ナンシー美術館コレクション第2弾。
今回は、17世紀から現代までの47人の画家をご紹介させて頂きます。
あまり西洋絵画にご興味のない方も、聞いたことのある名前が沢山出てきますので、ぜひ楽しんでご覧になってみてください。
それではご紹介させて頂きます。
- Charles de La Fosse (1636-1716)
- Jean-Baptiste Monnoyer (1636-1699)
- Cavalier Pietro Tempesta (1637-1701)
- Alexandre-François Desportes (1661-1743)
- Henri Antoine de Favanne (1668-1752)
- Gherardo Poli (1675-1749)
- François Lemoyne (1688-1737)
- Charles Antoine Coypel (1694-1752)
- Carle van Loo (1705-1765)
- Francesco Giuseppe Casanova (1727-1803)
- Nicolas Henri Jeaurat de Bertry (1728-1796)
- Charles-Laurent Maréchal (1801-1887)
- Gustave Doré (1832-1883)
- Henri-Léopold Lévy (1840-1904)
- Jean Henri Zuber (1844-1909)
- Luigi Loir (1845-1916)
- Jules Bastien-Lepage (1848-1884)
- Henri Gervex (1852-1929)
- Hippolyte Petitjean (1854-1929)
- Henri-Edmond Cross (1856-1910)
- Victor Prouvé (1858-1943)
- Théophile Alexandre Steinlen (1859-1923)
- Aristide Maillol (1861-1944)
- Camille Martin (1861-1898)
- Émile Friant (1863-1932)
- Paul Sérusier (1864-1927)
- Suzanne Valadon (1865-1938)
- Ker-Xavier Roussel (1867-1944)
- Henri Matisse (1869-1954)
- Georges Dufrénoy (1870-1943)
- Georges Rouault (1871-1958)
- Albert Marquet (1875-1947)
- Pierre Laprade (1875-1931)
- Raoul Dufy (1877-1953)
- Jean Frélaut (1879-1954)
- André Derain (1880-1954)
- Max Pechstein (1881-1995)
- Maurice Utrillo (1883-1955)
- Amedeo Modigliani (1884-1920)
- Pierre Dumont (1884-1936)
- Léonard Tsugouharu Foujita (1886-1968)
- Jacques Majorelle (1886-1962)
- André Fraye (1889-1963)
- Moïse Kisling (1891-1953)
- François Desnoyer (1894-1972)
- Édouard Pignon (1905-1993)
- Georges Dayez (1907-1991)
- まとめ
Charles de La Fosse (1636-1716)
シャルル・ド・ラ・フォッスは、17世紀から18世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家です。特にフランス・バロックの最後の巨匠の一人であり、ロココ様式への移行期の重要な画家とされています。
シャルル・ルブラン(フランス王立絵画彫刻アカデミーの創設者の一人)に師事し、ルブランの工房で学んだ後、1658年から1663年までイタリアに滞在し、ローマとヴェネツィアで修行しました。このイタリア滞在中に、彼は特にヴェネツィア派の豊かな色彩表現、ルーベンス、アンニーバレ・カラッチ、そしてコルジョの作品から強い影響を受けました。
彼の画風は、ルブランの厳格な古典主義に、イタリアで培った温かみのある色彩と柔らかな光の効果、そして軽快な筆致を融合させたものです。ルーベンスやヴェネツィア派の影響が強く見られ、より自由で感性的な表現を追求しました。このアプローチは、後にロココ様式へと発展する兆しを示していました。
チュイルリー宮殿、ヴェルサイユ宮殿、アンヴァリッド、パリノートルダム寺院などの装飾を手掛けたことで有名です。

L’Assomption (1682-86)
「聖母被昇天」(L’Assomption)は、キリスト教の伝統的な主題である聖母マリアが肉体と魂を伴って天に挙げられた(被昇天した)とされる出来事を描いたものです。この作品には、彼がイタリアで習得したヴェネツィア派の色彩と、師ルブランから受け継いだフランス・バロックの要素が融合した、彼の成熟期の画風がよく表れています。
Jean-Baptiste Monnoyer (1636-1699)
ジャン=バティスト・モンノワイエは、17世紀フランスの画家で、特に花や果物を描いた静物画の分野でその名を知られています。彼はフランスで生まれましたが、晩年はイギリスで活躍しました。
当時のフランス宮廷や貴族に非常に人気があり、ヴェルサイユ宮殿、マリー・アントワネットのプチ・トリアノン、シャンボール城など、フランス各地の王宮や邸宅の装飾のために多くの作品を制作しました。彼の花束の絵は、タペストリーや家具、陶器のデザインにも影響を与えました。

