【オルセー美術館】シスレー、モネ、ルノワール… 光の巨匠たち!印象派を代表する傑作を堪能

Impressionnisme パリ
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今回はいよいよオルセー美術館を代表する印象派コレクションのご紹介です。

本記事では、印象派を代表する3人の巨匠—モネ、ルノワール、シスレーの魅力に迫ります。

色彩の魔術師モネ、優美な人物画の名手ルノワール、そして詩情豊かな風景画の巨匠シスレー。

それぞれの個性が織りなす芸術の世界をご案内します。

初めて美術館を訪れる方にも、美術愛好家の方にも、新たな発見と感動をお届けできる内容となっています。

光と色彩が織りなす印象派の世界で、あなただけの「お気に入りの一枚」を見つけてみませんか?

それでは早速ご紹介させて頂きます。

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印象派とは

作品をご紹介させて頂く前に、まずは印象派について簡単にご説明させて頂きます。

歴史

当時のフランスでは、画家が作品を発表する場所は、1673年から始まったサロンに出品する以外に方法がありませんでした。

しかし時代とともに、出品数が増え続け、1798年のサロンから審査制度が導入されました。

審査制度が導入されると、当然、落選する画家が出てくるようになり、落選してしまえば画家として名を売ることが出来ないどころか、作品を売ることも出来ずに困窮し行き場を失う画家たちが多く出てくるようになりました。

落選者が増えれば増えるほど、審査に対する批判が大きくなり、1863年にナポレオン3世が、Salon des refusés(落選者のサロン)を開催するように命令を出します。

落選者のサロン」には多くの人が訪れましたが、それは作品を鑑賞するために訪れたというよりは、批判するため、バカにするために人が集まったということになってしまいました。

そのため、「落選者のサロン」は僅か2回で開催が中止されてしまいました。

しかしそれでもサロンに入選することの出来ない画家たちは、「落選者のサロン」でも良いから発表の場所を作って欲しいという切実な願いを持っていました。

実際に1867年、1872年に請願しています。

ただアカデミズムの本流から外れた画家たちの意見が取り入れられることもなく、ついに1874年に自分たちで展覧会を開催します。

それが、第1回印象派展で、この時に出品した画家たちが中心となり、印象派が誕生します。

印象派展は、1874年に第1回が開催されてから1886年まで開催され、合計で8回、開催されることになります。

最後は、ドガと、モネ、ルノワールの対立から分裂したことが大きな原因となり終焉を迎えました。

技術的側面

技術的には、沢山の要素があるのですが、一つにはチューブ型の絵の具が開発されたことも印象派の画家を生む大きなきっかけになっています。

バルビゾン派の時からこの兆候はあるのですが、チューブ型の絵の具のおかげで、戸外で作品を製作することが可能になりました。

また、新しい化学合成顔料の絵の具が開発され、より明るい色を表現することが可能になったのも表現の幅が広がった理由の一つです。

印象派の大きな特徴の一つに、「光をとらえる」ということがあります。

(瞬間の光から、変化する光など)

戸外に出ることにより、風景や自然の場面をとらえようとしていました。

多くの印象派の画家たちは、バルビゾン派やリアリズムの代表的な画家、クールベの影響を強く受けています。

名前の由来

印象派と言う名前は、1874年に、風刺新聞、Le Charivariに、批評家Louis Leroy

Impression, j’en étais sûr. Je me disais aussi, puisque je suis impressionné, il doit y avoir de l’impression là-dedans… Et quelle liberté, quelle aisance dans la facture ! Le papier peint à l’état embryonnaire est encore plus fait que cette marine-là1 !」

と評したことに由来しています。

印象は受けたけど、作りかけの壁紙の方が良く出来ている)

この時に評された作品が、モネのImpression, soleil levant (1874)、現在はパリのマルモッタン・モネ美術館に展示されています。

出典:ウィキペディア Impressionnisme より引用

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Alfred Sisley (1839-1899)

アルフレッド・シスレーは、フランス生まれのイギリス人の印象派の画家です。裕福なイギリス人の両親のもとパリで生まれ、生涯のほとんどをフランスで過ごしましたが、イギリス国籍を保持しました。(亡くなるまでフランスの市民権が得られなかったため)

シスレーは、モネ、ルノワール、ピサロといった印象派の画家たちと同時期に活動し、彼らとともに戸外での制作を重視しました。特に風景画に特化し、セーヌ川やその周辺の風景、空や光の移ろいを繊細な色彩と筆致で捉えました。他の印象派の画家たちと比較して、人物画や室内画は非常に少なく、一貫して風景を描き続けたことが特徴です。

