今回はいよいよオルセー美術館を代表する印象派コレクションのご紹介です。
その中でも最も有名で、最も人気の高い3人の画家、シスレー、モネ、ルノワールをご紹介させて頂きます。
教科書などで1度は目にしたことのある作品が多数あると思いますので、初めて美術館を訪れる方にも楽しんで頂けると思います。
それでは早速ご紹介させて頂きます。
印象派とは
作品をご紹介させて頂く前に、まずは印象派について簡単にご説明させて頂きます。
歴史
当時のフランスでは、画家が作品を発表する場所は、1673年から始まったサロンに出品する以外に方法がありませんでした。
しかし時代とともに、出品数が増え続け、1798年のサロンから審査制度が導入されました。
審査制度が導入されると、当然、落選する画家が出てくるようになり、落選してしまえば画家として名を売ることが出来ないどころか、作品を売ることも出来ずに困窮し行き場を失う画家たちが多く出てくるようになりました。
落選者が増えれば増えるほど、審査に対する批判が大きくなり、1863年にナポレオン3世が、Salon des refusés(落選者のサロン)を開催するように命令を出します。
「落選者のサロン」には多くの人が訪れましたが、それは作品を鑑賞するために訪れたというよりは、批判するため、バカにするために人が集まったということになってしまいました。
そのため、「落選者のサロン」は僅か2回で開催が中止されてしまいました。
しかしそれでもサロンに入選することの出来ない画家たちは、「落選者のサロン」でも良いから発表の場所を作って欲しいという切実な願いを持っていました。
実際に1867年、1872年に請願しています。
ただアカデミズムの本流から外れた画家たちの意見が取り入れられることもなく、ついに1874年に自分たちで展覧会を開催します。
それが、第1回印象派展で、この時に出品した画家たちが中心となり、印象派が誕生します。
印象派展は、1874年に第1回が開催されてから1886年まで開催され、合計で8回、開催されることになります。
最後は、ドガと、モネ、ルノワールの対立から分裂したことが大きな原因となり終焉を迎えました。
技術的側面
技術的には、沢山の要素があるのですが、一つにはチューブ型の絵の具が開発されたことも印象派の画家を生む大きなきっかけになっています。
バルビゾン派の時からこの兆候はあるのですが、チューブ型の絵の具のおかげで、戸外で作品を製作することが可能になりました。
また、新しい化学合成顔料の絵の具が開発され、より明るい色を表現することが可能になったのも表現の幅が広がった理由の一つです。
印象派の大きな特徴の一つに、「光をとらえる」ということがあります。
(瞬間の光から、変化する光など)
戸外に出ることにより、風景や自然の場面をとらえようとしていました。
多くの印象派の画家たちは、バルビゾン派やリアリズムの代表的な画家、クールベの影響を強く受けています。
名前の由来
印象派と言う名前は、1874年に、風刺新聞、Le Charivariに、批評家Louis Leroyが
「Impression, j’en étais sûr. Je me disais aussi, puisque je suis impressionné, il doit y avoir de l’impression là-dedans… Et quelle liberté, quelle aisance dans la facture ! Le papier peint à l’état embryonnaire est encore plus fait que cette marine-là1 !」
と評したことに由来しています。
(印象は受けたけど、作りかけの壁紙の方が良く出来ている)
この時に評された作品が、モネのImpression, soleil levant (1874)、現在はパリのマルモッタン・モネ美術館に展示されています。
出典:ウィキペディア Impressionnisme より引用
Alfred Sisley (1839-1899)
印象派を代表する画家であるシスレー。
彼の作品のほとんどは風景画のみです。
画面に空のスペースを大きく取り入れるのも彼の特徴の一つです。
シスレーの両親はイギリス人であり、シスレー自身はパリで生まれ、その生涯のほとんどをフランスで過ごしましたが、亡くなるまでフランスの市民権は得られずに、国籍はイギリスのままでした。
Bateaux à l’écluse de Bougival (1873)
Bougivalのセーヌ川に浮かぶボートを描いています。
Passerelle d’Argenteuil (1873)
アルジャントゥイユの歩道橋を描いています。
Louveciennes. Sentier de la Mi-côte (1873)
パリ郊外の街、Louveciennesを描いています。
Les régates à Molesey (1874)
シスレーがイギリスに滞在中に描いた作品です。
L’Inondation à Port-Marly (1876)
Le Port-Marlyのセーヌ川を描いた作品です。
1876年にセーヌ川が氾濫した時の様子を描いています。
同様の内容の作品を6点描いています。
Le repos au bord du ruisseau. Lisière de bois (1878)
Le pont de Moret (1893)
Claude Monet (1840-1926)
印象派を代表する画家、クロード・モネ。
Nature morte : le quartier de viande (1864)
実際のサイズは、24,0×33,0 cm と小さい作品です。
Le pavé de Chailly (1865)
ChaillyのRoute du Bas Bréauを描いた作品です。
Le déjeuner sur l’herbe (1865-66)
1863年に描かれてセンセーショナルな批評を浴びた、マネの作品と同じタイトルで描かれた作品です。
当初、サロンに出品予定だったのですが、サイズが4メートル×6メートルもあったため、持ち運ぶことが出来なかったのと、宿代が払えずに宿代代わりに置いてきたと言われています。
その後、モネはこの作品を回収するのですが、地下室に保存されていたらしくカビ等の損傷があり、3つに裁断して運んだそうです。