Fleurs et tapis (1665)
「花と絨毯」(Fleurs et tapis)は、彼がフランス静物画の分野で頂点を極めたことを示す代表作であり、その卓越した技術と美意識が凝縮された一作です。
Cavalier Pietro Tempesta (1637-1701)
カヴァリエーレ・ピエトロ・テンペスタは、本名をピーター・ムリール(Pieter Mulier the Younger)といい、オランダ出身の風景画家です。イタリアで活動したことから「テンペスタ」(嵐、暴風雨を意味するイタリア語)の通称で知られるようになりました。これは、彼が特に劇的な嵐の風景や荒れた海を描くことを得意としたためです。

Marine (1660)
「海景」(Marine)は、彼の得意とする劇的な嵐の海景画の典型的な作品です。
Alexandre-François Desportes (1661-1743)
アレクサンドル=フランソワ・デポルトは、フランスの画家で、特に動物画、静物画、そして狩猟の場面を専門としました。
ルイ14世とルイ15世の両国王に仕え、特に国王のお気に入りの猟犬や、王室の狩猟の様子を描くことを依頼されました。

L’Automne(1741)
「秋」(L’Automne)は、「秋」という季節を象徴する要素で構成されています。これには、狩りの獲物(狩猟は秋の主要な活動でした)、秋の果物、野菜などが含まれることが多いです。デポルトは、狩猟犬や撃ち落とされた鳥、あるいは森の動物などをリアルに描き込むことで、その季節の豊かさや自然の恵みを表現しました。
Henri Antoine de Favanne (1668-1752)
アンリ=アントワーヌ・ド・ファヴァンヌは、17世紀末から18世紀にかけてフランスとイタリアで活躍した画家です。彼は、フランス・バロックからロココ様式への過渡期を代表する画家の一人として知られています。
パリで生まれ、まずラファエル・コラン(Raphaël Collin)に師事した後、シャルル・ド・ラ・フォッスの重要な弟子となりました。ラ・フォッスから、ヴェネツィア派の色彩やルーベンスの影響を受け継ぎ、優雅で色彩豊かな画風を学びました。
1693年にはローマ賞を受賞し、その後イタリアに留学。ローマでは古代美術やルネサンス、バロックの巨匠たちの作品を学び、特にカラッチ兄弟やコルジョ、グエルチーノから影響を受けました。ヴェネツィアにも滞在し、ティツィアーノやパオロ・ヴェロネーゼの色彩感覚を吸収しました。

Eliezer et Rebecca (1693)
エリ・エゼルとリベカ」(Eliezer et Rebecca)は、旧約聖書の「創世記」に記されている物語を題材としています。アブラハムが、息子イサクの妻を見つけるため、忠実な老僕エリ・エゼルを使者として故郷へ送ります。エリ・エゼルは、泉で出会った若い女性リベカの親切心と謙虚さに感銘を受け、彼女こそがイサクの妻となるべき女性だと確信する、という重要な場面です。
Gherardo Poli (1675-1749)
ゲラルド・ポーリは、イタリアの画家で、主に17世紀末から18世紀にかけてフィレンツェで活躍しました。彼の画風は、フィレンツェ派の伝統と、同時代のロココ様式の影響が融合したものです。

Architecture en ruine avec la commedia dell’arte
「廃墟の建築とコメディア・デッラルテ」(Architecture en ruine avec la commedia dell’arte)は、フィレンツェ派の伝統と、当時のロココ様式の優美さが融合した特徴を持っています。
画面の背景には、古代ローマ風の壮大な建築物の廃墟が描かれていると推測されます。これらの廃墟は、過ぎ去った栄光や、時の移ろいといったヴァニタス(虚栄)のテーマを暗示している場合があります。前景には、コメディア・デッラルテ(16世紀イタリアに起源を持つ即興仮面劇)の登場人物たちが描かれていると考えられます。