彼の作品は、穏やかで詩的な雰囲気を持ち、淡い緑、ピンク、紫、灰色がかった青、クリーム色などの繊細な色調が用いられています。特に、水面や空の表現に優れ、光の反射や大気のニュアンスを見事に描き出しています。

画面に空のスペースを大きく取り入れるのも彼の特徴の一つです。

Bateaux à l'écluse de Bougival

Bateaux à l’écluse de Bougival (1873)

『ブージヴァルの閘門の船(Bateaux à l’écluse de Bougival)』は、パリ郊外のブージヴァルにあるセーヌ川の閘門(ロック)を描いたもので、川を行き交う船や、水辺の静かな日常風景が印象派らしい柔らかい光と色彩、自然な筆致で表現されています。

Passerelle d'Argenteuil

Passerelle d’Argenteuil (1873)

『アルジャントゥイユの歩道橋(Passerelle d’Argenteuil)』は、パリ郊外の町 アルジャントゥイユに架かるセーヌ川の歩道橋と、その周囲の自然や川辺の静けさを描いています。穏やかな水面や光の反射、空の広がりなどが、シスレー特有の繊細で調和のとれた筆致と色使いで表現されています。

Louveciennes. Sentier de la Mi-côte

Louveciennes. Sentier de la Mi-côte (1873)

『ルーヴシエンヌ ― ミ・コートの小道(Louveciennes. Sentier de la Mi-côte)』は、パリ郊外の町 ルーヴシエンヌにある坂道「ミ・コートの小道」の風景を描いたもので、日常的な田舎道の静けさと自然の美しさが印象派らしい軽やかな筆致で表現されています。

Les régates à Molesey

Les régates à Molesey (1874)

『モレジーのレガッタ(Les régates à Molesey)』は、イギリスのモレジー(Molesey)で開催されたボートレース(レガッタ)の様子を描いています。シスレーは水面に反射する光や動き、ボートの帆を軽やかな筆致で表現し、風と水の効果を巧みに捉えています。

L'Inondation à Port-Marly

L’Inondation à Port-Marly (1876)

『ポール=マルリーの洪水(L’Inondation à Port-Marly)』は、パリ郊外のポール=マルリーで発生した洪水の様子を描いています。シスレーは増水した川や水浸しの風景をリアルに捉え、水面に反射する光や湿った空気感を繊細な筆致で表現しています。特に、川の水位が上がったことで通常の風景とは異なる一時的な美しさが生まれ、シスレーはその瞬間を印象派特有の色彩とタッチで描いています。

同様の内容の作品を6点描いています。

Le repos au bord du ruisseau. Lisière de bois

Le repos au bord du ruisseau. Lisière de bois (1878)

『小川のほとりでの休息。森林の縁(Le repos au bord du ruisseau. Lisière de bois)』は、森林の縁にある小川のほとりで静かな休息を取る風景を描いています。シスレーは自然の穏やかな景色を細やかな筆致で捉え、柔らかな光と影、木々の緑や水面の反射を印象派特有の色彩で表現しています。特に、水辺の静けさと周囲の自然の調和が美しく描かれており、シスレーらしい落ち着いた風景が広がっています。

Le pont de Moret

Le pont de Moret (1893)

『モレの橋(Le pont de Moret)』は、シスレーが晩年に住んでいたモレという町のを描いたものです。橋を渡る人々や水面に反射する光、周囲の自然が、シスレー特有の柔らかな色調と光の効果で表現されています。

Claude Monet (1840-1926)

クロード・モネは、フランス印象派を代表する巨匠です。「印象、日の出」(1872年)という作品に由来する「印象派」という名称の起源となった画家として知られています。

モネは、光の移ろいや色彩の変化を捉えることに生涯を捧げ、戸外制作を重視しました。彼は、同じモチーフを異なる時間や季節、天候の下で繰り返し描き、光の効果が対象に与える印象の変化を追求しました。

Nature morte : le quartier de viande

Nature morte : le quartier de viande (1864)

『静物:肉の街角(Nature morte : le quartier de viande)』は、モネが初期に手がけた静物画で、肉屋の店先に並べられた肉をリアルに描写しています。肉の質感や陰影を精緻に表現し、光と影の対比を強調しています。

