18世紀後半から19世紀前半にかけて、新古典主義に反して誕生したのが、今回ご紹介させて頂く、「ロマン主義」になります。
新古典主義が、古代ローマやギリシャを規範として制作されていたのに反して、「ロマン主義」は、中世を中心とし、それまでの作品が無視してきた感情、個人主義を重視している所に特徴があります。
(そのため、区別が難しい所があります。)
フランスのロマン主義の巨匠と言われているのが、「ドラクロワ」。
後の画家に多大なる影響を与えた彼の、他の画家とのつながりはどうなっていたのか。
人物相関図と共に、フランス・ロマン主義を見て行きましょう。
ロマン主義とは
ロマン主義
「ロマン主義」とは、スタイルにとらわれず、個人の感情を重視する考え方です。
そのため、作風だけで、ロマン主義とは決められない部分もあります。
フランス革命後の混乱や、ナポレオンの台頭による、戦乱続きの社会に対する大きな不満が、個人の自由への強い欲求となって表れたものです。
そのため、芸術の分野では、権威であるアカデミーへの反発運動でもあります。
ロマンの由来
ロマン主義の「ロマン」は、ローマ帝国時代の口語である、「ロマンス語」で書かれた文学作品の総称からきています。
当時ロマンス語で書かれた文学作品を「ロマンス」と呼ぶようになり、ギリシャ、ローマの古典文学への対立する概念として捉えられていました。
活動期間
1780年頃から1830年頃まで。
新古典主義とほぼ同じ時期から始まっています。
広義では1870年頃まで続いたと言われています。
(諸説あります)
ロマン主義の特徴
新古典主義が理想的な美の追求であるのに対して、ロマン主義は、感情や興奮、不合理なものを表現しています。
代表的な理念は以下のものになります。
- 個人主義、感傷主義、神秘主義
- 中世のカルト、北欧神話
- ロマンティックな風景
- 暴力、ドラマティックなもの、戦闘
- 革命的精神
出典:ウィキペディア Peinture romantique
ロマン主義 対 新古典主義
ロマン主義は、反体制、反アカデミズムなので、新古典主義とは対立する考え方になります。
この対立の象徴的なものが、ドラクロワとドミニク・アングルの対立です。
両者の対立を決定づける出来事が、1824年のサロンで起こります。
Le Voeu de Louis XIII (1824) ルイ13世の誓い
Jean-Auguste-Dominique Ingres
Le Massacre de Scio (1824) キオス島の虐殺
Eugène Delacroix
アングルは古典的な調和のある世界を描き、サロンで絶賛され、新古典主義の盟主としての地位を確立します。
それに対してドラクロワは、1822年のギリシャ独立戦争中、オスマン帝国軍によるキオス島の数万人のギリシャ人、殺害シーンを描いています。
全く調和的でなく、感情的な作品であり、また主役を描いていないという点でも、それまでのアカデミズムにはない作品になっています。
年表
1761年、ルソー、小説「Julie ou la Nouvelle Héloïse」を発表。
1782年、ルソー、自伝「Les Confessions」を出版。
1789年、フランス革命
1793年~1797年、第一次対仏大同盟(イタリア遠征)
1798年~1801年、エジプト・シリア戦役
1798年~1801年、第二次対仏大同盟
1804年、ナポレオンが皇帝に即位
1805年~1806年、第三次対仏大同盟
1806年~1807年、第四次対仏大同盟
1808年~1814年、スペイン独立戦争
1809年、第五次対仏大同盟
1812年、1812年ロシア戦役
1812年~1814年、第六次対仏大同盟
1815年、第七次対仏大同盟(百日天下)、ワーテルローの戦い
1819年、テオドール・ジェリコー、「Le Radeau de La Méduse」サロンで発表。
1821年、ナポレオン死去。
1824年、ドラクロワ、「Le Massacre de Scio」サロンで発表。
1830年、ヴィクトルユーゴの戯曲「エルナニ」が上演される。
代表画家
ルイ・エティエンヌ・ワトレ(Louis Étienne Watelet, 1780-1866)
ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche, 1797-1856)
ジャン・レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824-1904)
カミーユ・ロクプラン(Camille Roqueplan, 1803-1855)
