今回ご紹介させて頂くのは、「シュプレマティスム」と「デ・ステイル」そして「形而上絵画」になります。
シュプレマティスムは、マレーヴィチを中心とした芸術運動であり、抽象性を徹底した運動になります。
同時期に起こっていて「ロシア構成主義」や「バウハウス」などに大きな影響を与えています。
デ・ステイルは、モンドリアンを中心とした芸術運動で、オランダで発祥しました。
モンドリアンの提唱した「新造形主義」が活動の中心になりますが、モンドリアン自身は1925年に脱退してしまいます。
形而上絵画は、キリコが中心となって提唱された、「見ることの出来ないものを描く」イタリアのスタイルです。
Suprématisme シュプレマティスム
シュプレマティスム(Suprematism)は、20世紀初頭にロシアで生まれた芸術運動で、特に絵画の分野において、その後の抽象芸術に大きな影響を与えました。以下にその概要をまとめます。
概要:
- 創始者:
- カジミール・マレーヴィチによって創始されました。
- 特徴:
- 単純な幾何学形態(正方形、円、三角形、十字形など)を用いて、非対象の純粋な感覚を表現することを追求しました。
- 対象の再現性を否定し、芸術の根源的な要素に迫ろうとしました。
- 「絶対主義」「至高主義」とも訳され、芸術における絶対的な純粋性を目指しました。
- 内面性や精神性を表現するカンディンスキーらの「熱い抽象」に対して、「冷たい抽象」と呼ばれることがあります。
Kasimir Malévitch (1879-1935)
カジミール・マレーヴィチは、20世紀初頭にロシアで活躍した画家であり、抽象絵画の先駆者として知られています。以下に、彼の生涯と業績を簡潔に紹介します。
生涯と業績
- 初期:
- ウクライナのキエフ近郊で生まれ、モスクワで美術教育を受けました。
- 当初は印象派や象徴主義の影響を受けた作品を制作していました。
- シュプレマティスムの創始:
- 1910年代に入ると、キュビスムや未来派の影響を受け、独自の抽象絵画のスタイルを確立しました。
- 1915年に「シュプレマティスム(絶対主義)」を宣言し、幾何学的な形態と純粋な色彩による非対象の絵画を追求しました。
- 代表作である「黒の正方形」や「白の上の白」は、シュプレマティスムの理念を象徴する作品です。
- ロシア・アヴァンギャルドの旗手:
- ロシア革命後の社会では、美術教育や舞台美術など、幅広い分野で活動しました。
- ロシア・アヴァンギャルドの中心的役割を担い、構成主義など、その後の芸術運動に大きな影響を与えました。
- 晩年:
- スターリン体制下では、抽象絵画が退廃芸術として弾圧され、マレーヴィチも具象絵画の制作を余儀なくされました。
- 1935年にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で死去しました。
![Kasimir Malévitch (1879-1935)Croix [noire] (1915)](https://tabiparislax.com/wp-content/uploads/2023/05/Kasimir-Malevitch_01.jpg)
Croix [noire] (1915)
『Croix noire(黒い十字)』は、マレーヴィチが提唱した「シュプレマティスム(至高主義)」の代表的な例の一つです。
この絵画は、白い背景に黒い十字という非常にミニマルな構成で、形と色を通じて感情や精神性を追求することを目的としています。また「黒い十字架」の輪郭をわずかに歪ませることで緊張を和わらげています。
具象性を完全に排除したこの作品は、当時の伝統的な絵画観に対するラディカルな挑戦であり、芸術における抽象表現の可能性を大きく切り開きました。
簡潔に言えば、『Croix noire』は、純粋な形と色を用いて人間の内面的世界を表現しようとした、前衛芸術の重要作品です。