Architecture en ruine avec Jupiter tonnant (1730)
「廃墟の建築と雷鳴を轟かすユピテル」(Architecture en ruine avec Jupiter tonnant)は、先ほどと同様に、背景には廃墟が描かれています。前景にはローマ神話の最高神であるユピテルが、雷(稲妻)を手にしている彫刻が描かれています。
神話と風景、建築という異なるジャンルを見事に融合させ、その洗練された筆致と構図で観る者を引き込む、彼の代表作の一つです。

Fantaisie d’architecture en ruine avec Bellérophon frappant la chimère
「ベレロフォンがキマイラを打つ廃墟の建築ファンタジー」(Fantaisie d’architecture en ruine avec Bellérophon frappant la chimère)は、背景に廃墟が描かれています。前景には、ギリシャ神話の英雄ベレロフォンが、空を飛ぶ有翼の馬ペガサスに乗り、火を吐く怪物キマイラと戦う劇的な場面が彫刻として描かれています。

Gherardo Poli, Fantaisie d’architecture en ruine avec la naissance de Vénus (1730/1735)
「ヴィーナスの誕生を伴う廃墟の建築ファンタジー」(Fantaisie d’architecture en ruine avec la naissance de Vénus)は、背景に廃墟が描かれています。前景にはローマ神話の愛と美の女神ヴィーナスが誕生する場面が彫刻として描かれています。
François Lemoyne (1688-1737)
フランソワ・ルモワーヌは、18世紀前半のフランス・ロココ初期を代表する画家です。彼は、フランス絵画がバロックからロココへと移行する重要な時期に活躍し、「フランスのベルニーニ」とも称されるほどの卓越した才能を発揮しました。
パリで生まれ、ボローニャ派の巨匠グイド・レーニの様式に影響を受けたルイ・ガレの工房で学びました。その後、1718年にローマ賞を受賞し、イタリアに留学。ローマではラファエロやコレッジョ、そしてベルニーニやピエトロ・ダ・コルトーナといったバロックの巨匠たちの作品を熱心に研究しました。特に、壮大な天井画や装飾画の技術を磨きました。
ヴェルサイユ宮殿の「ヘラクレスの間」の天井画を手掛けたことでも知られています。

La Continence de Scipion (1727)
「スキピオの禁欲」(La Continence de Scipion)は、古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』に記されている有名なエピソードを題材としています。第二次ポエニ戦争中、ローマの将軍スキピオ・アフリカヌスが新カルタゴ(現在のカルタヘナ)を征服した際、捕虜となった美しい女性を彼女の婚約者と結婚させ、さらに彼女の持参金まで返還したという物語です。
Charles Antoine Coypel (1694-1752)
シャルル・アントワーヌ・コワペルは、18世紀フランスの画家、劇作家、文筆家です。彼は、コワペル家という有名な芸術家一家の出身で、父は画家アントワーヌ・コワペル、祖父はノエル・コワペルという、いずれも王立絵画彫刻アカデミーで要職を務めた画家でした。
彼は父アントワーヌ・コワペルのもとで絵画を学び、幼い頃からその才能を示しました。1715年に王立絵画彫刻アカデミーの会員となり、1733年には教授、そして1747年にはアカデミーの学長(Premier Peintre du Roi)にまで昇進し、フランス美術界のトップに君臨しました。
コワペルは、歴史画、神話画、肖像画など多岐にわたるジャンルを手がけました。彼の画風は、家族から受け継いだフランス・バロックの伝統と、同時代のロココ様式の優雅さが融合したものです。ヴェルサイユ宮殿の装飾を手掛けたことでも有名です。
また、コワペルは画家としてだけでなく、文筆家としても才能を発揮しました。彼は劇作家として戯曲を書き、批評家としても活動し、18世紀フランスの宮廷文化と知識人層の両方で重要な役割を果たしました。ルイ15世の寵妃ポンパドゥール夫人とも親交がありました。

