17世紀バロックの輝き:ナンシー美術館で出会う巨匠たちの光と影

ナンシー美術館コレクション 初期バロック パリから日帰り旅行
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フランス東部の歴史ある街ナンシー。この街に佇む美術館には、17世紀ヨーロッパ美術の息吹が宿っています。本記事では、特に バロック初期の傑作の数々 を所蔵するナンシー美術館の珠玉のコレクションに焦点を当て、その魅力を深掘りします。カラヴァッジョの劇的な明暗、ルーベンスのほとばしる情熱、プッサンの静謐な古典主義、そしてロレーヌ地方独自の光の表現。それぞれの画家たちが描いた、聖なる物語、神話の世界、そして当時の人々の暮らし――。写真と共に、知られざる名作の背景と、彼らが美術史に刻んだ足跡を辿ります。光と影が織りなすドラマの世界へ、一緒に旅に出かけましょう。

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Wenceslas Cobergher (1561-1634)

ヴェンツェル・コーベルヘルは、フランドルの多才な人物で、画家、建築家、そして技術者として知られています。

彼はアントウェルペンで生まれ、画家マールテン・デ・フォスに師事しました。その後イタリアにわたり、イタリアの美術や建築から大きな影響を受けました。絵画も手掛けましたが、彼の作品は建築作品に比べると現存数が少なく、その重要性は建築や技術者としての功績に劣るとされています。

オランダ、アルバート大公からは、ルーベンス、ブリューゲルよりも高い報酬を受けていました。

Wenceslas Cobergher

Les apprêts du martyre de saint Sébastien (1599)

「聖セバスティアヌスの殉教の準備」(Les apprêts du martyre de saint Sébastien)は、ローマ帝国の兵士でありながらキリスト教徒であった聖セバスティアヌスが、信仰ゆえに殉教を強いられる直前の場面を描いています。彼は柱に縛り付けられ、弓矢で射られる準備をされているところで、その周囲には拷問官や兵士たちが描かれています。

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Joos de Momper (1564-1635)

ヨース・デ・モンペルは、フランドルの風景画家で、特に壮大な山岳風景や幻想的な「世界風景」で知られています。父のバルトロメウス・デ・モンペルから絵画を学び、1581年にはわずか17歳でアントウェルペンの聖ルカ組合のマスター(親方)となりました。

彼の作品は、ピーテル・ブリューゲル1世の影響を強く受けています。

Joos de Momper

Fête de village flamand  上段

Jan Tilens (1589-1630) La Tour en ruine (1625) 下段

「フランドルの村の祭り」(Fête de village flamand)は、広大な風景の中に、フランドルの村で催される賑やかな祭りの様子が描かれています。特徴的なのは、遠景に雄大な山々がそびえ立つモンペルらしい風景描写と、前景や中景に描かれる多くの人物たちの活動です。

人物描写をヤン・ブリューゲル1世が担当した可能性が高いと言われています。

下段の、ヤン・ティレンス(Jan Tilens, 1589年 – 1630年)は、フランドルの画家で、特に風景画の分野で活躍しました。彼はアントウェルペンで生まれ、ヨース・デ・モンペルとほぼ同時代に活動し、彼の風景画に大きな影響を受けていると考えられています。

廃墟の塔」(La Tour en ruine)は、ヤン・ティレンスの典型的な風景画であり、彼の画風をよく示しています。

Abraham Bloemaert (1566-1651)

アブラハム・ブルーマールトは、オランダ黄金時代に活躍した画家で、初期のキャリアではマニエリスム様式を代表する存在でした。その後、より古典主義的なアプローチやカラヴァッジョ派の影響も取り入れ、多岐にわたる画風を展開しました。

Abraham Bloemaert

Prédication de saint Jean-Baptiste (1620)

「洗礼者聖ヨハネの説教」(Prédication de saint Jean-Baptiste)は、新約聖書の福音書に記されている、洗礼者聖ヨハネが荒野で人々に悔い改めと来るべき救い主イエス・キリストの到来を説く場面を描いています。

Girolamo da Ponte (1566-1621)