ピエール・レボイル(Pierre Révoil, 1776-1842)
フランソワ・ルパージュ(François Lepage, 1796-1871)
サイモン・サンジャン(Simon Saint-Jean, 1808-1860)
アキレ・デベリア(Achille Devéria, 1800-1857)
オーギュスト・バルテレミー・グレイズ(Auguste-Barthélemy Glaize, 1807-1893)
テオドール・リボット(Théodule Ribot, 1823-1891)
アントワーヌヴォロン(Antoine Vollon, 1833-1900)
ユグ・タラヴァル(Hugues Taraval, 1729-1785)
ニコラ・ガイ・ブレネット(Nicolas Guy Brenet, 1728-1792)
ジャン・バティスト・ルノー(Jean-Baptiste Regnault, 1754-1829)
ピエール・ナルシス・ゲラン(Pierre-Narcisse, baron Guérin, 1774-1833)
レオン・コニエ(Léon Cogniet, 1794-1880)
アーネスト・メッソニエ(Ernest Meissonier, 1815-1891)
テオドール・ジェリコー(Theodore Gericault, 1791-1824)
アルフレッド・ド・ドルー(Pierre-Alfred Dedreux, 1810-1860)
ウジェーヌ・ドラクロワ (Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798-1863)
ポール・ヒュート(Paul Huet, 1803-1869)
シャルル・ドゥ・スチューベン(Charles de Steuben, 1788-1856)
ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean-Auguste Dominique Ingres, 1780-1867)
ユージーン・イザビー(Eugène Isabey, 1803-1886)
ギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré, 1832-1883)
※ 分類が違う場合もあります。
ロマン主義以外の画家が多く含まれています。
カタカナ表記に関して実際の発音と異なる場合もあります。
人物相関図
★ご利用の注意点★
上の代表画家の相関図です。
青い矢印は師弟関係を表していますが、実際はその関係がはっきりしていなかったり、ワークショップで働いたことがあるだけであったりします。
情報は英語版、フランス語版ウィキペディアを参考に製作しています。
まとめ
様々な芸術分野に広まった「ロマン主義」は、「個人」という概念を広めるのに多大なる役割を果たしました。
既存のスタイルに囚われない生き方は、近代国家の形成にまで、影響を与えたと言われています。
また絵画の分野でも、この「個人」や「個性」という考え方が、この後に様々な絵画のスタイルを生み出していきます。
そう言う意味でもやはり「ロマン主義」は西洋美術史の中でも、大きな一つの転換点だと思います。
ロマン主義と対立したアカデミック美術(新古典主義)については以下の記事をご参照ください。
- アカデミック美術・フランス:権威主義、絵画のランク付け
そして、フランスでは、ロマン主義とアカデミック美術の対立の中で新しい運動が生まれていきます。
- 写実主義・フランス:バルビゾン派の誕生、戸外での活動
フランス・ロマン主義までの流れは以下になります。
- 前期ルネサンス:何故ルネサンスは起こったのか?
- 初期ルネサンス:多くの技術革新
- 盛期ルネサンス:ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロによる完成形
- マニエリスム:新たな世界観への挑戦
- バロック・イタリア:劇的なシーンの登場
- 古典主義・フランス:ルイ14世スタイルの誕生
- ロココ・フランス:華やかで優雅なルイ15世スタイル
- 新古典主義・フランス:ナポレオンの台頭、アンピール様式
ロマン主義はフランスだけでなく、イギリス、ドイツでも大いに流行しました。
- ロマン主義・イギリス:イギリス絵画の黄金期
- ロマン主義・ドイツ:反アカデミズムの誕生
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
西洋美術史の全体像は年表でご紹介させて頂いております。
合わせてご覧頂くと時代の流れが理解しやすくなると思います。
コメント