実際のサイズは、24,0×33,0 cm と小さい作品です。

Le pavé de Chailly

Le pavé de Chailly (1865)

『シャイリーの舗道(Le pavé de Chailly)』は、モネがシャイリー(Chailly)という町を訪れた際に描いたもので、舗道に広がる自然の景観を捉えています。石畳の道とその周囲の風景を描き、モネは自然光と影の変化、色彩の微妙な違いを表現しています。

Le déjeuner sur l'herbe

Le déjeuner sur l’herbe (1865-66)

1863年に描かれてセンセーショナルな批評を浴びた、マネの作品と同じタイトルで描かれた作品です。

当初、サロンに出品予定だったのですが、サイズが4メートル×6メートルもあったため、持ち運ぶことが出来なかったのと、宿代が払えずに宿代代わりに置いてきたと言われています。

その後、モネはこの作品を回収するのですが、地下室に保存されていたらしくカビ等の損傷があり、3つに裁断して運んだそうです。

残念ながら、3つの破片の内、1つは紛失してしまったため、現在展示されているのは2つのみとなっています。

La charrette. Route sous la neige à Honfleur

La charrette. Route sous la neige à Honfleur (1867)

『馬車。雪の中のオントフルールの道(La charrette. Route sous la neige à Honfleur)』は、モネがオントフルール(Honfleur)という町で描いたもので、雪に覆われた道を進む馬車と、その周囲の風景が描かれています。モネは、雪による光の反射や、冬の冷たい空気感を捉え、印象派らしい色彩と筆致で自然を表現しています。

Madame Louis Joachim Gaudibert

Madame Louis Joachim Gaudibert (1868)

『ルイ・ジョアキム・ゴーディベール夫人(Madame Louis Joachim Gaudibert)』は、モネがゴーディベール夫人を描いたものです。モネは通常風景画を得意としていましたが、この肖像画では、精緻な人物描写と、柔らかな光の使い方が特徴です。特に、夫人の衣服や肌の質感が繊細に表現されており、モネの色彩感覚や光の表現技術が光ります。

作品はルアーブルの商人、Louis Joachim Gaudibertの依頼で製作した夫人の画になります。

La pie

La pie (1868-69)

『カササギ(La pie)』は、雪の中にいるカササギを描いており、モネの初期の印象派作品のひとつとしても知られています。カササギが雪の上に留まっているシーンが、広がる雪景色とともに捉えられています。モネは、この作品で光の反射雪の質感を巧みに表現し、冬の冷たさと静けさを感じさせる風景を描きました。

Grosse mer à Etretat

Grosse mer à Etretat (1868-69)

『エトルタの荒れた海(Grosse mer à Etretat)』は、ノルマンディー地方のエトルタ(Étretat)の海岸を描いており、荒れた海と波の動きが強調されています。モネは海の力強さと波のうねり、空の変化を精緻に捉え、風景の印象を大胆な筆使いで表現しています。

石灰質の断崖が続く海岸です。

Hôtel des roches noires. Trouville

Hôtel des roches noires. Trouville (1870)

『ロッシュ・ノワール・ホテル、トゥルーヴィル(Hôtel des roches noires. Trouville)』は、トゥルーヴィル(Trouville)というフランスの海辺の町にあるロッシュ・ノワール・ホテルを描いています。モネは、海辺の町並みとホテルの建物を背景に、海の輝きや波の動き空の色の変化に焦点を当てています。特に、モネは光の反射や大気の透明感を印象派特有の筆致で表現し、動きのある風景を描き出しています。

結婚後にトゥルーヴィルを訪れた際に描いた作品です。色のコントラストや旗のたなびいている様子が素晴らしい作品です。

Zaandam

Zaandam (1871)

『ザーンダム(Zaandam)』は、夏の間によく訪れていたオランダ北部の街のザーンダム(Zaandam)の風景を描いたもので、訪れた際に制作しました。ザーン川の水辺に並ぶ風車や建物が描かれており、風景の静けさと水面の反射が印象的です。

Lilas, temps gris

Lilas, temps gris (1872-73)

『ライラック、灰色の天気(Lilas, temps gris)』は、ライラックの花を描いたもので、モネが自宅で花をテーマにして描いた数点の作品のひとつです。灰色の空模様の下で、ライラックの花が繊細に表現され、モネはその柔らかな色合いと光の効果を巧みに捉えています。