Carré noir (1923-1930)
『Carré noir(黒い正方形)』は、白い背景の上に黒い正方形が描かれた非常にシンプルな構成で、具体的なモチーフを排除し、「純粋な感覚」や「精神性の表現」を目指しています。1915年の初版『黒の正方形』から改良・再制作されたバージョンで、1923〜1930年にかけて描かれました。
マレーヴィチにとって黒い正方形は、絶対的な記号であり、無限の空間を表すものになります。
絵画を「表現」から「概念」へと転換させた、20世紀美術史における画期的な抽象作品です。

Croix noire (1923-26)
『Croix noire(黒い十字)』は、白い背景に黒い十字が描かれ、形と色のみで構成されたミニマルなデザインが特徴です。
![Kasimir Malévitch (1879-1935)[Sensation du danger] (1930-31)](https://tabiparislax.com/wp-content/uploads/2023/05/Kasimir-Malevitch_02.jpg)
[Sensation du danger] (1930-31)
『Sensation du danger(危険の感覚)』は、スターリン主義を象徴する窓のない2つの家から逃走している人物を描いています。
血の付いた剣は、芸術家だけでなく、一般の農民にまで向けられていることを表しています。
当時の政権に対する強い避難を描いています。
![Kasimir Malévitch (1879-1935)[Le Cheval blanc] (1930-31)](https://tabiparislax.com/wp-content/uploads/2023/05/Kasimir-Malevitch_03.jpg)
[Le Cheval blanc] (1930-31)
『Le Cheval blanc(白い馬)』は、白い馬と静かな農村風景が描かれており、構図や色使いにはシュプレマティスムで培われた抽象的な感覚が残されています。抑圧的な政治状況下で、マレーヴィチは象徴的なモチーフを用いて精神性や希望、自由を表現しようとしたと考えられています。
スターリン主義への避難を込めて描いています。
De Stijl デ・ステイル
デ・ステイル(De Stijl)は、1917年にオランダで創刊された雑誌名、および同誌を中心に活動した芸術家グループの名称です。オランダ語で「様式」を意味し、絵画、建築、デザインなど幅広い分野で活動しました。
概要:
- 創設:
- テオ・ファン・ドゥースブルフを中心に、ピエト・モンドリアン、ヘリット・リートフェルトなどが参加しました。
- 理念:
- 第一次世界大戦後の混乱から、新たな調和と秩序を生み出すことを目指しました。
- 水平線と垂直線、そして赤・青・黄の三原色と白・黒・グレーの無彩色を用いた、幾何学的で抽象的な表現を追求しました。
- 絵画、建築、デザインなど、あらゆる芸術分野の統合を目指しました。
- 特徴:
- 徹底的な抽象化と単純化
- 幾何学的形態の追求
- 三原色と無彩色の使用
- 非対称な構成
Piet Mondrian (1872-1944)
ピエト・モンドリアンは、オランダ出身の画家で、20世紀美術における抽象絵画の発展に大きく貢献しました。
生涯と業績
- 初期:
- オランダで生まれ、アムステルダムの美術学校で伝統的な絵画技法を学びました。
- 初期の作品は、風景画など具象的なものでしたが、徐々に抽象的な表現へと移行していきました。
- キュビスムの影響:
- パリに移住後、キュビスムの影響を受け、対象を幾何学的な形に分解する試みを始めました。
- デ・ステイルへの参加:
- テオ・ファン・ドゥースブルフらと「デ・ステイル」運動に参加し、極限まで幾何学化・単純化された水平線と垂直線、そして赤・青・黄の三原色と白・黒・グレーの無彩色のみを用いる独自の抽象絵画を確立しました。
- 新造形主義:
- モンドリアンは、自身の芸術理論を「新造形主義」と呼び、普遍的な美の表現を追求しました。
- 代表作である「コンポジション」シリーズは、新造形主義の理念を体現した作品です。
- 晩年:
- 第二次世界大戦の影響でニューヨークに移住し、ジャズのリズムや都市の活気に触発された作品を制作しました。
- 「ブロードウェイ・ブギウギ」などの晩年の作品は、より自由で動的な表現を見せています。

