19世紀後半のフランス美術を語る上で欠かせないのが「印象派」です。それまでの伝統的な絵画とは一線を画し、画家たちは屋外に出て、刻々と移り変わる光や色彩、そして大気の雰囲気をキャンバスに閉じ込めようとしました。
リヨン美術館には、この革新的な運動を牽引した画家たちの傑作が数多く収蔵されています。この記事では、「空の王者」ブーダンから、印象派の創設者であるモネやピサロ、ドガ、そして彼らと深く関わった画家たちの作品を、写真と共に巡る旅にご案内します。光と色彩が織りなす感動的な瞬間を、ぜひ一緒に感じてみませんか。
Eugène Boudin (1824-1898)
ウジェーヌ・ブーダンは、19世紀のフランス絵画において、印象派の先駆者として、特に「空の王者」と称されるほど優れた戸外制作による風景画、特に海景画や海岸の情景で知られています。
ブーダンは船乗りの息子として育ち、ル・アーヴルで文具・額縁店を営んでいました。そこでジャン=フランソワ・ミレーなどの画家と出会い、絵画の道へと進むよう勧められます。彼はパリで一時的に学びましたが、生涯のほとんどをノルマンディー地方の海岸で過ごし、その地の移ろいゆく光と大気を描き続けました。
彼の画業における最大の功績は、若き日のクロード・モネに戸外制作(plein air)の重要性を教え、彼を風景画家へと導いたことです。ブーダンは、スタジオで描くのではなく、直接自然の中で、その場の光や空気、天候の変化を素早く捉えることに情熱を注ぎました。
ボードレールやコローから絶賛された画家です。

Voiliers au port (Deauville) (1896)
「港の帆船(ドーヴィル)」(Voiliers au port (Deauville))は、彼の晩年の作品であり、彼が生涯を通じて描き続けた港と海景のテーマにおける熟練した技量を示すものです。
ドーヴィルは、フランス北西部のノルマンディー地方にある有名な海水浴地であり、港湾都市でもあります。ブーダンは、この地の移ろいゆく光と大気を描き続けることに生涯を捧げました。

Trouville le port (1864)
「トゥルーヴィル港」(Trouville le port)は、彼が特に好んで描いたノルマンディー地方の港町の情景を捉えた代表的な作品の一つです。
トゥルーヴィル=シュル=メールは、ドーヴィルの対岸に位置する人気の海水浴地であり、活気ある港町でもあります。
Camille Pissarro (1830-1903)
カミーユ・ピサロは、印象派を代表する画家の一人であり、その穏やかで詩的な風景画で知られています。また、印象派の創設者の一人として、画家たちの精神的な支柱でもありました。
ピサロは、全8回開かれた印象派展、すべてに参加した唯一の画家です。

Le Pont-Neuf (1902)
「ポン・ヌフ」(Le Pont-Neuf)は、彼の晩年の傑作の一つであり、パリの街並みを描いたシリーズ作品の中でも特に有名なものです。

Kew Greens (1892)
「キュー・グリーン」(Kew Greens)は、ロンドン郊外にあるキュー植物園の周辺、あるいはその近くの広大な芝生(グリーン)を描いたものです。
Édouard Manet (1832-1883)
エドゥアール・マネは、印象派の形成に大きな影響を与えた先駆者として知られています。写実主義から印象派への移行期に極めて重要な役割を果たしました。
後のフランス芸術界に多大なる影響を与えた人物ですので、興味のある方はぜひ詳しく調べてみてください。

Marguerite Gauthier-Lathuille (1879)
「マルグリット・ゴティエ=ラテュイユ」(Marguerite Gauthier-Lathuille)は、彼の晩年に描かれた優れた肖像画の一つです。マネの友人であるカフェの経営者アンリ・ゴティエ=ラテュイユの娘、マルグリットを描いたものです。マネは、パリ郊外にあるアンリの邸宅を訪れた際に、庭で休憩するマルグリットをモデルにこの絵を描きました。
この作品は、別名「白の少女」とも呼ばれています。