美しいライラックに目が引き付けられてしまいますが、木の下には3人の人物が描かれています。

Le bassin d'Argenteuil

Le bassin d’Argenteuil (1872)

『アルジャンテイユの池(Le bassin d’Argenteuil)』は、モネが住んでいたアルジャンテイユ(Argenteuil)の町の池を描いています。モネは、池の水面に映る周囲の景色や、反射する光の効果に注目し、水面の動きや空の色合いを繊細に表現しています。

1871年12月から1878年まで、Argenteuil(アルジャントゥイユ)に住んでいました。

この時期は非常に評価の高い作品を多数描いています。

Régates à Argenteuil

Régates à Argenteuil (1872)

『アルジャンテイユのレガッタ(Régates à Argenteuil)』は、アルジャンテイユで行われたヨットのレース(レガッタ)の様子を描いています。モネは、活気ある水面に浮かぶヨットとその反射を捉え、風と水の動きを生き生きと表現しています。

この時期に書いた作品の半数がセーヌ川を題材にしています。

Coquelicots

Coquelicots (1873)

『ポピー(Coquelicots)』は、ポピーの花が咲く田園風景を描いており、モネが光と色の変化を捉える印象派技法を使用しています。特に、鮮やかな赤いポピーの花と、緑の草原、そしてその上に広がる柔らかな光が印象的です。

同様のテーマで複数の作品を描いています。

Le pont du chemin de fer à Argenteuil

Le pont du chemin de fer à Argenteuil (1873-74)

『アルジャンテイユの鉄道橋(Le pont du chemin de fer à Argenteuil)』は、モネが住んでいたアルジャンテイユの鉄道橋を描いており、鉄道橋とその周辺の風景が描かれています。モネは、鉄道橋の構造と周囲の自然を一体として捉え、光の反射や水面の変化を印象派ならではの筆致で表現しています。特に、鉄道橋の影と水面に映る反射、そして周囲の景色の色彩の調和に焦点を当てています。

Le déjeuner : panneau décoratif

Le déjeuner : panneau décoratif (1874)

『昼食:装飾パネル(Le déjeuner : panneau décoratif)』は、モネが昼食のシーンを描いたもので、当初は室内の装飾用パネルとして制作されました。モネは、人物やテーブルの上に並べられた食事を描いていますが、光と色の微妙な変化を強調し、印象派の技法を取り入れています。特に、モネは食材や風景に見られる光の反射色の調和に注目し、食事のシーンを通して、自然の美しい瞬間を捉えています。

1876年の第2回印象派展に出品された作品です。カイユボットが購入し、政府に寄贈されました。

Le pont d'Argenteuil

Le pont d’Argenteuil (1874)

『アルジャンテイユの橋(Le pont d’Argenteuil, 1874)』は、アルジャンテイユの町に架かる鉄道橋を描いています。

アルジャントゥイユ橋は7回、セーヌ川にかかる鉄橋は4回描きました。どちらもモネにとって非常に重要な対象でした。

Les déchargeurs de charbon

Les déchargeurs de charbon (1875)

『石炭を積み込む人々(Les déchargeurs de charbon, 1875)』は、港で石炭を積み込む作業員を描いています。モネは、労働者たちの動きや石炭の積み込み作業を描写しつつ、光と色の変化に焦点を当てています。

アルジャントゥイユに住んでいたモネが、列車でパリに向かう際に見たアニエールの景色を描いています。

手前に見えるのが、アニエール橋で、遠くに見えるのがクリシー橋になります。

Un coin d'appartement

Un coin d’appartement (1875)

《Un coin d’appartement(あるアパルトマンの一隅)》は、室内の一隅を描いた、親密な雰囲気の作品です。 窓から差し込む光の描写が印象的で、壁や床に反射する光のニュアンスが捉えられています。 画面には、人物(おそらくモネの息子ジャン)、植物、装飾的な調度品などが配置され、日常のさりげない一瞬が切り取られています。

イギリスから帰国後、アルジャントゥイユで暮らしていた2番目の家を描いたと言われています。この作品は、1877年の第3回印象派展に出品されました。

Les dindons

Les dindons (1877)

《Les Dindons(七面鳥)》は、印象派の初期のコレクターであったエルネスト・オシュデの依頼により、モンジュロンのロッテンブール城(Château de Rottembourg)のために制作された4枚の装飾画のうちの1点です。お城の居間に飾るために描かれたと言われています。