Composition en rouge, bleu et blanc II (1937)
『Composition en rouge, bleu et blanc II(赤・青・白の構成 II)』は、赤・青・白の三色と黒い直線のみを使い、画面を垂直・水平の格子状に構成しています。シンプルながら緻密なバランスにより、秩序、調和、普遍性を表現しようとしています。

New York City (1942)
アメリカ移住後に制作した作品で、彼の晩年のスタイルの転換点を示す重要作です。
垂直・水平のラインが細かく交差し、鮮やかな色のラインがリズミカルに配置されています。従来の新造形主義の厳格な構成から離れ、ニューヨークの街並みやジャズのリズムにインスピレーションを受けた、より自由で動的な構成が特徴です。
黒いグリッドを赤、青、黄色に置き換え、ニューヨークの活気さを表しています。
Theo Van Doesburg (1883-1931)
テオ・ファン・ドゥースブルフは、オランダの画家、建築家、デザイナー、理論家であり、「デ・ステイル」運動の創設者の一人として知られています。
生涯と業績
- デ・ステイル運動の創始:
- 1917年に、ピエト・モンドリアン、ヘリット・リートフェルトらとともに雑誌「デ・ステイル」を創刊し、同名の芸術運動を推進しました。
- デ・ステイルの理念である、水平線と垂直線、三原色と無彩色を用いた幾何学的抽象表現を提唱し、絵画、建築、デザインなど幅広い分野で実践しました。
- 多才な活動:
- バウハウスとの交流や、ダダ運動への参加など、同時代の様々な芸術運動と関わり、影響を与え、また影響を受けました。
- 要素主義への移行:
- 晩年には、要素主義に移行します。要素主義は、斜線の導入や、より複雑な幾何学的構成を特徴とし、デ・ステイルの発展に新たな方向性を示しました。

Composition X (1918)
直線や矩形、限られた色(主に白・黒・グレー・原色)を用いて、自然の形態を排除しつつ、秩序と調和を探求しています。
作品は、妻の肖像画からインスピレーションを得て描かれたものと言われています。

Peinture pure (1920)
赤・青・黄の三原色と黒い直線、白地のみを用い、水平・垂直の構成によって、自然や感情から切り離された「純粋な視覚的秩序」を追求しています。
ドゥースブルフは「中心点が絵の外側にある完全に平面的な構図」を描いたとしています。
Georges Vantongerloo (1886-1965)
ジョルジュ・ヴァントンゲローは、ベルギー出身の彫刻家、画家、理論家であり、抽象芸術の発展に大きく貢献した人物です。
生涯と業績
- 初期:
- アントウェルペン王立芸術学院で学び、当初は具象的な彫刻を制作していました。
- デ・ステイルへの参加:
- 1917年にテオ・ファン・ドゥースブルフと出会い、「デ・ステイル」運動に参加しました。
- デ・ステイルの理念である、幾何学的抽象表現を彫刻や絵画で追求しました。
- 抽象芸術の探求:
- ヴァントンゲローは、数学的な理論に基づいた抽象彫刻を制作し、空間と形態の関係性を探求しました。
- 彼の作品は、純粋な形と色彩による、静かで調和のとれた空間構成を特徴としています。
- 晩年:
- パリに移住し、抽象芸術の発展に貢献しました。
- 「セルクル・エ・カレ」や「アプストラクシオン・クレアシオン」といった、抽象芸術のグループ展に参加し、晩年まで、抽象絵画、抽象彫刻の制作を続けました。

Composition (1917-18)
作品は新造形主義の特徴である、水平-垂直構造と中間色の背景に、原色の平面を描くことにより、バランスのとれたダイナミックな構図を生み出しています。
Friedrich Vordemberge-Gildewart (1889-1962)
フリードリッヒ・フォルデンベルゲ=ギルデワルトは、ドイツ出身の画家、彫刻家、タイポグラファーであり、20世紀の抽象芸術の発展に貢献しました。
生涯と業績
- 初期:
- ドイツのオスナブリュックで生まれ、ハノーファーで美術を学びました。
- 当初は表現主義の影響を受けた作品を制作していました。
- 抽象芸術への傾倒:
- 1920年代に入ると、デ・ステイルや構成主義の影響を受け、レリーフの要素を統合した幾何学的抽象絵画の制作を始めました。
- テオ・ファン・ドゥースブルフやクルト・シュヴィッタースらと交流し、抽象芸術のグループ「デア・アブソルート(Der Abstrakten)」を結成しました。