残念ながら、3つの破片の内、1つは紛失してしまったため、現在展示されているのは2つのみとなっています。
La charrette. Route sous la neige à Honfleur (1867)
ノルマンディー地方の港町、Honfleurの雪景色です。
Madame Louis Joachim Gaudibert (1868)
作品はルアーブルの商人、Louis Joachim Gaudibertの依頼で製作した夫人の画になります。
La pie (1868-69)
作品名はカササギですが、光と影が美しい風景を描いています。
Grosse mer à Etretat (1868-69)
ノルマンディー地方、エトルタで描いた作品です。
石灰質の断崖が続く海岸です。
Hôtel des roches noires. Trouville (1870)
結婚後にトルヴィルを訪れた際に描いた作品です。
色のコントラストや旗のたなびいている様子が素晴らしい作品です。
Zaandam (1871)
夏の間によく訪れていたオランダ北部の街、Zaandamを描いています。
Lilas, temps gris (1872-73)
美しいライラックに目が引き付けられてしまいますが、木の下には3人の人物が描かれています。
Le bassin d’Argenteuil (1872)
1871年12月から1878年まで、Argenteuil(アルジャントゥイユ)に住んでいました。
この時期は非常に評価の高い作品を多数描いています。
Régates à Argenteuil (1872)
この作品もアルジャントゥイユ時代に描かれた作品です。
この時期に書いた作品の半数がセーヌ川を題材にしています。
Coquelicots (1873)
アルジャントゥイユ時代に描かれた作品です。
同様のテーマで複数の作品を描いています。
Le pont du chemin de fer à Argenteuil (1873-74)
アルジャントゥイユ時代に描かれた作品です。
セーヌ川にかかる鉄道橋を描いています。
Le déjeuner : panneau décoratif (1874)
1876年の第2回印象派展に出品された作品です。
カイユボットが購入し、政府に寄贈されました。
Le pont d’Argenteuil (1874)
アルジャントゥイユ橋は7回、セーヌ川にかかる鉄橋は4回描きました。
モネにとって非常に重要な対象でした。
Les déchargeurs de charbon (1875)
アルジャントゥイユに住んでいたモネが、列車でパリに向かう際に見たアニエールの景色を描いています。
手前に見えるのが、アニエール橋で、遠くに見えるのがクリシー橋になります。
Un coin d’appartement (1875)
イギリスから帰国後、アルジャントゥイユで暮らしていた2番目の家を描いたと言われています。
Les dindons (1877)
モンジュロンにある、Château de Rottembourg(ロッテンブール城)の庭園からの景色を描いています。
お城の居間に飾るために描かれたと言われています。
La rue Montorgueil à Paris. Fête du 30 juin 1878 (1878)
Effet de neige à Vétheuil (1878-79)
1878年から1881年まで、Vétheuilにモネが住んでいました。
その時に描かれた作品です。
Camille sur son lit de mort (1879)
モネの妻、カミーユが亡くなった年に描いた作品です。
Les glaçons (1880)
Etretat : la plage et la porte d’Amont (1883)
1881年から1883年まで、再びノルマンディー地方に滞在しました。
作品はエトルタのアモン湾を描いています。
Les villas à Bordighera (1884)
イタリア滞在中に描いた作品です。
(製作はジヴェルニーに戻ってからと言われています。)
Les rochers de Belle-Ile, la Côte sauvage (1886)
1886年9月12日から11月25日まで、Belle-Île-en-Mer(ブルターニュの南、フランスで3番目に大きな島)に住んでいました。
誰も描いたことのない場所の絵に挑んだ作品です。
Tempête, côtes de Belle-Ile (1886)
Essai de figure en plein-air (1886)
モデルはHoschedé姉妹になります。
Meules, fin de l’été (1891)
モネの連作、Les Meules(積みわら)の1枚です。
全部で25点の作品を製作しています。
Effet de vent, série des Peupliers (1891)
モネの連作、Les Peupliers(ポプラ)の1枚です。
ジヴェルニーの隣町、Limetz-Villez(リメッツ=ヴィレ)にある、セーヌ川の支流、エプテ川にあるポプラを主題として23点の作品を残しています。
北斎と広重に強く影響を受けた作品と言われています。
La cathédrale de Rouen. Le portail, temps gris (1892)
La cathédrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, plein soleil (1893)
La cathédrale de Rouen. Le portail, soleil matinal (1893)
La Cathédrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, effet du matin (1892-93)
Le Portail vu de face, harmonie brune (1892)
モネのルーアン大聖堂については多くの方がご存知だと思いますが、モネが描いた連作の内の一つです。
合計で28枚の作品を描きましたが、オルセー美術館にはその内の5枚が展示されています。
それぞれ異なる時間や天候など、ほぼ同じ構図で描いた作品は大変見応えがあります。