1877年の第3回印象派展に出品されましたが、その大胆な色彩と未完成のような表現は、当時の批評家から揶揄されることもありました。

La rue Montorgueil à Paris. Fête du 30 juin 1878

La rue Montorgueil à Paris. Fête du 30 juin 1878 (1878)

La rue Montorgueil à Paris. Fête du 30 juin 1878パリ、モントルグイユ通りの祝祭、1878年6月30日)は、
1878年6月30日にパリのモントルグイユ通りで行われた祝祭の様子を描いています。

Effet de neige à Vétheuil

Effet de neige à Vétheuil (1878-79)

Effet de neige à Vétheuil(1878-79年)(ヴェトゥイユの雪景色)は、モネが1878年から1881年まで家族と暮らしたセーヌ川沿いの村、Vétheuil(ヴェトゥイユ)の冬景色を描いた連作の中の一点です。

白や灰色を基調とした色彩の中に、建物の屋根や木々の暗色が効果的に配置され、雪の冷たさや空気の透明感が表現されています。

Camille sur son lit de mort

Camille sur son lit de mort (1879)

Camille sur son lit de mort死の床のカミーユ)は、1879年5月、モネの最初の妻であるカミーユ・ドンシューが29歳の若さで亡くなった直後に描かれた作品です。

モネは、最愛の妻の死という悲劇的な状況の中で、目の前の光の変化、特に死によって失われた生命の色彩の変化を捉えようとしたと言われています。

Les glaçons

Les glaçons (1880)

Les glaçons氷塊)は、1880年の冬、記録的な寒波に見舞われたセーヌ川が凍結し、その氷が解け始めた頃の風景を描いた連作の中の一点です。

Etretat : la plage et la porte d'Amont

Etretat : la plage et la porte d’Amont (1883)

Étretat : la plage et la porte d’Amontエトルタ:浜辺とアモン門)は、フランス北部の海岸にある景勝地、エトルタの象徴的な景観を描いた作品です。特に、崖に自然にできた巨大なアーチ状の岩「アモン門(Porte d’Amont)」と、その手前に広がる浜辺の様子が描かれています。

モネは、1881年から1883年まで、再びノルマンディー地方に滞在しました。

Les villas à Bordighera

Les villas à Bordighera (1884)

Les villas à Bordigheraボルディゲーラの別荘)は、1884年の冬から春にかけて、モネがイタリア北西部のリゾート地ボルディゲーラに滞在した際に制作された連作の一つです。製作はジヴェルニーに戻ってからと言われています。

Les rochers de Belle-Ile, la Côte sauvage

Les rochers de Belle-Ile, la Côte sauvage (1886)

Les rochers de Belle-Ile, la Côte sauvageベル=イルの岩、荒々しい海岸)は、フランスのブルターニュ地方沖に浮かぶベル=イル島(Belle-Île-en-Mer)の険しい海岸線を描いた連作の一つです。

モネは、1886年9月12日から11月25日まで、Belle-Île-en-Mer(ブルターニュの南、フランスで3番目に大きな島)に住んでいました。

Tempête, côtes de Belle-Ile

Tempête, côtes de Belle-Ile (1886)

Tempête, côtes de Belle-Ile嵐、ベル=イルの海岸)は、フランスのベル=イル島の荒れた海岸を描いた連作の一つです。

Essai de figure en plein-air

Essai de figure en plein-air (1886)

Essai de figure en plein-air戸外における人物習作」は、モネが戸外の自然光の下で人物を描く試みとして制作されたものです。

モデルはHoschedé姉妹になります。

Meules, fin de l'été

Meules, fin de l’été (1891)

Meules, fin de l’été積みわら、夏の終わり)は、モネの代表的な連作「積みわら(Meules)」の一点です。ジヴェルニーの自宅周辺の風景の中に置かれた積みわらを、異なる時間、異なる天候、異なる季節の中で描き続けた連作は、印象派の光の表現の極致を示すものとして知られています。

全部で25点の作品を製作しています。

Effet de vent, série des Peupliers

Effet de vent, série des Peupliers (1891)

モネの連作、Les Peupliers(ポプラ)の1枚です。

ジヴェルニーの隣町、Limetz-Villez(リメッツ=ヴィレ)にある、セーヌ川の支流、エプテ川にあるポプラを主題として23点の作品を残しています。

北斎と広重に強く影響を受けた作品と言われています。

Cathédrale Notre-Dame de Rouen,

La cathédrale de Rouen. Le portail, temps gris (1892)