La destruction du palais d’Armide (1737)
「アルミードの宮殿の破壊」(La destruction du palais d’Armide)は、イタリアの詩人トルクァート・タッソによる叙事詩『解放されたエルサレム』(Jerusalem Delivered)に登場する有名なエピソードを題材としています。イスラムの女魔術師アルミードが、キリスト教の騎士リナルドを誘惑し、魔法の宮殿に閉じ込めますが、彼の仲間が駆けつけ、リナルドを目覚めさせて宮殿を破壊する、という劇的な場面です。この物語は、愛と義務、誘惑と信仰の葛藤を描いたもので、ロココ期に好まれた主題の一つでした。
Carle van Loo (1705-1765)
カルル・ヴァン・ローは、18世紀フランスのロココ様式を代表する画家の一人です。彼は、有名な芸術家一家であるヴァン・ロー家(父は画家のルイ=ヴァンサン・ヴァン・ロー、兄はジャン=バティスト・ヴァン・ロー)の出身で、その才能は早くから開花しました。
トゥーロンで生まれ、父から絵画の手ほどきを受け、後にローマの兄ジャン=バティスト・ヴァン・ローのもとで学びました。ローマでは、当時の古典主義的な美術やルネサンスの巨匠たち、そしてバロックの作品に触れ、その基礎を築きました。彼は1727年にローマ賞を受賞しています。
彼は、フランソワ・ブーシェやジャン=オノレ・フラゴナールといったロココの巨匠たちと並び称される存在であり、18世紀フランス絵画の黄金期を牽引した中心人物の一人です。

L’Ivresse de Silène (1747)
「シレノスの酩酊」(L’Ivresse de Silène)は、ギリシャ神話に登場するシレノス(Silenus)を主題としています。シレノスは、ディオニュソス(バッカス)の従者であり、賢者であると同時に、常に酩酊している老いたサテュロスとして描かれます。彼は通常、ロバに支えられたり、酔いつぶれて横たわっていたりする姿で表現され、周囲にはサテュロスやマイナス(狂乱の女信者)といったディオニュソスの信者たちが集い、酒宴を楽しむ様子が描かれます。
Francesco Giuseppe Casanova (1727-1803)
フランチェスコ・ジュゼッペ・カサノヴァは、18世紀に活躍したイタリアの画家、版画家です。有名な冒険家ジャコモ・カサノヴァの弟でもあります。
彼は主に戦闘場面(バトル・シーン)の専門家として知られています。若い頃にヴェネツィアで学び、特にジョヴァンニ・アントニオ・グアルディや、戦闘画家フランチェスコ・シモニニの工房で修行しました。その後、パリ、ドレスデン、ウィーンなどヨーロッパ各地で活動し、各国の宮廷でその才能を発揮しました。特に、フランスではアカデミー会員となり、サロンにも出展するなど高い評価を受けました。

Promenade en barque (1788)
「舟遊び」(Promenade en barque)は、彼のキャリアの中でも、風景画や牧歌的な主題を手がけた一面を示す貴重な例です。彼の得意とする劇的な表現とは異なり、より穏やかで叙情的な雰囲気を持つ作品となっています。
Nicolas Henri Jeaurat de Bertry (1728-1796)
ニコラ=アンリ・ジョーラ・ド・ベルトリーは、18世紀フランスの画家です。彼は、特に静物画と風俗画の分野で活躍しました。

Memento Mori (1756)
「メメント・モリ」(Memento Mori)は、彼の得意とした「ヴァニタス(虚栄)」の主題、すなわち人生のはかなさや死の不可避性を象徴的に表現したものです。「メメント・モリ」(ラテン語で「死を想え」の意)という言葉自体が、この作品のテーマを直接的に示しています。
Charles-Laurent Maréchal (1801-1887)
シャルル=ローラン・マレシャルは、19世紀フランスの画家で、特にステンドグラスの復興と制作において重要な役割を果たした人物です。彼はロレーヌ地方のメス(Metz)で生まれ、生涯の多くをこの地で過ごしました。
彼は、古典的な絵画技法を学びましたが、特に中世のステンドグラスに強い関心と情熱を抱いていました。19世紀半ば、中世美術への関心が高まる中で、マレシャルは失われかけていたステンドグラス制作の技術を再発見し、革新的な方法でそれを現代に蘇らせました。

