリスム
ジャック・ブランチャード(Jacques Blanchard, 1600-1638)
ナン兄弟(Frères Le Nain, 1600-1677)
ダニエル・レーベル(Daniel Rabel, 1578-1637)
アンリ・モーペルシェ(Henri Mauperché, 1602-1686)
ジャック・ベランジェ(Jacques Bellange, 1575-1616)
ジョルジュ・ラルマント(Georges Lallemant, 1575-1636)
クエンティン・ヴァリン(Quentin Varin, 1575-1626)
ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594-1665)
クロード・ロラン( Claude Lorrain, 1600-1682)
ローラン・ド・ラ・イール(Laurent de La Hyre, 1606-1656)
リュバン・ボージャン(Lubin Baugin, 1612-1663)
ルイ・ド・ブーローニュ(Louis de Boullogne, 1654-1733)
※ 分類が違う場合もあります。
古典主義以外の画家が含まれている場合もあります。
カタカナ表記に関して実際の発音と異なる場合もあります。
人物相関図
★ご利用の注意点★
上の代表画家の相関図です。
青い矢印は師弟関係を表していますが、実際はその関係がはっきりしていなかったり、ワークショップで働いたことがあるだけであったりします。
情報は英語版、フランス語版ウィキペディアを参考に製作しています。
まとめ
アンリ4世、ルイ13世、ルイ14世と3人の王が誕生した17世紀のフランス。
前半はマニエリスム、バロックの影響を受けますが、ルイ14世の治世になると「古典主義」が色濃くなって行きます。
画家のつながりも大変興味深く、この時代は何人かのキーパーソンとなる画家が表れます。
特に、Simon Voue、Georges de La Tour、Charles Le Brun、Nicolas Poussin、Claude Lorrain、 Hyacinthe Rigaudなどが中心となり、多くの画家に影響を与え、次の時代にバトンをつなげて行きます。
18世紀以降はフランス絵画がヨーロッパの中心となり、更なる発展を遂げていきます。
フランス古典主義までの流れは以下になります。
- 前期ルネサンス:何故ルネサンスは起こったのか?
- 初期ルネサンス:多くの技術革新
- 盛期ルネサンス:ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロによる完成形
- マニエリスム:新たな世界観への挑戦
- 初期フランドル派:失われたもう一つの芸術
- バロック・イタリア:劇的なシーンの登場
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
西洋美術史の全体像は年表でご紹介させて頂いております。
合わせてご覧頂くと時代の流れが理解しやすくなると思います。
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