なおルーアンの街はパリから1時間ほどで到着しますので、お時間のある方はぜひ訪れてみてくださいね。
大聖堂以外にも沢山の見どころがある街です。
Le mont Kolsaas en Norvège (1895)
ノルウェーのコルサース山を描いた作品です。
こちらも連作となっています。
1895年モネの長男がノルウェーに住んでいたために出かけました。
Bras de Seine près de Giverny (1897)
Le bassin aux nymphéas, harmonie verte (1899)
Le bassin aux nymphéas, harmonie rose (1900)
Vétheuil, soleil couchant (1900)
Vétheuilの夕陽です。
Le jardin de l’artiste à Giverny (1900)
Londres, le Parlement. Trouée de soleil dans le brouillard (1904)
霧の中のロンドンも数多く描いています。
Nymphéas bleus (1916-1919)
1900年以降に取り上げたテーマの中でも最も数多くの作品を残している「睡蓮」。
それぞれの作品が描き方も異なり魅力があります。
この作品はエッジを残すことにより作品をより際立たせる効果があります。
Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)
Le poirier d’Angleterre (1873)
印象派を代表する画家であるルノワール。
日本でもモネと並んで、多くの人が知っている画家の一人です。
生涯に描いた作品数は4000点ほどあると言われていて、ジャンルも肖像画、風景画、静物画などあらゆるジャンルの作品を残しています。
Claude Monet (1875)
モネの肖像画です。
第2回印象派展に出品した作品です。
Madame Georges Charpentier (1876-77)
ゾラと友人であり、出版社を経営していた、Georges Charpentierの婦人の肖像画です。
Georges Charpentierは、印象派の画家をサポートしていました。
Bal du moulin de la Galette (1876)
1877年の第3回印象派展に出品された作品です。
ルノワールを代表する作品であり、光を最大限に利用して楽しい人々の様子を表しています。
描かれている人物には、ルノワールの友人が多く含まれています。
La balançoire (1876)
1877年の第3回印象派展に出品された作品です。
モンマルトルでスカウトしたと言われている、Jeanne(ジャンヌ)が描かれています。
男性は、ルノワールの兄弟であるエドモンドと、画家のNorbert Goeneutteになります。
Alphonsine Fournaise (1879)
YvelinesのChatouにあるレストラン、Maison Fournaiseのオーナーの娘を描いた作品です。
Maison Fournaiseはルノワールがよく訪れたレストランであり、他の作品でも取り上げられています。
現在では美術館として営業しているようです。
Paysage algérien, le ravin de la femme sauvage (1881)
アルジェリアの風景を描いています。
Champ de bananiers (1881)
アルジェリアを訪れた際にみたバナナ園を描いています。
Danse à la ville. Danse à la campagne (1883)
左で踊る女性は、Suzanne Valadon(モデル、画家)であり、右側で踊る女性は、ルノワールの妻になるAline Charigotになります。
La mosquée (1884)
アルジェリアでのアラブのお祭り?を描いています。
Maternité dit aussi L’Enfant au sein (1885)
Julie Manet dit aussi L’enfant au chat (1887)
ジュリー・マネ(ウジェーヌ・マネとモリゾのの娘)の肖像画です。
Jeunes filles au piano (1892)
ルノワールを代表する作品の一つ。
同じ作品が3つ描かれていて、一つはオランジュリー美術館に展示されています。
Madame Gaston Bernheim de Villers (1901)
Jeune fille assise (1909)
Monsieur et Madame Bernheim de Villers (1910)
パリで最も古いアートギャラリー、Bernheim-Jeuneを経営していたBernheim de Villers夫妻の肖像画です。
Madame Josse Bernheim-Jeune et son fils Henry (1910)
モデルはMathilde Adlerであり、 Bernheim 兄弟のJosseと結婚します。
姉のSuzanneはBernheim 兄弟のGastonと結婚します。
Gabrielle à la rose (1911)
Colonna Romano (1913)
人気女優であったGabrielle Colonna-Romanoの肖像画です。
まとめ
いかがでしたか。
まさに印象派の王道とも言える、3人の作品たち。
どれも見ごたえがあり、色彩の美しさが目を引きます。
100年以上も前に描かれた作品だとは到底思えませんね。
西洋美術に興味を持ち始めるのもこの3人からと言う方も多いと聞きます。
また3人共に沢山の作品を残しています。
オルセー美術館だけでなく、パリやフランスの美術館、そして世界中の有名美術館に彼らの作品が展示されていますので、ご興味のある方は、色んな美術館の作品を見比べてみてくださいね。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
なお作品の解釈については、オルセー美術館公式ページを参考にさせて頂いております。
お時間のある方は合わせてご覧になってみてください。
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