La cathédrale de Rouen. Le portail, temps grisルーアン大聖堂、正面入り口、灰色がかった空)は、モネの有名な連作「ルーアン大聖堂(Cathédrale de Rouen)」の一点です。1892年から1894年にかけて、モネはフランスのルーアンにある壮麗なゴシック様式の大聖堂を、異なる時間、異なる天候、異なる視点から30点以上も描きました。

この作品は、灰色がかった空の下、大聖堂の正面入り口(西正面)を描いています。

Cathédrale Notre-Dame de Rouen,

La cathédrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, plein soleil (1893)

La cathédrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, plein soleilルーアン大聖堂、正面入り口とサン=ロマン塔、強い陽光)は、強い陽光の下で捉えられた大聖堂の姿を描いています。画面には、大聖堂の正面入り口(西正面)と、その左側にそびえるサン=ロマン塔が、強い日差しを浴びて明るく輝いています。

Cathédrale Notre-Dame de Rouen,

La cathédrale de Rouen. Le portail, soleil matinal (1893)

La cathédrale de Rouen. Le portail, soleil matinalルーアン大聖堂、正面入り口、朝の陽光)は、朝の光が差し込む時間帯の大聖堂正面入り口を描いています。日中の強い光とは異なり、朝の光は建物の表面を優しく照らし出し、淡い黄色やオレンジ、ピンクといった温かみのある色彩を帯びさせています。

Cathédrale Notre-Dame de Rouen,

La Cathédrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, effet du matin (1892-93)

La Cathédrale de Rouen. Le portail et la tour Saint-Romain, effet du matinルーアン大聖堂、正面入り口とサン=ロマン塔、朝の効果)は、朝の光が大聖堂の正面入り口とサン=ロマン塔を照らし出す様子を描いています。画面は、夜明けの柔らかな光を浴びて、建物全体が淡い色彩に包まれている瞬間を捉えています。

Cathédrale Notre-Dame de Rouen,

Le Portail vu de face, harmonie brune (1892)

Le Portail vu de face, harmonie brune正面から見た入り口、茶色のハーモニー)は、大聖堂の正面入り口を真正面から捉え、全体的に茶色を基調とした色彩で描かれています。画面は、朝や夕暮れ時のような、やや陰った光の条件下で捉えられた大聖堂の姿を示唆しています。

モネの《ルーアン大聖堂》シリーズは、多くの方がご存知だと思います。合計28枚におよぶこの壮大なシリーズは、時間帯や天候による光の移ろいをとらえ、ほぼ同じ構図にもかかわらず一枚一枚に異なる表情が宿っています。
パリのオルセー美術館では、その中から5点を間近に鑑賞することができます。どの作品も、モネの光への情熱と観察力に圧倒されることでしょう。

ルーアンの街へは、パリから電車でわずか1時間。モネが見つめたあの大聖堂の実物を、自分の目で確かることが出来ます。

石畳の旧市街や歴史ある建物、美しいセーヌ川の風景など、大聖堂以外にも心を奪われる魅力がたくさん詰まっています。時間が許すなら、ぜひルーアンの街歩きも楽しんでみてください。

Le mont Kolsaas en Norvège

Le mont Kolsaas en Norvège (1895)

Le mont Kolsaas en Norvègeノルウェーのコルソース山)は、モネが1895年の夏にノルウェーを訪れた際に描いた風景画の一つです。この旅行は、義理の息子である画家のセオドア・バトラーとその家族を訪ねるために行われました。

Bras de Seine près de Giverny

Bras de Seine près de Giverny (1897)

Bras de Seine près de Givernyジヴェルニー近くのセーヌ川の支流)は、モネが晩年を過ごしたジヴェルニーの自宅近くを流れるセーヌ川の支流を描いた作品です。

Le bassin aux nymphéas, harmonie verte

Le bassin aux nymphéas, harmonie verte (1899)

Le bassin aux nymphéas, harmonie verte睡蓮の池、緑のハーモニー)は、モネの晩年の代表的な連作「睡蓮(Nymphéas)」の初期の作品の一つです。

「緑のハーモニー」という副題が示すように、様々な緑の濃淡や、水面に反射する周囲の木々の緑が、繊細な色彩と流れるような筆致で表現されています。

Le bassin aux nymphéas, harmonie rose

Le bassin aux nymphéas, harmonie rose (1900)