Épisode du siège de Metz (1835)
「メス包囲戦の一場面」(Épisode du siège de Metz)は、16世紀の重要な歴史的事件であるメス包囲戦を題材としています。この包囲戦は、1552年から1553年にかけて、神聖ローマ皇帝カール5世がロレーヌ地方の戦略的要衝であるメス市を奪還しようと試みたものの、ギーズ公フランソワ率いるフランス軍がこれを防衛し、最終的にカール5世が撤退するという、フランスにとって勝利となった出来事です。
Gustave Doré (1832-1883)
ギュスターヴ・ドレは、19世紀フランスを代表する画家、彫刻家、そして特に卓越した挿絵画家です。彼の作品は、ロマン主義の最後の世代に位置づけられ、その幻想的で劇的な表現は、世界中で広く知られています。

Paysage de montagne (1870)
「山岳風景」(Paysage de montagne)は、壮大で荒々しい山岳風景が描かれています。切り立つ岩肌、深い谷、そして空を覆う雲や霧が、自然の持つ圧倒的な力と崇高さを表現しています。ドレは、しばしばアルプスの山々を題材とし、その雄大さを描きました。
Henri-Léopold Lévy (1840-1904)
アンリ=レオポール・レヴィは、19世紀後半のフランスの画家です。主に歴史画と宗教画の分野で活躍し、特に大規模な公共建築の装飾画を手がけました。
ナンシーで生まれ、エコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)でフランソワ=エドゥアール・ピコやアレクサンドル・カバネルといった当時の著名なアカデミズム画家たちに師事しました。
レヴィは、そのキャリアを通じて、アカデミズムの伝統を忠実に守りながらも、時代の新しい潮流も部分的に取り入れました。

Jeune fille et la Mort (1900)
「若い娘と死」(Jeune fille et la Mort)は、死という普遍的なテーマを、アレゴリー(寓意)の形で表現したものです。一般的に「死」は骸骨や鎌を持った姿で描かれることが多く、若い女性は生や純粋さ、そして死によって奪われる命の象徴として対比されます。
Jean Henri Zuber (1844-1909)
ジャン・アンリ・ズーバーは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家です。特に風景画と東方趣味(オリエンタリズム)のジャンル画で知られています。

Soir d’automne en Forêt (1878)
「森の秋の夕べ」(Soir d’automne en Forêt)は、秋の森の情景と夕暮れの光という、叙情的で詩的なテーマを描いています。
Luigi Loir (1845-1916)
ルイージ・ロワールは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家です。特にパリの風景や都市生活を描いた作品で知られています。彼の作品は、印象派とポスト印象派の間の時代に位置し、当時のパリの雰囲気を伝える貴重な記録となっています。

Travaux de nuit sur la voie publique (1902)
「公道の夜間工事」(Travaux de nuit sur la voie publique)は、ロワールが得意としたパリの都市風景、特に夜の情景を描いたものです。彼の作品は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリの日常生活や、近代化が進む都市の雰囲気を伝える貴重な記録となっています。
Jules Bastien-Lepage (1848-1884)
ジュール・バスティアン=ルパージュは、19世紀フランスの画家で、特に自然主義(ナチュラルイズム)の代表的な画家として知られています。彼は、わずか36歳で亡くなるという短命ながらも、その写実的な描写と独自の画風でフランス美術史に大きな足跡を残しました。

Ophelia (1881)
「オフィーリア」(Ophelia)は、ウィリアム・シェイクスピアの悲劇『ハムレット』に登場するヒロイン、オフィーリアが、狂気に陥り、歌を口ずさみながら川に身を投じる直前、あるいは既に水に身を委ねている瞬間を描いたものです。

Job (1876/77)
「ヨブ」(Job)は、旧約聖書に登場するヨブを主題としています。ヨブは、信仰篤く、正しい人物であったにもかかわらず、サタンの試練によって財産、家族、健康といったすべてを失い、深い苦悩と絶望の淵に立たされる物語で知られています。しかし、彼は神への信仰を捨てることなく、最終的に神によって元の祝福を取り戻します。この物語は、人間の苦難と信仰の試練という普遍的なテーマを扱っています。
Henri Gervex (1852-1929)
アンリ・ジェルヴェクスは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家です。彼は、伝統的なアカデミズムの訓練を受けながらも、印象派の影響を取り入れ、ベル・エポック期のパリの社会や風俗を巧みに表現したことで知られています。

