今回はいよいよルネサンス時代のハイライトでもある、「High Renaissance(盛期ルネサンス)」
の人物相関図についてご紹介させて頂きます。
この時代は何と言っても、皆様よくご存知の3大巨匠、「ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ」が中心となって数多くの傑作を生みだしています。
盛期ルネサンス
盛期ルネサンスは、1495年頃から1520年頃までの間の時期を指しています。
歴史に残る傑作が製作されていて華やかな印象を受けやすいですが、戦争に翻弄された時代でもあります。
年表
1494年~98年、フランス王、シャルル8世がイタリアへ侵攻。
フィレンツェのメディチ家を追放し、ナポリまで占拠しますが、ミラノ神聖同盟の抵抗を受け、1498年に撤退します。
メディチ家が追放された後は、ドミニコ会修道士、ジローラモ・サヴォナローラ (Girolamo Savonarola, 1452-1498)が神権政治を行い、贅沢品(工芸品や美術品など)を焼却する、虚栄の焼却(Falò delle vanità)が行われました。
このような流れを受けて、多くの芸術家がフィレンツェを離れることになりました。
1499年には再びフランス軍がイタリアへ侵攻します。
今度はミラノを征服し、その支配は1513年まで続きます。
ミラノに滞在していたダヴィンチは、戦禍を逃れるため、ヴェネツィア、フィレンツェへと滞在場所を変えて行きました。
フィレンツェに戻った時に描かれたのが「モナリザ」になります。
この時のフィレンツェ滞在中に、ラファエロがダヴィンチの工房を訪ねています。
ラファエロはモナリザのスケッチを描いていて、そこに柱があることが後に大きな議論を呼ぶことになります。
1504年、ミケランジェロのダビデ像が完成します。
ダヴィンチとミケランジェロが、フィレンツェにあるヴェッキオ宮殿内にある、「500人大広間」の壁画の仕事を引き受けます。
(残念ながら完成はしませんでした)
1508年、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画の製作を始めます。
同年、ラファエロがヴァチカン宮殿の4つの部屋のフレスコ画の製作を始めます。
中でも最初に手掛けた「署名の間」にある、「アテナイの学堂」は彼の代表作の一つです。
1516年、ダヴィンチがフランスへ移住。
1519年、ダヴィンチ死去。
1520年、ラファエロ死去。
1519年、カール5世が神聖ローマ皇帝に即位。
フランスは、ドイツとスペインのハプスブルク家に挟まれることにより、イタリアを確保することの必要性が生じる。
イタリア国内も利害が相反して、まとまっていないことが混乱に拍車をかけました。
1521年、フランス(ヴァロワ家、maison de Valois)と神聖ローマ帝国、スペイン(ハプスブルク家)の間で、イタリアを巡る戦争が始まる。
ハプスブルク家がフランス支配下のミラノを奪還。
1525年、パヴィアの戦いで、フランソワ1世が捕虜になる。
1526年、釈放されたフランソワ1世と教皇領、イングランド、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノがコニャック同盟を結ぶ。
1527年、神聖ローマ帝国は、その報復として、ローマを襲い、陥落させました。
しかし、戦いの中で、皇帝軍の指揮官、ブルボン公シャルル3世が戦死してしまい、統制を失った皇帝軍は、ローマで破壊と略奪を行うようになりました。
この出来事をローマ劫掠(ローマごうりゃく)と言い、この時、ローマ集まっていた多くの芸術家や文化人が殺されてしまいました。
この事件により、盛期ルネサンスは終焉を迎えます。
出典:ウィキペディア イタリア戦争より
代表画家
レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452-1519)
アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna, 1431-1506)
アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(Antonio Allegri da Correggio, 1489–1534)
ミケランジェロアンセルミ(Michelangelo Anselmi 1492–1554)
ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、1475-1564)
ソフォニスバ・アングイッソラ (Sofonisba Anguissola 、1532-1625)
ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi、 1483-1520)
コジモ・ロッセリ (Cosimo Rosselli 1439–1507)
マリオットアルベルティネッリ(Mariotto Albertinelli1474-1515)
フラ・バルトロメオ (Fra Bartolomeo、1472-1517)
マリオット・アルベルティネッリ(Mariotto Albertinelli 1474-1515)
ピエロ・ディ・コジモ(Piero di Cosimo, 1462-1521)
フランチャビジオ(Franciabigio 1482–1525)
アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto, 1486-1531)
イノセンツォ・フランクッチ(Innocenzo Francucci, 1494-1550)
ジョルジョーネ(Giorgione 1477/1478-1510)
ティツィアーノ(Titian 1488/1490-1576)
ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto、1480-1556/1557)
セバスティアーノ・デル・ピオンボ(Sebastiano del Piombo, 1485-1547)
※ 分類が違う場合もあります。
初期ルネサンス、マニエリスムの画家が含まれている場合もあります。
カタカナ表記に関して実際の発音と異なる場合もあります。
人物相関図
★ご利用の注意点★
上の代表画家の相関図です。
青い矢印は師弟関係を表していますが、実際はその関係がはっきりしていなかったり、ワークショップで働いたことがあるだけであったりします。
情報は英語版、フランス語版ウィキペディアを参考に製作しています。
まとめ
ルネサンスを代表する3人の画家を中心にご紹介させて頂きました。
ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの関係も面白くて、年齢も少し上のダヴィンチは2人に慕われていましたが、ミケランジェロとラファエロは犬猿の仲だったようです。(特にミケランジェロの方が嫌っていたようです。)
3人にまつわる逸話は、彼らの残した作品以上に楽しく興味深いものなので、ぜひご興味のある方は色々と調べて見てくださいね。
次回は、「盛期ルネサンス」で完成された「美」から、新しい世界への挑戦をする「マニエリスム」についてご紹介させて頂きます。
今回ご紹介させて頂いた「盛期ルネサンス」への過程は、以下の記事でご紹介させて頂いております。
- 初期ルネサンス:多くの技術革新の誕生
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
西洋美術史の全体像は年表でご紹介させて頂いております。
合わせてご覧頂くと時代の流れが理解しやすくなると思います。
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