Le bassin aux nymphéas, harmonie rose睡蓮の池、ピンクのハーモニー)は、連作「睡蓮(Nymphéas)」の初期の作品の一つで、「睡蓮の池、緑のハーモニー」と同様に、ジヴェルニーの自宅の睡蓮の池を描いています。画面の中心には、ピンク色や赤紫色の美しい睡蓮の花が、緑の葉とともに水面に浮かんでいます。

Vétheuil, soleil couchant

Vétheuil, soleil couchant (1900)

Vétheuil, soleil couchantヴェトゥイユ、日没)は、モネがかつて家族と暮らしたセーヌ川沿いの村、ヴェトゥイユの夕暮れ時の風景を描いた作品です。

Le jardin de l'artiste à Giverny

Le jardin de l’artiste à Giverny (1900)

Le jardin de l’artiste à Givernyジヴェルニーの画家の庭)は、モネが晩年を過ごし、数々の傑作を生み出したジヴェルニーの自宅の庭を描いた作品です。

Londres, le Parlement. Trouée de soleil dans le brouillard

Londres, le Parlement. Trouée de soleil dans le brouillard (1904)

Londres, le Parlement. Trouée de soleil dans le brouillardロンドン、国会議事堂。霧の中の日の光)は、モネが1900年から1904年にかけて数回滞在したロンドンで、テムズ川沿いにそびえ立つ国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)を描いた連作の一つです。画面は、ロンドン特有の濃い霧(スモッグ)の中に、一筋の太陽の光が差し込む瞬間を描いています。

Nymphéas bleus

Nymphéas bleus (1916-1919)

Nymphéas bleus青い睡蓮)は、連作「睡蓮(Nymphéas)」の中でも、特に色彩と抽象性が際立った作品群に属します。以前の睡蓮の作品に見られたような、個々の睡蓮の花の形は曖昧になり、光の反射や水面の動き、そして色彩そのものが強調されています。

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Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)

ピエール=オーギュスト・ルノワールは、フランスの印象派を代表する画家のひとりです。明るく温かい色彩と、柔らかな筆致で、人物、特に女性や子供、そして花々や風景を描き、幸福感に満ちた作品を数多く残しました。「幸福の画家」とも称されます。

生涯に描いた作品数は4000点ほどあると言われています。

Le poirier d'Angleterre

Le poirier d’Angleterre (1873)

Le poirier d’Angleterreイギリスの梨の木)は、ルノワールが印象派の初期の技法を探求していた時期の風景画です。画面には、おそらくイギリスで目にしたであろう梨の木が、生き生きとした筆致と明るい色彩で描かれています。

Claude Monet

Claude Monet (1875)

モネの肖像画です。第2回印象派展に出品した作品です。

Madame Georges Charpentier

Madame Georges Charpentier (1876-77)

Madame Georges Charpentierジョルジュ・シャルパンティエ夫人)は、ゾラと友人であり、出版社を経営していた、Georges Charpentier婦人の肖像画です。

Georges Charpentierは、印象派の画家をサポートしていました。

Bal du moulin de la Galette

Bal du moulin de la Galette (1876)

Bal du moulin de la Galetteムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会)は、1877年の第3回印象派展に出品された作品です。

ルノワールを代表する作品であり、光を最大限に利用して楽しい人々の様子を表しています。

日曜日の午後のダンスを楽しむ人々が、明るい陽光の下、生き生きとした筆致と豊かな色彩で描かれています。

描かれている人物には、ルノワールの友人が多く含まれています。

La balançoire

La balançoire (1876)

1877年の第3回印象派展に出品された作品です。

モンマルトルでスカウトしたと言われている、Jeanne(ジャンヌ)が描かれています。

男性は、ルノワールの兄弟であるエドモンドと、画家のNorbert Goeneutteになります。

Alphonsine Fournaise

Alphonsine Fournaise (1879)

YvelinesのChatouにあるレストラン、Maison Fournaiseのオーナーの娘を描いた作品です。

Maison Fournaiseはルノワールがよく訪れたレストランであり、他の作品でも取り上げられています。

現在では美術館として営業しているようです。

Paysage algérien, le ravin de la femme sauvage

Paysage algérien, le ravin de la femme sauvage (1881)

Paysage algérien, le ravin de la femme sauvageアルジェリアの風景、野性の女の渓谷)は、ルノワールが1881年の初めにアルジェリアを旅した際に目にした風景を描いたものです。