Portrait de Colette Gervex (1910)
「コレット・ジェルヴェクスの肖像」(Portrait de Colette Gervex)は、娘であるコレット・ジェルヴェクスを描いた肖像画です。
Hippolyte Petitjean (1854-1929)
イポリット・プティジャンは、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した画家で、点描主義、特に新印象派の代表的な画家の一人として知られています。
マコン(Mâcon)で生まれ、パリのエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)でピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌやアンリ・ルマンに師事しました。アカデミックな訓練を受けた後、彼はジョルジュ・スーラやポール・シニャックといった新印象主義の画家たちと出会い、彼らの提唱する科学的な色彩理論、すなわち点描技法に深く傾倒していきました。

Jeune femme assise (1892)
「座る若い女性」(Jeune femme assise)は、画面全体が、無数の小さな色の点によって構成されています。これらの点が視覚的に混色され、光と色彩の輝きを生み出しています。肌の質感、衣服のひだ、背景の色合いまで、すべてが点の集合で表現されているため、独特の柔らかな質感が特徴です。
Henri-Edmond Cross (1856-1910)

Après-midi à Pardigon (1907)
新印象派の巨匠として次代の画家にも多大な影響を与えています。

La Ferme, matin (1893)
Victor Prouvé (1858-1943)

L’île heureuse (1902)

La Joie de vivre (1904)

Les Voluptueux (1889)
フランス、アールヌーヴォーの画家です。
ガレに、ガラス作品、家具等のデザインもしていました。
Théophile Alexandre Steinlen (1859-1923)

Les Éléments. Formes et couleurs (1900)

L’Application à la décoration des brodeuses au métier et à l’aiguille (1900) 上段
Fête de nuit (1900) 下段
スイス、ローザンヌ生まれ、アールヌーヴォーの画家。
彫刻やイラストなど様々な分野で活躍しました。
Aristide Maillol (1861-1944)

Le pauvre pêcheur (1881)
近代彫刻家として有名なマイヨール。
彫刻家として活動するのは40歳を過ぎてからであり、こちらの作品は画家として活動していた時の作品です。
Camille Martin (1861-1898)

Après l’enterrement (1889)
ナンシー生まれの画家であり、イラストレーターなど多岐に渡って活躍しました。
日本の影響も強く受けています。
Émile Friant (1863-1932)

Madame Petitjeon (1883) 左側
La cuisinière (1887) 右側 カブの皮をむいている自身の母親です。
自然主義、肖像画家として有名なエミール・フリアン。
ナンシー美術館には沢山の作品が展示されています。

Les amoureux (1888)

La Douleur (1898)

Jeune Nancéienne dans un paysage de neige (1887)

Le sculpteur Bussière dans son atelier (1884)

Les Jours heureux (1895)
Paul Sérusier (1864-1927)

Paysage d’automne (1914) 左側
Paysage breton (1906) 右側
フランス、ポスト印象派の画家です。
ゴーギャンから強い影響を受けています。
Suzanne Valadon (1865-1938)

Femme aux bas blancs (1924)

Le Lancement du filet (1914)
モデルでもあり、画家でもあったヴァラドン。
ユトリロの母でもあります。
ソシエテナショナルデボザールに初めて出展した女性でもあり、様々な分野で活躍した先駆者的な女性であった。
Ker-Xavier Roussel (1867-1944)

L’Enfance de Jupiter
フランス、ナビ派のメンバーです。
Henri Matisse (1869-1954)

Jeune fille à la blouse jaune, Marguerite Matisse (1921)
フォーヴィズムの中心的人物でピカソの友人でもありました。
「色彩の魔術師」と言われているだけあって、他の芸術家にはない独自の色使いが魅力です。
Georges Dufrénoy (1870-1943)

Port de Gènes (1914)
ポスト印象派の画家です。
Georges Rouault (1871-1958)