ジローラモ・ダ・ポンテは、本名をジローラモ・バッサーノ(Gerolamo Bassano)といい、バッサーノ・デル・グラッパで生まれたイタリア・ルネサンス後期の画家です。

彼は、高名な画家ヤコポ・バッサーノの四男であり、兄のフランチェスコ・バッサーノ2世、ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ポンテ、レアンドロ・バッサーノとともに、父の工房で絵画を学びました。バッサーノ家は、ヴェネツィア派の中でも特に風俗画や風景画、動物が描かれた宗教画で知られていました。

Girolamo da Ponte

Déluge (1590)

「大洪水」(Déluge)は、旧約聖書の「創世記」に描かれている、神が地上に大洪水を起こし、ノアの家族と一部の動物を除くすべての生物を滅ぼしたという、人類の歴史における最も劇的な出来事の一つを題材にしています。

Guido Reni (1575-1642)

グイド・レーニ(Guido Reni, 1575年 – 1642年)は、17世紀イタリアの初期バロック期を代表する画家の一人です。特に、アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属し、古典主義的な美学と優雅な画風を特色としました。

フランドル出身のマニエリスム画家デニス・カルヴァールトに師事した後、カラッチ兄弟のアカデミア・デッリ・インカミナーティ(Accademia degli Incamminati)で学びました。その後ローマで活躍し、カラヴァッジョ、ラファエロの影響を受けています。

当時はイタリアで最も有名な画家と言われていました。

Guido Reni

Le Christ ressuscité apparaissant à sa mère (1632)

「復活したキリストが母に現れる」(Le Christ ressuscité apparaissant à sa mère)は、イエス・キリストが十字架にかけられて死んだ後、復活し、最初に母である聖母マリアのもとに現れたという、新約聖書外典に由来する伝統的な主題を描いています。

Jacques Bellange (1575-1616)

ジャック・ベランジェは、ロレーヌ公国(現在はフランスの一部)出身の芸術家であり版画家です。北方マニエリスム様式を代表する版画家の1人であり、その作品は非常に個性的で印象的です。

Jacques Bellange

Le Ravissement de saint François (1600/1605)

「聖フランチェスコの法悦」(Le Ravissement de saint François)は、キリスト教の聖人であるアッシジの聖フランチェスコが、深い瞑想と信仰の極致において、恍惚とした状態、すなわち「法悦」に陥っている瞬間を描いています。

ベランジェの絵画作品は、その現存数が少ないため、貴重な作品となっています。

Peter Paul Rubens (1577-1640)

ピーテル・パウル・ルーベンスは、フランドル・バロック絵画の巨匠であり、17世紀ヨーロッパを代表する最も影響力のある画家の一人です。

La Transfiguration

La Transfiguration (1605)

「キリストの変容」(La Transfiguration)は、新約聖書の福音書に記されている、イエス・キリストが三人の弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて高い山に登り、その姿が輝くように変容し、モーセとエリヤが出現するという「キリストの変容」の出来事を描いています。

イタリア滞在中に制作された作品になります。

Peter Paul Rubens

Jonas jeté à la mer (1618) 上段

Jésus marchant sur les eaux (1618) 下段

「ヨナが海に投げ込まれる」(Jonas jeté à la mer)は、旧約聖書のヨナ書に記されている有名なエピソードを題材としています。神の命令に背いてニネベへの伝道を拒否し、船で逃げようとした預言者ヨナが、嵐に見舞われた船から海に投げ込まれる場面を描いています。

「イエスが水上を歩く」(Jésus marchant sur les eaux)は、新約聖書の福音書に記されている奇跡の場面を題材としています。イエスがガリラヤ湖の嵐の海の上を歩き、弟子たちが乗る船に近づいていく様子を描いています。特に、イエスの招きに応じて船から降り、水上を歩き始めるも、疑いによって沈みかけるペテロの姿が強調されることが多い主題です。

Matteo Rosselli (1578-1650)

マッテオ・ロッセッリは、イタリアのフィレンツェで活躍した画家です。彼はマニエリスム後期から初期バロックにかけての移行期を代表するフィレンツェ派の画家の一人として知られています。