画面には、北アフリカの強烈な日差しの中で、荒々しい岩肌や乾燥した植生が見られる渓谷の様子が描かれていると考えられます。

Champ de bananiers

Champ de bananiers (1881)

Champ de bananiersバナナ園)は、1881年の初めに訪れたアルジェリアで目にした風景を描いたものと考えられます。

Danse à la ville. Danse à la campagne

Danse à la ville. Danse à la campagne (1883)

Danse à la ville都会のダンス)と Danse à la campagne田舎のダンス)は、対になる2枚の油彩画です。

左で踊る女性は、Suzanne Valadon(モデル、画家)であり、右側で踊る女性は、ルノワールの妻になるAline Charigotになります。

La mosquée

La mosquée (1884)

La mosquéeモスク)は、1881年のアルジェリア旅行の際に印象を受けた、イスラム教の礼拝堂であるモスクを描いたものと考えられます。アラブのお祭りを描いているとも言われています。

Maternité dit aussi L'Enfant au sein

Maternité dit aussi L’Enfant au sein (1885)

Maternité dit aussi L’Enfant au sein母性、別名 乳を飲む子供)は、母と子の親密な愛情を描いた、ルノワールの母子像の代表的な作品の一つです。

Julie Manet dit aussi L'enfant au chat

Julie Manet dit aussi L’enfant au chat (1887)

Julie Manet dit aussi L’enfant au chatジュリー・マネ、別名 猫を抱く子供)は、ジュリー・マネ(ウジェーヌ・マネとモリゾのの娘)を描いています。

Jeunes filles au piano

Jeunes filles au piano (1892)

Jeunes filles au pianoピアノを弾く若い娘たち)は、ルノワールを代表する作品の一つであり、晩年に好んで描いたテーマの一つである、若い女性たちの日常の優雅なひとときを描いたものです。

同じ作品が3つ描かれていて、一つはオランジュリー美術館に展示されています。

Madame Gaston Bernheim de Villers

Madame Gaston Bernheim de Villers (1901)

Madame Gaston Bernheim de Villersガストン・ベルンハイム・ド・ヴィレール夫人)は、画商ベルンハイム=ジューヌの共同経営者であったガストン・ベルンハイム・ド・ヴィレールの夫人を描いた肖像画です。

Jeune fille assise

Jeune fille assise (1909)

Jeune fille assise座る若い娘)は、若い女性のくつろいだ姿を描いたものです。

Monsieur et Madame Bernheim de Villers

Monsieur et Madame Bernheim de Villers (1910)

Monsieur et Madame Bernheim de Villersベルンハイム・ド・ヴィレール夫妻)は、パリで最も古いアートギャラリー、Bernheim-Jeuneを経営していたベルンハイム・ド・ヴィレール夫妻の姿が、ルノワールらしい温かく、親密な雰囲気で描かれています。

Madame Josse Bernheim-Jeune et son fils Henry

Madame Josse Bernheim-Jeune et son fils Henry (1910)

Madame Josse Bernheim-Jeune et son fils Henryジョス・ベルンハイム=ジューヌ夫人と息子アンリ)は、画商ベルンハイム=ジューヌの共同経営者であったジョス・ベルンハイム=ジューヌとその息子アンリを描いた肖像画です。

Gabrielle à la rose

Gabrielle à la rose (1911)

Gabrielle à la roseバラを持つガブリエル)は、ルノワールの晩年のモデルの一人であり、家政婦でもあったガブリエル・ルナールを描いた肖像画です。

Colonna Romano

Colonna Romano (1913)

Gabrielle Colonna-Romano(ガブリエル・コロンナ=ロマーノ(1888年 – 1981年))は、フランスの著名な舞台女優であり、悲劇女優として特に有名でした。

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まとめ

いかがでしたか。

まさに印象派の王道とも言える、3人の作品たち。

どれも見ごたえがあり、色彩の美しさが目を引きます。

100年以上も前に描かれた作品だとは到底思えませんね。

西洋美術に興味を持ち始めるのもこの3人からと言う方も多いと聞きます。

また3人共に沢山の作品を残しています。

オルセー美術館だけでなく、パリやフランスの美術館、そして世界中の有名美術館に彼らの作品が展示されていますので、ご興味のある方は、色んな美術館の作品を見比べてみてくださいね。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

なお作品の解釈については、オルセー美術館公式ページを参考にさせて頂いております。

お時間のある方は合わせてご覧になってみてください。

パリパリ美術館
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