Pierrotins (1932)
フォーヴィスムに分類される画家です。
宗教的な絵が多いが、作品に対してストイックなため、未完の作品を300点ほど燃やしてしまった話は有名です。
日本で人気の高い画家です。
Albert Marquet (1875-1947)

La Seine au Pont-Neuf, effet de brouillard (1906)
フォーヴィスムの画家であるアルベール・マルケ。
マティスと親しく、ヨーロッパや中東などを旅した画家としても知られています。
各地の街や港を描いた作品が多数あります。
この作品は、セーヌ川のポンヌフ橋を描いたものです。
Pierre Laprade (1875-1931)

Le Voilier (1906/07)
ブールデルの下で修業した画家です。
Raoul Dufy (1877-1953)

Paysage d’Avila (1949)

Sainte-Adresse Nuit (1924/25) 上段
Sainte-Adresse Jour (1924/25) 下段
フランス、フォーヴィズムの画家であるデュフィ。
枠にとらわれず、独自の色使いは、「色彩の魔術師」と呼ばれ、20世紀フランスを代表する画家です。
Jean Frélaut (1879-1954)

Vannes vue de Longles (1922) 上段
Victor Guillaume (1880-1942) Moselle à Liverdun (1922) 下段
画家、彫刻家、イラストレーターでもあったJean Frélaut。
下段のVictor Guillaumeも同時期に活躍した画家です。
André Derain (1880-1954)

Paysage de Provence (1921/1924)
フォーヴィスムの画家であるアンドレ・ドラン。
マティスやピカソなど様々な画家との交流があった。
画家としてだけではく、彫刻家やイラストレーター、作家など様々な分野で活躍した芸術家です。
Max Pechstein (1881-1995)

Paysage (1912)
ドイツ表現主義の画家です。
Maurice Utrillo (1883-1955)

Rue Lepic, le Moulin de la Galette (1921-25) 下段
Marie-Louise Siméon Quai des Orfèvres à Paris (1937) 上段
下段がユトリロです。
モンマルトルで生まれた生粋のモンマルトル画家であるユトリロ。
主に風景画、特に都市の画、モンマルトルの画を描きました。
Amedeo Modigliani (1884-1920)

Germaine Survage (1918)
イタリアの画家であるが、モンマルトル、モンパルナスで活躍したパリ派の画家であるモディリアーニ。
多くの肖像画を描いたことで有名ですが、35歳という若さで亡くなっています。
Pierre Dumont (1884-1936)

Cathédrale de Rouen (1925)
フランスの画家。
キュビスムの影響を受けています。
Léonard Tsugouharu Foujita (1886-1968)

Mon intérieur Nature morte à l’accordéon (1922)
藤田嗣治氏の作品です。
Jacques Majorelle (1886-1962)

Le Souk des Tapis, Marrakech (1924)

Ighil N’oro le Mellah (1922)
ナンシー生まれの画家。
マラケシュのマジョレール庭園を建設したことで知られています。
André Fraye (1889-1963)

Port de Cassis (1920) 上段
Edmond sigris(1882-1947) , Menton le port (1937) 下段
アンドレフレイは、ナントで生まれ、印象派の影響を強く受けた画家です。
Moïse Kisling (1891-1953)

Paysage du midi (1937)
エコールドパリの画家です。
François Desnoyer (1894-1972)

L’escale (1940)
Édouard Pignon (1905-1993)

La Veillée (1937)
ピカソと親密だった画家です。
Georges Dayez (1907-1991)

Les dentellières de Burano (1951)
画家であり、彫刻家であり、リトグラフにも力を入れました。
まとめ
皆様よくご存知の画家の名前が多数あったと思います。
特に印象派以降は日本でも人気のある時代になってきますので、実際に現地で見ていても分かりやすく楽しめると思います。
今回の記事がナンシー美術館を鑑賞される際のすこしでもお役に立てれば幸いです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
なお、以下の記事も合わせてご覧頂くとより一層、ナンシー美術館、展示作品について理解が深まると思います。
ナンシー美術館の概要についてはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。

ルネサンスからバロックまではこちらで詳しくご紹介させて頂いております。

地下にあるドームコレクションはこちらで詳しくご紹介させて頂いております。

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