多くの弟子を育成した指導者としても有名です。

Saint Jean l'Evangéliste

Saint Jean l’Evangéliste (1620/25)

「福音記者聖ヨハネ」(Saint Jean l’Evangéliste)は、新約聖書の四福音書の一つである「ヨハネによる福音書」の著者とされる聖ヨハネを描いたものです。彼は伝統的に、若々しい姿で表現され、鷲(彼の象徴)や書物(福音書)を伴って描かれることがよくあります。

Gaspar de Crayer (1584-1669)

ガスパール・デ・クライエルは、フランドル・バロック期の重要な画家です。彼はアントウェルペンで生まれ、ラファエル・コークシー(Rafael Coxie)に師事したとされています。ルーベンスの影響を強く受けていますが、ルーベンスの持つ爆発的なエネルギーよりも、より穏やかで古典主義的、かつ厳格な構成が特徴です。

Gaspar de Crayer

Saint Charles de Borromée donnant la Sainte Communion aux pestiférés de Milan (1668)

「ミラノのペスト患者に聖体拝領を与える聖カルロ・ボロメオ」(Saint Charles de Borromée donnant la Sainte Communion aux pestiférés de Milan)は、カトリック教会の聖人である聖カルロ・ボロメオ(1538-1584)が、1576年のミラノでのペスト禍において、自ら危険を顧みず病に苦しむ人々に聖体(聖餐)を与え、精神的な慰めと救済をもたらしたという、彼の英雄的な行動を描いています。

Cornelis de Vos (1585-1651)

コルネリス・デ・フォスは、フランドル・バロック期の画家です。現在のオランダ南西部、ゼーラント州のフルストで生まれ、1596年に家族とともにアントウェルペンに移住しました。1599年には画家ダーヴィット・レメーウスの弟子となり、1608年にはアントウェルペンの聖ルカ組合のマスター(親方)になりました。

特に肖像画の分野で高い評価を得ており、ルーベンスやヴァン・ダイクといった同時代の巨匠たちと肩を並べる、アントウェルペンを代表する肖像画家の一人でした。

Cornelis de Vos

La Continence de Scipion (1630)

「スキピオの禁欲」(La Continence de Scipion)は、古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』に記されている有名なエピソードを題材としています。第二次ポエニ戦争中、ローマの将軍スキピオ・アフリカヌスが新カルタゴ(現在のカルタヘナ)を征服した際、捕虜となった美しい女性を彼女の婚約者と結婚させ、さらに彼女の持参金まで返還したという、スキピオの寛大さと高潔さを示す物語です。

Giuseppe Vermiglio (1585-1635)

ジュゼッペ・ヴェルミリオは、イタリアの初期バロック期に活躍した画家です。カラヴァッジョ派の重要な画家の一人として知られています。

Giuseppe Vermiglio

L’Incrédulité de saint Thomas 

「聖トマスの不信」(L’Incrédulité de saint Thomas)は、新約聖書のヨハネによる福音書に記されている有名なエピソードを題材としています。イエス・キリストが復活した後、使徒トマスがキリストの出現を信じず、「その手に釘の跡を見、私の指をその釘の跡に入れ、私の手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない」と言ったため、イエスがトマスに自身の傷に触れることを許した場面です。

Claude Deruet (1588-1660)

クロード・ドリュエは、フランス、特にロレーヌ公国で活躍したバロック期の画家です。彼はロレーヌ公国の首都ナンシーで生まれ、生涯の多くをこの地で過ごしました。

1612年頃から1619年頃にかけてローマで活動し、そこでイタリアのカラヴァッジョ派やバロック美術の影響を受けました。特に、騎馬像の描写に優れており、その技術を磨きました。(イタリア滞在中に、日本の支倉常長を描いたとしても知られています。)

有名なバロック画家クロード・ロラン(Claude Lorrain)の最初の師でもあったことで知られています。

Claude Deruet

Portrait équestre de Madame de Saint-Baslemont (1646)