Jeune fille dans les fleurs (1879)
「花の中の少女」(Jeune fille dans les fleurs)も、マネの友人であるカフェの経営者アンリ・ゴティエ=ラテュイユの娘、マルグリットを描いたものです。
Edgar Degas (1834-1917)
エドガー・ドガは、クロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールらと共に印象派の創設者の一人として数えられますが、その画風は他の印象派の画家たちとは一線を画していて、本人は印象派に属することを望んでいませんでした。

Danseuses sur la scène (1889)
「舞台の踊り子たち」(Danseuses sur la scène)は、彼が晩年に最も得意とした主題の一つであるバレエダンサーを描いた、パステル画の傑作です。
Henri Fantin-Latour (1836-1904)
アンリ・ファンタン=ラトゥールは、印象派の画家たちと親交がありながらも、彼らとは異なる写実主義とロマン主義が融合した独自のスタイルを貫きました。特に、肖像画と花卉画(花の絵)でその名を知られています。

Les roses (1889)
「薔薇」(Les roses)は、彼が最も得意とした花卉画(花の絵)の傑作の一つです。
Alfred Sisley (1839-1899)
アルフレッド・シスレーは、イギリス生まれのフランスの印象派の画家です。彼は主に風景画を描き、移り変わる光や大気の効果を捉えることに長けていました。
シスレーは、印象派の中でも特に忠実にその理論を実践した画家の一人として知られています。彼の作品は、穏やかで調和の取れた色彩と、繊細な筆致が特徴です。セーヌ川やルーヴシエンヌ、モレ=シュル=ロワンなど、パリ周辺の風景を好んで描きました。生涯900点ほどの作品を残していますが、そのほとんどがパリ周辺の風景を描いています。

La seine à marly (1876)
「マルリのセーヌ川」(La seine à marly)は、彼が特に好んで描いたセーヌ川沿いの風景を捉えた、印象派の風景画の傑作の一つです。
シスレーは、パリ郊外のマルリ=ル=ロワに住み、この地域の穏やかな自然を繰り返し描きました。彼の作品は、クロード・モネのような強い色彩よりも、より繊細で詩的な光と大気の表現に特徴があります。

Chemin montant (1870)
「上り坂」(Chemin montant)は、パリ郊外の田園風景を捉えた、初期の重要な作品です。
この作品は、普仏戦争が勃発した年の春に描かれたもので、当時の緊迫した社会情勢とは対照的に、穏やかで静謐な田園の風景が広がっています。
Claude Monet (1840-1926)
クロード・モネは、印象派の創始者であり、その中心的な存在として、美術史に多大な影響を与えました。

Charing Cross Bridge, la Tamise (1903)
「チャリング・クロス橋、テムズ川」(Charing Cross Bridge, la Tamise)は、彼が晩年に行ったロンドンでの滞在中に描かれた連作の一つです。
モネは1899年から1901年にかけて数回ロンドンを訪れ、サヴォイ・ホテルの部屋からチャリング・クロス橋、ウォータールー橋、そして国会議事堂を主題に、異なる時間帯や天候の中で連作を描き続けました。
ルーアン大聖堂を描いたように、チャリングクロス鉄道橋も様々なパターンで描かれています。

Le printemps (1882)
「春」(Le printemps)は、モネがアルジャントゥイユからポワシー、そしてヴェトゥイユへと移り住んだ後、ジヴェルニーに定住する前の時期に描かれたものです。描かれているのは、春の光に満ちた庭園の情景です。

Mer agitée à Étretat (1883)
「エトルタの荒海」(Mer agitée à Étretat)は、ノルマンディー地方の海岸風景をホテルの窓から捉えた作品です。エトルタは、断崖絶壁と海食洞(門)で知られる風光明媚な場所であり、モネは生涯を通じてこの地を何度も訪れ、異なる季節や天候の下で多くの作品を描きました。