Composition n° 24 (1926)
直線・矩形・円などの幾何学形態と、明快な色彩と構成のバランスが特徴的です。
César Domela (1900-1992)
セザール・ドメラは、オランダ出身の画家、彫刻家、写真家であり、20世紀の抽象芸術の発展に貢献しました。
生涯と業績
- 初期:
- アムステルダムで生まれ、当初は写真家として活動していました。
- 1920年代に入ると、デ・ステイルや構成主義の影響を受け、抽象絵画や彫刻の制作を始めました。
- デ・ステイルとの関わり:
- テオ・ファン・ドゥースブルフと交流し、デ・ステイル運動に参加しました。
- デ・ステイルの理念である、幾何学的抽象表現を追求し、独自のスタイルを確立しました。

Composition néo-plastique n° 5 L (1926-27)
作品を斜めにすることにより、作品に力強さや広がりを与えています。

Relief n° 20 A – Sonorité (1946-47)
1929年から様々な素材を使うようになったドメラ。
この作品は、二次元の絵画から立体的な作品へと移行する中で制作されたもので、直線や曲線、平面と立体が組み合わさった構成が特徴です。タイトルの「Sonorité」は、「音響」を意味し、視覚的なリズムが音楽的な感覚と結びついていることを示唆しています。白い三角形と黒い円のような形が対峙し、真鍮が全体を結びつけいています。
Peinture métaphysique 形而上絵画
形而上絵画(Peinture métaphysique)は、20世紀初頭にイタリアで生まれた芸術運動で、シュルレアリスムの先駆的な存在として知られています。
概要
- 創始者:
- ジョルジョ・デ・キリコによって創始されました。
- 特徴:
- 現実の風景や静物を描きながらも、それらを非現実的で幻想的な空間に配置することで、観る者に不安や神秘的な感情を抱かせます。
- 遠近法の歪曲、不自然な光と影、マネキンや幾何学的なオブジェの配置などが特徴です。
- 合理的な説明を超えた、形而上的な世界観を表現しようとしました。
Giorgio De Chirico (1888-1978)
ジョルジョ・デ・キリコは、20世紀を代表するイタリアの画家であり、形而上絵画(Pittura Metafisica)の創始者として知られています。
生涯と業績
- 初期:
- ギリシャで生まれ、ミュンヘン美術院で絵画を学びました。
- 象徴主義やドイツロマン主義の影響を受け、独自の幻想的な絵画世界を追求し始めました。
- 形而上絵画の創始:
- 1910年代に、現実の風景や静物を描きながらも、それらを非現実的で幻想的な空間に配置する形而上絵画を創始しました。
- 遠近法の歪曲、不自然な光と影、マネキンや幾何学的なオブジェの配置などが特徴的な作品を多く残しました。
- シュルレアリスムへの影響:
- 形而上絵画は、シュルレアリスムの画家たちに大きな影響を与え、ダリやマグリットなどの作品にその影響が見られます。
- 晩年:
- 晩年は、古典絵画への回帰や、自身の過去の作品の模倣など、作風が変化しました。

Il Ritornante (1917-18)
イタリアの画家であるキリコは、形而上絵画を立ち上げ、のちのシュルレアリストたちに大きな影響を与えました。
まとめ
マレーヴィチ、モンドリアン、キリコの3人を中心にご紹介させて頂きました。
それぞれの運動は単独としては大きな広がりになりませんでしたが、次の次代の芸術運動である「シュルレアリスム」や「ダダイズム」に大きな影響を及ぼしていきます。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
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