「サン=バスルモン夫人騎馬像」(Portrait équestre de Madame de Saint-Baslemont)は、7世紀ロレーヌ公国の貴族であるマリー・クリスティーヌ・ド・サン=バスルモン夫人(Madame de Saint-Baslemont, 1607-1678)を描いた、非常に珍しい女性の騎馬肖像画です。彼女は、ロレーヌ公シャルル4世の寵愛を受けた人物としても知られています。

L'enlèvement des sabines

L’enlèvement des sabines (1640/1650)

「サビニの女たちの略奪」(L’enlèvement des sabines)は、古代ローマの建国伝説に登場する有名なエピソードを題材としています。ローマを建国したばかりのロムルスとローマ人たちは、女性が不足していたため、隣人であるサビニ族の女性たちを祭りの最中に力ずくで略奪し、妻としたという物語です。

Domenico Fetti (1589-1623)

ドメニコ・フェッティは、イタリアのバロック初期に活躍した画家です。ローマで生まれ、主にローマ、マントヴァ、そしてヴェネツィアで活動しました。

彼はルドヴィーコ・チーゴリに師事したと考えられていますが、その画風にはカラヴァッジョとその追随者たちの影響が強く見られます。特に、劇的な明暗の対比(キアロスクーロ)と、人物の力強く写実的な描写が特徴です。

ヴェネツィアでは、ティツィアーノやティントレットといったヴェネツィア派の豊かな色彩表現を自身のスタイルに取り入れ、より色彩豊かで大気感のある画風へと発展させました。ルーベンスの作品からも影響を受けたと言われています。

Domenico Fetti

La Mélancolie (1614)

「メランコリー」(La Mélancolie)は、「メランコリー(憂鬱)」という人間の感情、あるいは特定の精神状態を寓意的に表現したものです。ルネサンス期以降、メランコリーは単なる悲しみだけでなく、創造性や思索と結びつけられることもありました。

Gerard Seghers (1591-1651)

ヘラルト・セーヘルスは、フランドル・バロック期の重要な画家です。アントウェルペンで生まれ、生涯のほとんどをこの地で過ごしました。初期にはカラヴァッジョ、後期はルーベンスの影響を受けています。

Gerard Seghers

Le Christ après la flagellation (1620/25)

「鞭打ち後のキリスト」(Le Christ après la flagellation)は、イエス・キリストが十字架にかけられる前に鞭打ちの刑を受けた直後の場面を描いています。

Georges de La Tour (1593-1652)

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、17世紀フランス、特にロレーヌ地方で活躍したバロック期の画家です。彼は生前にはフランス王ルイ13世の「国王付画家」の称号を得るなど高い評価を受けていましたが、18世紀以降は次第に忘れ去られ、20世紀初頭に「再発見」されたことで、その独自の芸術性が高く評価されるようになりました。カラヴァッジョの影響を受けて、明暗の対比を使い分けた画家です。

La Femme à la puce

La Femme à la puce (1638)

「蚤をとる女」(La Femme à la puce)は、夜間の情景を描いた、ラ・トゥール特有の「夜の絵(Nocturnes)」の傑作の一つです。画面中央には、簡素な寝間着をまとった女性が描かれており、彼女は横に置かれたろうそくの光に照らされながら、自分の体についた蚤を指で潰そうとしています。

Nicolas Poussin (1594-1665)

ニコラ・プッサンは、17世紀フランスの画家で、古典主義様式を確立し、フランス絵画史において最も影響力のある画家の一人とされています。彼は、生涯のほとんどをローマで過ごし、古代美術やルネサンス盛期の巨匠(特にラファエロ)から深く学びました。

Nicolas Poussin

Entrée du Christ à Jérusalem (1642)

「キリストのエルサレム入城」(L’Entrée du Christ à Jérusalem)は、新約聖書の福音書に記されている、イエス・キリストがロバに乗ってエルサレムに入城し、群衆が彼をメシアとして歓迎し、棕櫚の枝(パーム)を振って迎えた、パームサンデー(枝の主日)の出来事を描いています。

Jan van Goyen (1596-1656)

ヤン・ファン・ホーイエンは、17世紀オランダ黄金時代を代表する風景画家の一人です。彼は、初期のオランダ風景画における自然主義的なアプローチの主要な開拓者として知られています。多くの師に学びましたが、特にハーレムでエサイアス・ファン・デ・フェルデから受けた教えが、彼の後の画風に大きな影響を与えました。