L’entrée de la Grande-Rue à Argenteuil, l’hiver (1875)
「アルジャントゥイユ、グラン=リュの入り口、冬」(L’entrée de la Grande-Rue à Argenteuil, l’hiver)は、彼が滞在したパリ郊外の村、アルジャントゥイユの冬景色を描いた作品です。
Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、印象派の最も重要な画家の一人として、特に人物画と肖像画でその名を知られています。生涯で4000枚近い作品を描いたと言われています。

Coco écrivant(1905)
「書くココ」(Coco écrivant)は、彼の最晩年に描かれた、愛らしい子供の肖像画です。
ココとは、ルノワールの末息子であるクロード・ルノワールの愛称です。晩年、重度のリウマチに苦しんでいたルノワールは、屋外での制作が難しくなったため、自宅で家族をモデルに多くの作品を描きました。この作品も、彼の子供たちへの深い愛情と、穏やかな家庭生活の一コマを捉えています。

Femme jouant de la guitare (1897)
「ギターを弾く女」(Femme jouant de la guitare)は、彼の晩年における人物画の傑作の一つです。女性がギターを弾く様子は、度々取り上げられていたテーマです。

Jeune Fille au ruban bleu (1888)
「青いリボンをつけた若い女性」(Jeune Fille au ruban bleu)は、印象派の後の時期、いわゆる「ドライな時期」(Ingresque period)と呼ばれる時期に描かれた、洗練された肖像画です。
1880年代半ばから、ルノワールは印象派の光の探求から離れ、より古典主義的な、厳格なデッサンと明確な輪郭線を重視するスタイルに回帰しました。この作品は、そのスタイルの典型的な例です。
Berthe Morisot (1841-1895)
ベルト・モリゾは、印象派の創設メンバーの一人であり、その中心的な女性画家として知られています。
裕福な家庭に生まれたモリゾは、幼い頃から姉と共に絵画教育を受けました。アカデミックな教育を受けつつも、ジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事し、戸外制作(プレイン・エア)に親しみました。その後、エドゥアール・マネと出会い、彼を敬愛しながらも、自身の芸術を追求しました。(マネのモデルも務めていました)1874年の第1回印象派展から、1879年の一回を除いて全ての展覧会に参加し、印象派運動の重要な担い手となりました。
パリのマルモッタン・モネ美術館に沢山の作品が展示されています。

La Petite Niçoise (1889)
「ニースの少女」(La Petite Niçoise)は、彼女が南仏ニースを訪れた際に描いた、愛らしくも儚げな肖像画です。
Albert Maignan (1845-1908)
アルベール・メニャンは、19世紀後半のフランス美術において、アカデミズムの伝統を継承しながらも、歴史画、宗教画、そして神話や中世の物語を主題とした作品で知られています。
メニャンは、美術学校でジョゼフ=ニコラ・ロベール=フルリーに師事し、厳格なアカデミックな教育を受けました。彼は、パリのサロンに頻繁に出品し、多くの賞を受賞するなど、当時の美術界で成功を収めた画家でした。

Adagio appassionato (1904)
「アダージョ・アパッショナート」(Adagio appassionato)は、彼の最晩年の作品の一つであり、彼が好んで描いた中世の物語や伝説を主題とした絵画です。
「アダージョ・アパッショナート」は音楽用語で、「熱情的なアダージョ(ゆっくりとしたテンポ)」を意味します。このタイトルが示唆するように、この絵画は、叙情的で感傷的な雰囲気に満ちています。
まとめ
いかがでしたか?
これらの作品は、単なる美しい絵画というだけでなく、画家たちが時代の大きな流れの中で、自らの表現方法を必死に模索した証です。
リヨン美術館には、戸外制作によって光と色彩を追求した印象派の傑作が数多く収蔵されています。きらめく水面、やわらかな春の光、そして人物の内面まで描き出す筆致…画家たちがとらえた一瞬の輝きは、100年以上を経た今も私たちを魅了し続けます。
ぜひ、これらの作品が描かれた時代背景や、画家たちが作品に込めた情熱を思い浮かべながら鑑賞してみてください。いつも以上に楽しめるのではないでしょうか。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
リヨン美術館に展示されている他の作品については以下の記事で詳しくご紹介させて頂いております。合わせてご参照ください。
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