非常に沢山の作品を残した画家で、現在でも1000点以上の作品が確認されています。

Les Patineurs

Les Patineurs (1649)

「スケートをする人々」(Les Patineurs)は、彼の得意とするオランダの冬の風景を描いたものです。凍結した運河や湖の上で、多くの人々がスケートを楽しんでいる様子が描かれており、当時のオランダの日常生活を垣間見ることができます。

Pierre de Cortone (1596-1669)

ピエトロ・ダ・コルトーナは、イタリアの盛期バロックを代表する画家であり建築家です。本名をピエトロ・ベレッティーニ(Pietro Berrettini)といい、出身地のコルトーナにちなんでコルトーナのピエトロ(Pietro da Cortona)と呼ばれました。

彼は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニやフランチェスコ・ボッロミーニと並び、17世紀ローマにおけるバロック芸術の最も重要な推進者の一人でした。ローマにある、バルベリーニ宮殿天井画は彼の代表作です。

Pierre de Cortone

La Sibylle de Tibur annonçant à Auguste l’avènement du Christ (1660)

ティブルの巫女がアウグストゥス帝にキリストの到来を告げる」(La Sibylle de Tibur annonçant à Auguste l’avènement du Christ)は、ローマ皇帝アウグストゥスが、自身が神として崇拝されるべきか否かについて、ローマ近郊ティブル(現在のティヴォリ)の巫女(シビュラ)に助言を求めたところ、巫女が天に現れた聖母子を示し、真の神(キリスト)の到来を告げたというものです。この物語は、古代の知恵(巫女)とローマ帝国の権力(アウグストゥス)が、キリスト教の到来を予見したという点で、初期キリスト教徒に好まれました。

Johann Ulrich Loth (1599-1662)

ヨハン・ウルリヒ・ロートは、ドイツ初期バロックの画家です。ミュンヘンで生まれ、生涯の多くをミュンヘンで過ごしました。

1619年から1623年にかけてイタリアを広く旅し、特にローマではカラヴァッジョの様式から強い影響を受けました。また、ピーテル・パウル・ルーベンスのようなバロックの壮麗な表現も、複製版画などを通じて彼に影響を与えたとされています。カラヴァッジョとルーベンスの様式を南ドイツにもたらした重要な画家の一人として評価されています。

Johann Ulrich Loth

Isaac envoie Esaü à la chasse (1637)

「イサクがエサウを狩りに送る」(Isaac envoie Esaü à la chasse)は、旧約聖書の「創世記」に記されている、イサクが長男のエサウに好物を狩って来させ、その後に祝福を与えようとする場面を描いています。しかし、この物語は、その後ヤコブが母親リベカの助けを借りてエサウに成り代わり、父イサクの祝福をだまし取るという、重要な転換点の前触れとなります。

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まとめ

ナンシー美術館に所蔵されている初期バロックの作品群は、17世紀ヨーロッパ美術の多様性と奥深さを私たちに示してくれます。フランドルの力強い表現、イタリアの劇的な感情、そしてロレーヌ独自の静謐な光――。それぞれの画家が独自の解釈で聖書や神話の物語、あるいは日常の情景を描き出し、見る者の心に強く訴えかける作品を生み出しました。

これらの作品は単なる絵画に留まらず、当時の社会、宗教、思想、そして人々の生活を映し出す鏡でもあります。特に、カラヴァッジョ派の影響を受けた明暗表現や、ルーベンスが確立したダイナミックなバロック様式、そしてプッサンが追求した古典主義の規範は、その後の美術史に多大な影響を与えました。

ナンシー美術館を訪れることは、まさに17世紀のヨーロッパを巡る旅であり、美術の力と感動を再認識する機会となるでしょう。各作品が放つ光と影のドラマを、ぜひ現地で体感してみてください。

ナンシー美術館の概要についてはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。

ルネサンス・マニエリスム・後期バロックの作品はこちらで詳しくご紹介させて頂いております。

地下にあるドームコレクションはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。

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